シーン16 有為転変は世の習い
「なるほど。となると坂田はあんたらの共犯てワケだな」
俺が訪ねると他愛無い事のように答えた。
「そうなりますね」
「あんたらに脅されてた。そんなところだろう。幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わるように行動しなければならない」
「ソクラテスですね」
「お前は実際はそう生きたいんじゃないのか? なんでこんな事に手を染めてる」
「貴方のことは嫌いじゃない。少しお話ししましょう。シャーロック事件ってご存知ですか?」
「アメリカのコンピューター企業IAMが人工知能を利用して大規模な自動売買を行って市場を混乱させたあれか」
「私達姉弟は比較的裕福な家庭に生まれました。父は名の知れた投資家でしてね。ですが禁止されている非制限人工知能シャーロックと金融工学を駆使した自動売買によって市場は乱高下。父の投資対象はひと月足らずの間にすべてマイナスになりましてね。その後はお決まりのパターンです。両親は自殺。私達姉弟は施設で育ちました。身寄りのない僕らはまともな生活を送るのに裏家業に手を染めたって訳です。組織の世話になってね。綺麗ごとだけじゃ生きて行けない」
「お喋りしている時間もないので、そろそろ眠ってください」
「電気スタン弾か」
「ええ、お命までは貰いません。でも、八神さんは交渉の材料として頂いて行きますよ」
「時間稼ぎ、ご苦労様」
振りむくと、八神幸子が立ち上がり、チョーカーを首に付ける所だった。スーツの男が握るピストルの銃口が谷崎の弟の方を向いている。サイレンサー特融の銃声とともに、バリバリという、スタン弾の放電の音が聞こえ、隣で谷崎の弟は卒倒した。戸口を向くと、A2と呼ばれた男は腑抜けのように立ち尽くしている。
「もう大丈夫。二人は人工知能に遠隔制御された端末に過ぎないわ。すでにこちらの制圧下にあります」
そう言い放った。
「
俺は自分の拳銃を拾いながら、
「諸行無常ね」
彼女はそう応じた。
◇ ◇ ◇
私は立ち上がって、ズボンを掃う。ここで平澤が出てくるのは意外だった。関与しているのは分かっていたけれど。
「アンタが黒幕よね」
「いやいや、滅相もない。私は善人だよ。もっと状況を把握してくれていると思ってたが」
「把握してるわよ。善人のわりに悪どいじゃない。私達はあんたの策略の上で踊ってたんだから」
タバコの匂いと共に、平澤の後ろからロートルが現れる。私のそばに来て、気を失った谷崎絵美を見下ろす。
「こいつは谷崎の姉か・・・。これお前がやったのか? 信じられん。なかなかの腕っぷしだな」
そう言って、ひも状の長いプラスティックを持ち出す。それを使い、彼女の左右の手首を纏める。
「何それ?」
「インシュロックのデカい奴だ。良くケーブルを纏めるのに使うだろう。知らんのか」
禿はこのクアンタム・アシストについては何も知らなそうだ。これはひょっとすると都合がいいかもしれない。黙っておくことにする。
「お疲れさまです。文月さん」
「こりゃ、平澤さんですか、奇遇な所でって訳でもないですな。よくよく考えると」
「ええ、そうですな」
白々しい挨拶が終わる。別に近づいて来るときから平澤が居るのは分ってるだろうに。
「さて、俺にも聞かせてくれ。お前とは賭けをしていたな。答え合わせをしてやる」
「何よ。偉っそうに。岡部さんは居たの?」
「いや。居ないね」
「ならこの弁護士先生がご存じよ」
「俺もそう聞いてる。そうですな。平澤さん」
「これでたぶん岡部も家に帰れるでしょう」
「なら主犯格を仕留めた私の勝ちでいいわね」
「聞いてから決めるさ」
「いいでしょう説明してあげるわ。クレジットの利用履歴から考えると岡部さんは、一人旅よ。でも平澤さんは不倫に話を合わせて来たわ。その上で、浮気相手の女性と上司の情報を提示してくれた。だから貴方たちが坂田と会い。八神幸子を探すことを望んでいるは分かった。何のために?」
「そこで繋がったのが、部屋に入った時のセリフよ。自分達が尾行させてるなら、『どうやらちゃんとついて来てる』なんて言い方しないわよね」
「聞かれていましたか」
「
平澤もタバコに火を点けて、深く煙を吸い込む。
「五菱は今でも軍需製品にシェアがあるわ。谷崎達は坂田の横流から装備を入手していた。岡部さんはその証拠を意図せずに掴んで、脅されたから身を隠したのね。彼はシラを切ったけど、八神幸子を知っていたはずよ。彼女は今日まで谷崎達とは一度も顔を合わせていないんじゃないかしら」
「どうしてそう思う」ロートルが聞く。
「平澤さん、黒幕を引きずり出す為に、八神幸子は身分をあえてぼかして、岡部さん同席で、坂田に会ったんじゃないですか? 二週間ちょっと前に。そして全てを話せば悪いようにはしない。そんな風に伝えた」
「ご明察」平澤が感心した顔で言う。
「そのまま岡部さんは身を隠した。だから私達に二人の捜索を続けさせるために黒幕、谷崎絵美は、浮気相手だなんて言って話を合わせたのよ。そこに居ると思ってね。平澤さん、北海道に居るわけでもありませんよね」
「そうですな。北海道に居るのはうちの事務所のバイトです。クレジットだけ持たせました」
「では、どちらに?」
「かくまっています。こんな時に使う別宅がありましてね」
「ところで、弟は兎も角、姉はどうして俺たちに会う必要があったんだ? カウンセラーは坂田が話さなかったら浮かばなかった線だ」
「尾行の報告で私たちに興味を持ったのね。正確にはその・・・。」
「ああ、なるほど。そう言えばそうだったな」
「あんまり気分良くないからそのことには触れたくないわ」
ゴホッ、ゴホッ。私は咳き込む。
「ねぇ、ロートル。いえ所長。これで私を雇うわよね」
我に返ると服は汗でベトベトで、たぶん顔も埃だれけだ。ここまでして何も報われないなんて考えたくはない。私は期待を込めて聞いた。そして、だめなら言いくるめてやる。当然だ。
○備考
本文中の
本文中のソクラテスの格言は以下のページから引用させていただきました。
「ソクラテス『幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わるように行動しなければならない。』|インクワイアリー」
http://www.a-inquiry.com/4sei/socrates/031.html
※翻訳の本来の出典が分かれば、引用元の記述を書き換えさせていただきます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます