第3話 コーヒーとミルクで世界は回る~Time of Memory~

最近では歳の差夫婦もカップルも珍しくないとはいえ、私とハルさんが十と三、離れていることを知ると大概の人はとても驚く。

ハルさんがとても大人っぽくて、私が少し……ううん、割と子供っぽいから、もっと離れていると思われることもよくあると言えばよくあるのだけれど、その場合は夫婦とさえ思われていないこともあるから置いておいて。

大抵、まずは何処で出会ったの!?と訊かれる。

それから、幼馴染だと答えるともっとびっくりされる。

無理もない、というか、ハルさんは私が生まれた時から知っているわけで、私が生まれて病院から家に移ったときにはもう中学生のハルさんと会っていた、とお母さんもハルさんたちもみんな言う。

私は勿論覚えていないから、ずるいなあ、なんて思うこともあるんだけれど、この間古いアルバムからハルさんが私を抱っこしている写真が出てきてとても驚いた。

それはハルさんのお家で撮られた写真で、私はまだ首も座っていなかった。

いつも落ち着いているハルさん……でも中学生のハルさんが、困ったみたいに、緊張した顔で赤ちゃんを抱いているのがすごく珍しくて、私はそのアルバムを家から持ってきてしまったりもしたのだけれど。


……ええと、そうじゃなくて。

つまり、そのくらい昔から知られているひとと結婚、というのは、大概とても驚かれる。

それは大体がハルさんの決断に驚いている、という感じなのだけれど。


それは私も思うことなので、笑うしかなかったりしているけれど、逆に私が訊かれることも多い。

いつ、ハルさんを「そういう対象」として好きになったのか、って。

確かに私はハルさんが小さい頃から大好きで、ハル兄、ハル兄と後ろをついて回っていたのだけれど、勿論それは「兄」としてハルさんを慕っていたわけで、恋人、とか旦那さん、とかそういう理由であるはずもなく。


