シーン13 八神幸子

 俺は思っていた。ここ江上吟こうじょうぎんに現れるだろうと。それはガキも同だろう。しかし自分から関わって来たのは意外だった。


「お二人はどんな仕事をされているんですか」

「簡単に言うと、便利屋でしてね。こいつは助手です」

「じゃあ今日はお仕事の帰りなんですか」

「まぁ、そんなところです」

 そこにガキが口を挟む。

「幸子さんはどんなお仕事を?」

「私も簡単に言うと、便利屋って所かしら」

「と仰いますと?」

「企業の抱えるある種の問題の相談を請け負う会社」

「かっこいい!! 素敵ですね。そんな仕事してみたいなぁ」

 今度は黄色い声を張り上げる。

「お前。こちらに雇ってもらえよ」

「あら太一さんたらご冗談を」

 八神幸子が上品に笑う。


 酒量が増え会話が弾む。だが、この女も俺も、岡部さんの名前は出さない。ウーロン茶からコーラに切り替えたガキも同様だ。こいつなりに俺と同じ答えにたどり着いたのかもしれん。会話と同様に酒も、ビールから焼酎、冷酒へと進んでいく。もう少し酔わせて送るつもりが、顔を赤く染めるわりに、一向に酔った風に見えない。22時を過ぎた頃、自然に会話が途切れる。彼女は視界に合成された時計を確認したのだろう。帰ると言い出した。


「もう少しいいじゃないですか」

 俺は、さも名残惜しそうに引き留めてみる。

「そうもいかないんですよ。家で人が待ってますので」

「そりゃ残念。ご主人ですか?」

 彼女の田舎は北海道だそうだから、両親であるはずがない。

「結婚はしていないんですよ」

「こりゃ失礼。根ほり葉ほり聞くような事じゃありませんね」

「いえいえお気になさらず」

 彼女は腰を上げる時に、小声で付け加えた。

「大事な人なんです」


 支払いは俺が持つと言った。受け取れないと言って、幾らか置いて帰ろうとする。結局二千円だけ受け取ることになる。机に置かれた紙幣も拡張現実アストラルが作り出したアイコンに過ぎない。俺がそれをインベントリに入れると通用口座に加算される。いつ間にかガキが店内に見当たらない。そういや途中から話に入ってきた記憶がない。あいつの分は払わせようと思っていたが、結局余計に払わされる。出ると店の前で立っていた。


「おい、お前の分の勘定は俺持ちなのか」

「若い女性の食事代は男性が払うべきじゃない? 江上吟こうじょうぎんにちなんで美女を、3人も眺めながら酒を楽しんだんだから」

「なに言ってやがる。ガキの癖に」

「どうせ経費で処理するんでしょ」

 そう言ってから音声チャットで喋り始めた。

<それより見失うわ。尾行するんでしょ。早く出しなさい>

 手を伸ばしてくる

<なんだその手は?>

<持ってんでしょ? 光学迷彩>

<そんな軍隊か、警察の特殊部隊が使うような装備あるわけないだろう? 大体俺は手ぶらだ>

<なんなのよ。あんた、この前、道玄坂ですーっと現れて、すーっと消えたじゃない>

<だが、そんなもんない。話はあとだ。彼女に着いて駅に向かうぞ>



    ◇    ◇    ◇



 私とロートルは昼間と大差ない人込みの銀座で見失わないように八神幸子の後を着けた。その途中、私は服から尾行を見破られないようにスーツで姿を上書いた。こんな時、人目を引く自分の赤毛が気になる。彼女は地下鉄銀座駅のホームに降り、来たばかり車両の端の扉へ乗り込む。一つ手前の車両に乗り込んで様子を伺いながら、優先席前の吊革をつかむ。ふと見るとロートルは服を変えずに乗降扉の脇に立ち、インベントリから折りたたんだ新聞を取り出して目を落とした。


<あんた、尾行してるのにさっきのスーツのままな訳?>

<だから何だ?>

<それにその伸長。遠目に意外と目立つわよ>

<ふん、よく尾行するが。気付かれたことなんてないぞ>

 そう言ってから試案顔をして付け加える。

<もし目立つにしても今回はそれを気にする必要はないな> 

 曲げていた背筋を伸ばす。多分、普段より少ないのであろうが乗客がおり、彼らより確実に頭一つ分高い。八神幸子は中央のシート前の吊革につかまり、インベントリから遠目にもそれと分かるファッション誌を取り出した。中空に固定して、それを熱心に眺め、ページを繰る。時々笑みがこぼれる。よく見れば赤文字系ファッション誌だ。社会に出ても趣味が若い。流されないのには好感を覚えた。


 20分も電車に揺られてただろうか。池袋で雑誌を消して彼女は下車する。そしらぬ顔で後を追う。人込みの先に彼女が見える。有楽町かJRかどちらだろう。副都心線で和光市方面に向かうなら、銀座一丁目から有楽町線に乗ればいい。江上吟をよく利用するのに銀座が定期区間から大きく外れることも考えにくい。案の定、50メートルほど先で、JRの中央改札に入る。そして埼京線のある3・4番ホームへのエスカレーターを上った。到着した埼京線に乗り込むので、また車両を一つ開けて乗りこむ。電車が発車したところで気付けば横にロートルが居た。尾行に夢中になって正直、このデカい禿のことを忘れてた。


<お前、俺の顔を見て驚くのはどういう訳だ>

 突っ込まれる。顔に出たらしい。

<あんたみたいなデカブツが横に現れたらだれだって驚くでしょうに>

<ははぁ、お前、尾行に神経を集中しすぎて、俺のことを忘れてたのか>

<そんな訳ないわよ>

<それならいい。それより見失うな>

<言われなくたって>


 図星だ。悔しい。意外と慣れるとか経験を踏むってことが必要であることを思い出す。小学生からずっと、努力する他の同級生を横目に苦も無くやり遂げてきた。運動だって勉強なんだって簡単すぎてあくびが出た。だからその単調さにすぐ飽きる割に、経験したり努力しないと習得できないことに出会うのは楽しかった。私が求めてるのはスリルだろうか、緊張感だろうか。他の何かか。


 意外とすぐ彼女は下車した板橋だ。島型ホームでそこから降りる階段は一つしかない。念のため構内図を呼び出すと降りてすぐ左右に分かれてる。改札までもそんなに距離はない。だからあまり離れすぎないように追う。東口改札を出ると車一台分の幅の車道を挟んで広場があり、中央に噴水がある。通りの反対側には近藤勇墓所と書かれたのぼりのある一角がある。そこには記念碑にしか思えない大きな墓石と卒塔婆があった。彼女はその横の道を抜けて行く。私とロートルはそれを追った。



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