シーン15 夏の夜の夢~後編~
俺は銃を片手に、扉を開けてワンルームの部屋に飛び込んだ。まず目に入ったのはスーツを着た男。左手にチョーカーを持ち。右手でサイレンサー付きのピストルを突きつける。相手は椅子に座る八神幸子だ。彼女はこちらに気付いて叫ぶ。
「太一さん。今すぐ逃げて! 早く!」
そんな暇はなく、背中を固い棒の先でつつかれる。銃口だろう。この感触は多分こっちもサイレンサーが付いてる。部屋にいるのは我々四人だけだ。
「また会いましたね。文月さん」
声からして、今朝の細い目の男だろう。
「死刑前夜のソクラテスを語る男の生業がこれとは恐れいるぜ。奴は悪法も法だと言って処刑された男だぞ」
「確かに私の行為は倫理的ではないですね。ですが、それがどのように成り立つのかには興味があります」
「あの時から俺たちを尾行してたって訳か」
「ご明察。銃を捨てて、両手を上げてもらえますか」
俺は素直に銃を置いて両手を上げる。そこにガキから音声チャットが入る。
<こっちに戻れない? かなりまずいわ>
<今は無理だ。手が離せん。そっちでなんとかしてくれ。終わるまで持ち堪えてくれ。なんなら逃げろ。スニークを解くなよ>
<もう関係なさそうだわ>
行ってやりたかったがしばらくはここを動けまい。
「岡部さんが狙いか?」
「似たようなものです。彼は見なくていいものを見ました」
トリガーを引き絞る動作が突きつけられた銃口から伝わる。その瞬間。引き金が引かれるより早く。おれは振り返って左手でピストルをつかんで捩じった。自然ともみ合いになる。そのまま体重をかけて相手を壁に押し付ける。手から離れたのを奪って、男の頭に銃口を突きつけた。
銃声と共に俺が握ったピストルは手を離れて床に転がる。八神幸子に銃口を突きつけているのと寸分たがわぬ容姿の男が戸口で銃を構えていた。機械人形か。こいつらの精度の高い射撃は厄介だ。
「A2良くやった」
「文月さん。貴方が侮れないことが分かったので用意した2体目が役に立ちましたよ」
細い目の男は転がったピストルを拾う。再び銃口を俺に向ける。右手首のブレスレットが気になった。見覚えがあった。
「お前、カウンセラーの谷崎絵美の弟なのか」
「よくお分かりになりましたね。その通りです」
◇ ◇ ◇
息ができない。頭が脈打ち、意識が遠のく。唐突に地面に尻もちをついて呼吸が楽になる。私は必至で空気を吸い込んだ。
「どうかしら? 気持ちよかった?」
谷崎はこちらを見下ろして言う。私に手を伸ばし立ち上がらせようとする。手を払いのけて自分で立ち上がる。
「強情ね。もう一回味わいたいの?」
スリリングを通り越してまさに悪夢だ。私は怯えた振りで後ろずさる。それを見て興が乗ったのか、谷崎は何処からか取り出した鞭を手に持ちしならせる。
「こんどは逃げてみたいの? 無駄だってわからせてあげるわ」
口元の優し気で柔和な微笑み。そら恐ろしい。
「わかってるでしょ。私には貴方は丸見えよ。スニーク・アプリは一般的だから対策は立てやすいの」
視界の端で、見慣れぬアイコンが光る。よく見ると、
「何をするつもりか知らないけれど、無駄よ」
谷崎は一歩迫る。私は後ずさる。
視界の端に半透明のウインドウが開く。日本語で〔非殺傷戦闘のアシストを開始します〕と表示されている。続いて〔状況認識中〕と続く。新聞の記事を思い出した。
私の意思とは無関係に、足が右に一歩踏み出す。
「あらこれが当たらないのね。素敵だわ」
彼女の鞭が手元に戻る。私はそれを避けたらしい。
〔情緒補正実施〕と表示されており、そのためか、頭がクリアになってくる。彼女は素早く鞭を振り。先端が私を襲うが、クアンタム・アシストに従い、3度それをかわす。補正の効果か、先ほどまでの緊張が理由か、従うことに躊躇いはなかった。開かれているウインドウには非殺傷・勝率70%と表示されている。よくよくそこを見ると〔通信中のサーバ〕と書かれた欄に〔
私がさっき落としたペットボトルが淡く輝く。ほとんど口を付けていない。そんなものがと思う。しかし、アプリは有益な獲物と考えそれを拾わせたいらしい。勝率が10%上昇するとガイドされている。自然に手が伸びるので抗らってみる。アシストの指示は無視することもできるようだった。わずかに勝率が下がる。
谷崎が舌なめずりをして腰を落として鞭を振るう。アシストに従って左手を上げると鞭が絡みつく。引きずられるように引き寄せられ、足がもつれて膝をつく。目の前にあるペットボトルの飲み口をつかんで、立ち上がると、勝率が差し引き77%と表示されていた。
「いい子ね。観念したのね」
そう言う谷崎に近づく動作に乗せて、顎に向かって獲物で突き上げる。彼女の唇に焦燥が浮かぶ。紙一重で交わさられるが、私の右手に握られたペットボトルが予期してたように、その顎を横から直撃する。脳を揺さぶられ、谷崎絵美は、そのまま膝をついて倒れこんだ。アシストの診断では意識を失っていることになっている。私もその場に座り込む。
そこにゆっくりとした拍手が聞こえる。街灯や道路に面したマンションの灯りに照らされて歩いてくるのは弁護士の平澤だった。
「お疲れさまです。見事な腕前ですな。なかなか豪胆なお嬢さんだ」
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