じゃあ、いつ何で、といえば……。


「……それ、私も聞いたことがないよね」

「え?そうだっけ?」

「うん。一度訊いたけれど……ああ、ほら、君が告白してくれた時に」

「うん……?」

「君はその時、教えてくれなかったよ」

「それ多分、教えたくなかったんじゃなくて、その時の告白のことでいっぱいいっぱいでハルさんに訊かれてること理解してなかったと思う……」

「……君らしいね。それなら、今訊いたら答えてもらえるのかな」

「えー……と……」


私の前にはホットミルク、ハルさんの前にはブラックコーヒー。

優しく目元を緩めて首を傾げたハルさんに昔のハルさんの笑顔を重ねて、私は十年と少し前に記憶を巻き戻した。





「そういえば、ハル君は結婚しないのかしらねえ?」

「えっ?」


部活から帰って、苦手な宿題に想いを馳せていた私は、葉書を眺めながらお母さんが言った言葉に思わず冷蔵庫から取り出した麦茶を落としそうになった。

ハル君……ハル兄は私と十と三、離れた幼馴染のお兄ちゃんで、斜向かいのお家に住んでいた。

お仕事を始めてから一人暮らしをしていたけれど、時々帰って来てくれる。

私にとっては大好きなお兄ちゃんのようなひとで、穏やかで大人!!って雰囲気のハル兄には今までたくさんお世話になってきた。


「な、何で急に?」

「何をどもっているの。別に急じゃないでしょう、ハル君だってもう三十も近いんだし……二十七になるのかしらね?」


私が十四歳だから、ハル兄は二十七歳で間違いない。

確かに、結婚していてもおかしくない年齢、なの、かな。


「ほら、ハル君と同い年の……なっちゃんから結婚したって葉書が届いてね」

「ナミ姉から?」

「そう。なっちゃんのお母さんがやきもきしていたけれど、納まるところに納まるものねえ」

「……おばさん、ハル兄にもそういう人がいるって言ってた?」

「恋人はいるみたいって言ってたけど」

「えっ」


……そっか、そうなんだ。

そういうの、全然おかしくないんだ。

ハル兄は大人で、大人に恋人がいるっていうのは、結婚するかもしれない、ってことなんだ。

そんなの当たり前のことなのに、全然想像もしなかった。

ハル兄はハル兄のまま、ずっといてくれる気がしてた。


「ハル兄の恋人ってどんな人?」

「ええ、お母さんそこまでは知らないわよ。パッチワークの時に、恋人はいるみたいだけど結婚する気はあるのかしらあの子、って言っていたのを聞いただけだもの」

「そっか……」


どんな人なんだろう。

大人っぽいハル兄の恋人だから、きっとうんと美人で頭が良くて、優しくて。

結婚するのが普通のような人なんだろうな。


……何だろう、何でこんなにもやもやしているんだろ。


「まあ、ハル君はしっかりした子だし、男の人の二十代後半なんてまだまだでしょう、って話はしたけれど、実家に帰ってきてはいるのに一度もそういう紹介をされたことがないって言っていたから……」


葉書をウォールポケットに入れながら、お母さんはのんびりと「早くいい知らせが聞けるといいわねえ」なんて笑ったけれど、私はそれを聞きたくないなあ、と思ってしまっていた。

大好きなお兄ちゃんが取られちゃうみたいで、寂しいのかな。

別にハル兄に聞かれたわけではないのに、そんな感想が妙に後ろめたくて、私は大慌てで麦茶を飲んで、部屋に戻った。


「ハル兄の結婚、かあ……」


宿題に手を付ける気にはなれなくて、ベッドに突っ伏して想像してみる。

ドラマに見るみたいなキャリアウーマンの美女!!っていうのはちょっとイメージじゃないような気がする。

ハル兄なら、きっともっと優しい雰囲気のひと。

看護士さんとか、お花屋さんとか……そういう感じかなあ。

あ、でもハル兄はとても頭がいいひとだから、恋人も頭がいいひとじゃないと釣り合わないのかもしれない。

そうしたら、学校の先生とか、研究者の人とか……。


「あとは……ハル兄と同じ仕事のひととか……?」


そういえば、ハル兄はどんな仕事をどんな人としているんだろう。

ハル兄とおしゃべりするときの話題は大抵私の話で、部活のこととか、テストのこととか、友達のこととか……ハル兄はいつも優しく笑いながら聞いてくれるけれど、ハル兄の話はあんまり聞いたことがない気がする。


多分、大人の話は私にはつまらないだろうと思っていてくれるからだろうと思うけど、ハル兄がする話はおばさんの話とか、私にも分かるような柔らかいことばかりで、ハル兄自身のことってあんまり話さない。


……あれ。

大好きなお兄ちゃんなのに。

私、ハル兄のこと、本当はあまり知らないのかもしれない。


「……!!」


急に寂しくなって、飛び起きる。

机に置いてあったノートとペンを掴んで、私はハル兄について知っていることを思いつくだけ書き出してみた。


名前、誕生日、年齢、血液型、住んでいるところ。

それから好きな飲み物と食べ物、行っていた学校、今のお仕事の名前。

私のことを、「ちいちゃん」と呼ぶこと。


一生懸命思い出そうとしてみたのに、知っていたのはそんなことばかりで、私、ハル兄の好きな色さえ知らないかもしれない。

でも、それよりも。


「……何で……?」


大好きな幼馴染のお兄ちゃん。

それなら、今書き出せたものくらいで、知っていることとしては構わない気がする。

でもそれなら、何が、どうしてこんなにショックなの?


