シーン3 最初の一手

〔長い間お疲れさま。夏雄の頑張りは大学時代から知ってるので、今回の廃業残念です。ひと段落ついたら、久しぶりに呑みましょう。神崎 賢哉〕


 私も利用している実名制のSNSで、吉川夏雄の名前を調べた。2月中旬に会社の廃業の挨拶があったが、その悲痛そうな言葉と裏腹に、思いのほか、明るく書かれた挨拶に少し感心した。並ぶ励ましの中にあったのがこのコメントだ。


 プロフィールを辿ると都内のC大学で準教授として働いているようだった。ウインドウを共有してアリスにコメントを見せる。


<ねぇ、この人知ってる?>

<神崎さん…ですか?>


 唇に人差し指を押し当てて、首を傾げる。思い出す素振り。少しワザとらしいが、珍しくもない仕草。私も自然とこんな風に出来ればいいのに。ちょっと羨ましく思う。そして彼女はすぐ思い出した。


<以前、父の口から名前を聞いたことがあるかも。C大学にお勤めなんですね。両親の母校です>

<さて取っ掛かりが決まったわ。まずは、神崎さんと、お父さんに、私からメールを出してみる>

<エリカさんが、父にですか?>

<ええ、ひょっとしたら私が出したなら返事が返るかもしれない>


 一瞬見せる怪訝な表情。私もその理由はあえて口にしなかった。彼女は既に察しているかもしれない。それならそれでいい。離婚に際して何かしらの取り決めがあって、そのことで必要以上に母親を恨むかもしれない。私も親を恨んだものだ。訳もなく。


 共有を受け、机に置いたままだったメモを手に取り、開いたアドレス帳のウインドウに置く。紙の感触が消えて、〔吉川夏雄〕の一行が追加される。


 ネットで知り合った年の離れた友人。相談を受けて連絡を取った。そんな風に綴って、アリスの気持ちを幾分補完して訴え、お会いしたいと添える。最後に探偵業をしているので何を内密にしなければならないかは心得ているとして締めくくった。私はおせっかいを焼いてるが依頼を受けていない。建前はそんな感じ。


 メールの送信ボタンを押しながら、何の気なしに尋ねた。


<ねぇ。どうして今日は拡張現実のアバターだったの?>


 私はストローでコーラを飲みながら話す。拡張現実アストラルでの会話は、必ずしも発声器官が自由である必要はないからだ。


<私、体が弱くて、ほとんど外に出られないんです>

<出れらない??>


 一瞬、何のことかわからなかった。


<外出、出来ないんですよ>


 アリスは困ったような笑顔を見せる。平静を装ったつもりだが、動揺が、ストローを加えたままの私の顔に出ただろう。


<そっか…。じゃあ、でもどうするの、お父さんと連絡取れたら直接会えないじゃない>

拡張現実アストラルで面と向かって話せればいいです>


 うつむき加減で少し暗くなった。話題を変えてみる


<ねぇ、学校はどうやって通ってるの>


 努めて明るく聞く。アリスも気を取り直した様子で答えてくれた。


拡張現実アストラルで通っています。特別な学校でアバターでの出席を認めてくれるんです>


 言葉を探す私の視界にメールの受信が通知される。神崎からだった。居場所は知らないが必要なら、今日の午後いつでも訪ねてくれていい。そう書かれていた。


 共有してメールを見せる。


<これから会いに行くわ。一緒に来る?>

<ごめんなさい。母なんですけど、勘のいい人なんです。だから、気付かれないように、学校の友人を自宅に招いています。そうすれば、私も目の前でソワソワしないで済むと思って>

<分かったわ。ここで別れましょう。後楽園に向かうわ>


 腰を上げると、アリスも続く。


<じゃあ、ここのお支払いは私が>

<気にしないで、これは年上の友達が、おせっかいを焼いてるの>

<でも、いいんですか?>

<気にしないでこれぐらい>

<ありがとうございます>


 深々と頭を下げて、シャボンのエフェクトで消えるアリスを見送る。レジに向かった。視界で残高を確認する。いい恰好をしておいてから、後悔する。太一から、先週の迷い猫探しの報酬をまだ貰ってなかった。思ったより心もとない。私はそれなりに渋い顔をしていたに違いない。そして10分ほど後には、新宿駅の中央線快速ホームから東京行に乗り込んだ。

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