その日はとても宿題なんて手につかなくて、私は次の日数学の先生に叱られてしまった。





「どしたの、ちいが宿題忘れるなんて珍しいよね」

「だよね。ちいってそういうところ真面目だもん」


小学校と中学校の顔ぶれがほとんど変わらない私たちは、小さな頃からのあだ名が変わらず残っている。

そんなわけで、背が低めで体が小さい私は、小さい、のちい、があだ名で、未だにそう呼ばれているんだけど。

それはともかく、友達にそう言われて、私は何て答えたらいいのか分からずに「ううん」と唸ってしまった。

確かに、私は宿題を忘れることはほとんどない。

真面目、というより、小学校の時はハル兄が時々宿題を見てくれていたから、忘れない、ということ自体が癖になっている、というか……。

……ああまたハル兄だ。


「何か悩み事?」

「悩み事、ってわけじゃないんだけど……」

「うん」

「昨日、ちょっと考えちゃったことがあって、そうしたら宿題が手につかなかったというか、忘れちゃってたというか」

「それって悩みじゃないの?」

「……悩みなのかな」


悩みと言われれば、そうなのかもしれない。


「なになに、聞くよ?」

「うんうん」

「ええとね……自分でもよく分からないんだけど」


自分で分からないなら、訊いてみたらいいかもしれない。

そう思って、私は昨日の話を友達に話してみた。


幼馴染のお兄ちゃんがそろそろ結婚していても不思議はないこと。

恋人はいるらしいこと。

でも、それが寂しい気がすること。

大好きなお兄ちゃんなのに、意外とお兄ちゃん自身のことを知らないということに気付いてしまったこと。

それがまた、寂しいこと。


「上手く言えないんだけど……何か、そういうことを考えていたら、ぐるぐるしちゃって」

「え……」

「……それってあれだよね、ちいがずっと言ってる、『ハル兄』ってひとのことだよね」

「うん」


そうだよ、と頷くと、友達は二人で顔を見合わせた。

それからそれってさあ、と呆れたみたいに私を見る。


「別に何も不思議なことじゃないと思うんだけど」

「え、どうして?」

「だってそれ、好きなんでしょ?」

「うん」

「いや、何か違う、そのうん、は違う。そうじゃなくて、幼馴染のお兄ちゃんとして好きなんじゃなくて、男の人として好きなんでしょ?」

「そうそう。恋してる、ってこと」

「…………え?」


男の人として、ハル兄を「好き」?

「恋」してる?


「…………えええええええ!?!?!?!?」

「ちょ、そんなに驚くことじゃないでしょ?」

「え、や、だって、だって!!」

「今の話聞いてたらうちら、そうとしか聞こえなかったけど」

「だ、だってハル兄、すっごいすっごい大人なんだよ?十三歳も年上なんだよ?」

「それ駄目なの?」

「う、わ、私は駄目じゃないけど、ハル兄が駄目でしょ」

「相手が駄目かどうかは、ちいがそのひとを好きかどうかには関係がないと思うんだけど」


う。

高校生のお姉ちゃんがいる友達のずばりとした言葉はもっともで、確かにハル兄が子供の私をどう思うかは別として、私がハル兄が大人なことを駄目な理由だと思っていないなら、ハル兄が大人であることは「私がハル兄を好きかどうか」には、関係がない。


「え、えええ……?」

「いや待って、暗示に掛けたいわけでも思い込ませたいわけでもなくて。そうじゃないの?って話ね?」

「そうそう、うちらに言われたから好きなのかも!!って思いこむんじゃ駄目だよ。ちいがその人をどう好きか、って話だからね?」

「う、うん」

「でもさ、相手が結婚するかも!!っていうのが嫌だったり、その人のことを知らないのが寂しかったりって、そうじゃないの、って思うわけ」


……二人は私と同い年なんだけど、どうしてこんなに大人なんだろう。

言葉にはしなかったのに、二人は私のその気持ちに気付いたように、可笑しそうに笑った。


「ちいがそういうのに興味なさすぎたんだよ」

「そうそう、雑誌とかテレビとか漫画とか、恋バナなんてたくさんあるし、女子はそういう話すごく好きなのに、ちいってそういうのあんまり話に入ってこないじゃん」

「だって……」

「っていうか、みんな思ってたよ。ちいは年上の人が好きだから、うちらがするような恋バナだと違うんだろうなーって」

「えええ!?」


年上の人が好き!?

そんな噂が立ってたなんて、知らなかった。


「何かちょっとそれ違うね」

「あ、そっか。年上が好き、なんじゃなくて、好きなひとが年上、って噂だっけ」

「そんな感じ」

「だからむしろちい自身に自覚がなかったって方が驚き」


容赦なくずばずばと言われて、顔から火が出そうになる。

だってそれ、ハル兄のことが好きだって、私自身に自覚がなくても周りからはそう見えてたなんて、恥ずかしすぎる。


「……二人からは、私がハル兄をお兄ちゃんとしてじゃなくて、男の人として好きなように、見えてた?」

「思いっ切り。ハル兄がね、って話し出す時のちい、まるっきり恋する乙女だったもん」

「あれ、自慢のお兄ちゃんについて話すときの態度じゃないよね」

「うわああああ……!!」


断言されてしまったら、もう恥ずかしいなんてものじゃない。

思わず机に突っ伏して顔を隠してしまった私に、二人は思い切り吹き出した。

ひどい、と思うけれど、言われてしまえばもっともすぎて、二人を責めることなんてとても出来ない。


「へー、でも恋の悩みで宿題忘れる……」

「いやあ、春ですなあ」


冷やかすような二人の声を聞くだけで火が出そうで、私は耳を押さえて頭を抱えてしまった。






「……うーん」


二人の言うとおり、のぼせた頭では暗示にかかったみたいに信じてしまいそうで、私は家に帰ってから一人で落ち着いて考えていた。

ゆっくり、順番に考えてみよう。


ハル兄が、好き。

これについては、疑う余地は少しもない。

小さい頃からずっと、大好きなハル兄だ。

うん、じゃあこの感情は、妹としてなのかな。

それとも女の子としてなのかな。

どちらにしても、取られちゃうのが嫌、っていう気持ちは成り立つと思う。

じゃあ、何を基準に判断したらいいのかな。

取られちゃうのが嫌、っていうのは、ハル兄に一人でいてほしいの?

それとも、ハル兄の隣には、自分がいたいの?

……うん、これを考えるのが良い気がする。


「……うーん……」


ハル兄に一人でいてほしい、っていうのは、違う気がする。

その気持ちでいるのは、我儘っていうか、ええと、ひどい。

それじゃ、私が隣にいたいと思っているの、かな?


「…………」


ハル兄の、隣に。

ハル兄の、恋人に。

なりたい、の?


「……!!」


ぎゅっと、喉の奥がしまるような感覚。

息が苦しくなるような、どくん、って心臓が跳ねるみたいな。

そんな感じになるのは初めてのことで、私は思わずシャツの胸を掴んで息を飲み込んだ。


だって、だって、ハル兄はずっと大人で、私なんてまるで子供で。

ハル兄が私に優しいのは、ずっと見てきた妹みたいな子供だからで、そんな私がハル兄のことを、男の人として好きだなんて言ったって、ハル兄を困らせるだけだって分かってる。

なのに、この気持ちは、大好きなお兄ちゃんのことを考えるような気持ちじゃない。


「どう、しよう……」


小さな頃は、間違いなくお兄ちゃんとして大好きだった。

お母さんがパッチワークをしている間、一緒に本を読んでくれたり、お絵かきをしてくれたり、傍にいてくれた優しいお兄ちゃん。

遊んでいて転べば助けてくれたし、宿題が難しいとべそをかいていたら、一緒に頑張ろう、っていつも手を差し伸べてくれた。

独り暮らしをするときも、時々は戻ってくるから困ったことがあったらいつでも頼って、と笑ってくれた。

ああ、そうか。

私の生活の中には、ハル兄がずっといてくれていた。

幼馴染の、優しいお兄ちゃん。

子供の勘違いだとしても、好きになるのは当たり前なくらいに。

でも、だからこそ同時に思う。

今の私がハル兄に好きだって言ったって、ハル兄はきっと困ってしまう。

だって私はまだ中学生で、ハル兄は立派な大人で。

幼馴染の妹分、まだまだ子供の女の子にそんなことを言われたら、優しいハル兄はきっと、どう断ったらいいかって悩んでしまう。

断られないとは思わない。

ハル兄が私をどう思ってくれているかは、分からない。

好きではいてくれていると思う。

でもそれは、間違いなく妹として、だって分かる。

そうでなくたって、大人のハル兄が子供の私のそんな感情を受け入れたらいけないって、きっとハル兄は思うから。

優しいから、誠実だから。

子供の遊びに付き合うように、頷いてはきっとくれない。


「……子供の私じゃ、ハル兄にそんなことを言ったら、いけない……」


……それなら、大人になったら?

ハル兄の前にちゃんと立てる、大人になってからなら?

……あと、六年は必要になる。

大人として認めてもらうまでにはまだ長い時間が必要で、その間にハル兄は結婚をしてしまうかもしれない。

でも、今の私がハル兄に男の人として好きです、って言うことが出来ない以上、それは仕方のない時間。

それなら、駄目かもしれないけど、その間に自分を一生懸命に磨いて、ちゃんと大人になってからハル兄に、女の子として見てもらえるようになるしかない。


「……ハル兄」


待っててね、って、言えるなら言いたいけれど。

そんなことを言えば、好きだというのと同じことで、やっぱりハル兄を困らせてしまう。

だから、駄目かもしれないけれど、その小さな可能性に賭けて頑張るしかない。


「……頑張る、から」


かみさま、少しだけ、チャンスをください。

もう絶対に宿題を忘れたりしないし、勉強も運動も、お母さんの手伝いもみんなみんな頑張って、ちゃんとした大人になれるように頑張るから。


大きく息を吸い込んで、私は立ち上がった。







「……ええと、それで、お義母さんのところに行って、ハルさんのこと色々訊いて……もしハルさんが結婚をしそうだったら教えてください、ってお願いして」

「……」

「すごくびっくりされたから、ハルさんには内緒にしてくださいってお願いして、それからちゃんとお話して。それで、十九歳のときにハルさんに自分から会いに行ったの。あ、だから大人になるより半年フライングしちゃった。待ちきれなくて」

「……とりあえず、どうして母さんが突然ぴたりと結婚しないのかって言い出さなくなったのかはよく分かったよ」


大きく息を吐き出して、ハルさんは肩を落とした。

あれ、それは知らなかったな。

おばさ……お義母さん、そんな協力をしてくれていたんだ。


「最後の恋人と別れたって話をした時も、また婚期が遠のいたって言われるかと思っていたのに、そう、いいんじゃない、まだ、みたいなことをあっさり言われたのもそれだね。母さんは君が娘になった方がはるかに嬉しかっただろうから」

「そうかな」

「ああ、そういえばもっと頻繁に帰って来いって言われたり……言われてみれば、思い当たる節が色々思い浮かぶ」

「ちなみに、ハルさんが帰ってきたときはお義母さんから連絡をもらって煮物とか届けてました」

「……母さん……」


ハルさんは額を押さえてしまったけれど、私にとってそれがどれ程心強かったか。

お義母さんにとっても私はとても子供で、自分の息子のお嫁さん、って考えるにはきっと思うところもたくさんあったと思うのに、ハルさんに会いに行くまでの五年と少し、そうやって陰に日向に支えてくれたんだと思う。


「でもやっぱり怖かったよ」

「怖い?」

「六年は長いもん。その間にハルさんが結婚しちゃう可能性はずっとあったし、大人になったからってハルさんが私を女の子として好きになってくれるとは限らない……っていうか、可能性としてはすごく低いと思ってた」

「どうして?」

「だってやっぱり、ハルさんにとっては妹分なんだろうなって、大人になるまでの間に何度も思ったから」


何だかちょっと痛そうに、ハルさんが眉を顰める。

そんな顔をしてほしいわけじゃなくて、例えばハルさんが帰ってきたとき、バレンタイン、そういう時にハルさんと話すと、子供扱いされているなって思うことは何度もあったけれど、それは子供なんだから仕方ない、って自分の中でちゃんと消化できていた。

子供なんだから、子供扱いされるのは普通。

でも、ハルさんにとってはまだまだ「恋愛対象外」なんだって、その度に思い知ったから。


「だから、怖かったの」

「……うん」

「ハルさんは覚えてる?私が精一杯大人ぶってお洒落して、ハルさんにちゃんと自分から会いに行った日のこと」

「覚えているよ」

「あの時ね、偶然だね、久しぶりに会えて嬉しい、みたいな態度を取ったでしょう?全然平気なふりをして」

「そうだったね」

「でもあの時、一番怖かった。膝ががくがくしていたし、手も冷たくて。出来ることは全部頑張った、でもハルさんにとって何一つ変わってなくしか見えていなかったらどうしよう、って」


声が震えなかったのは奇跡だって、今も思う。

そのくらい私はすごく緊張していて、五年と少しの努力をあそこに全部詰め込んでいた気がした。


「だから、ハルさんがあの時恋人はいないよ、って言ってくれたの、すごくすごく嬉しかった。勿論だからすぐにどう、ってことはないって分かってたし、これからアタック開始!!って始まったばっかりだったけど、かみさまがチャンスをくれたんだって思ったの」

「……そうか」

「これからハルさんに女の子として見てもらえるか、真剣勝負、って。ハルさんの中にいる妹の私に、今からの自分が勝てるかどうか、頑張らなきゃって。片想い歴、長いでしょう?」


冗談めかして笑ったつもりだったのに、あの時の緊張がぶり返してきてしまったのか、ほんの少し、声が震えた。

黙って微笑んで、ハルさんが私の頭を撫でてくれる。


「……だからね、どうして、とか、いつ、とかなら十四歳の時。その時にハルさんが好きだって自覚して、どうしてかは……うーん、ハルさんだったから、としか言えない気がする」


ハルさんが大好きで大好きで、それが気持ちが大人になるにつれて恋になってしまっただけだっていうなら、もうそれはハルさんだから、ってことなんじゃないかなあ。


言葉が出なくてごめんね、と伝えたら、ハルさんは首を横に振って「十分すぎたよ」って微笑んでくれた。


「……ごめん」

「え、どうしてハルさんが謝るの?」

「十四歳の君に。私が困ると思って気遣ってくれた君に謝らないといけないと思ったから」

「仕方ないよ、ハルさんは大人で、二十七歳の時に十四歳の私に告白なんてされたら、きっとすごく困ったでしょう?」

「……どうかな、今はもう分からないけれど……でもそうだね、君に対しては子供の憧れを勘違いしているだけだよ、と諭していたかもしれない」

「大人だもん、それが普通だよ」


自分が当時のハルさんと同じくらいの年齢になって、つくづく思う。

ちゃんと六年、我慢してよかったって。


「……」


ハルさんに言ったらきっと困らせてしまうと思うから、一生言わないつもりでいるけれど。

ハルさんがどうして振り向いてくれたのか、私は今も時々分からなくて不安になる。

背伸びをして大人ぶったって、私は今もやっぱりハルさんよりもずっと子供だから。

でも、それは一生口にはしないから。


「……はーるさん」

「うん?」

「振り向いてくれて、ありがとう」

「……こちらこそ。私を好きでいてくれて、ありがとう」


やっぱり困ったように笑ってくれるハルさんが、ずっとずっと好きでした。

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