シーン12 江上吟の酒

 ナビの情報を共有して、先を歩くガキを追いながら日の暮れた新橋を銀座に。二人して地面に描かれた矢印を追う。意外なことにガード下の店の間に通路があり、山手線の高架下を線路と並行して伸びていく。まるで狭い坑道の左右に店が並んでいるような錯覚を覚える。アメ横のそれと似て独特な、雑多な風情がある。聞いたときから、それほど敷居の高い店は想像していなかったが、そんな中に、俺たちの探している店があった。内側から光る古びた置き看板に店名があり、ミルクでも入っていたらしい皿が一枚。それを挟んで猫が2匹寝そべっている。このあたりの半野良だろうか。


「ここね、江上吟こうじょうぎん

 助手はそう言ってから、メニューを呼び出して何か操作する。ストッキングが白いジーンズに変わり、背広とワイシャツが書き消えて、赤いポロシャツに置き換わる。

「お、お前。スーツじゃなかったのか」

 驚いた俺はなんとか言葉をひねり出した。そりゃ涼し気なワケだ。そんな俺を察して、共有したままの音声チャットから嘲るセリフ。

<迂闊ね、尾行の時まかれるわよ。名探偵なんじゃないの? 自分の基準では>

<ふん、尾行の時はともかく、相手の見せたい姿アストラルを見るのがマナーだからな>

 煙草を探すが、切らしていることに気付く。

<しかしお前、依頼人宅に、そんな恰好で行ったのか、失礼だろうが>

<あんた言ったわよね、相手の見せたい姿を見るのがマナーなんだって>

<ああ、その通りだ>

<私の物理的フィジカルな姿を見ても、依頼人は自分が失礼なことをしたと思うわ>

<そんな問題じゃない。お前のそれは、本当の礼儀じゃない。偽物の敬意で相手をごまかそうって言うのか?>

<さすが、ロートル。古臭いわね>

 認めよう、俺は段々、この跳ねっ返りとのやり取りが面白くなっていた。電車の中でもこいつの推理が知りたくなった。どこかで、こいつを雇ってもいいと思ってるのかも知れない。それとも寡黙で友達のいなさそうな娘のためだろうか。なんにせよ歳は取りたくないものだ。

<ふん、ああ言えばこう言うか>

 助手は怯むことなくこちらを見上げてる。俺たちの来た道から三毛猫が現れて、看板の前で立ち止まる。身構えた二匹を一瞥すると、店の入り口の反対側に行って寝そべり、身繕いを始めた。その先には煙草自販機が置いてあり、会話を終えると俺は自分の吸う銘柄があることを見つけて安堵した。近づきボタンを押す。視界に合成された支払いの許可を求める窓をタップすると、通用口座の残高が一瞬表示されて、引き落とされたことが分かった。

「吸うなら店に入ってからになさいよ」

「へいへい、そりゃごもっともで」

 しかし何かと煙草が吸いにくい。




    ◇    ◇    ◇




 煙草を咎めると意外と軽い口をきく。すこし驚いた。そして禿は引戸を開けて、暖簾をくぐる。私も続いて入った。「いらっしゃーい」とカウンターの中に立つ女将の声。細身なのにふっくらとして肉付きがよく、和服を着ており、我が家にいるのより明らかに母性的だ。昔の良き母親像ってものだろうか。世の男性共はそろいもそろって、こういうのに弱いのかと見回す。店内は涼しく、盆なのにそこそこ客がおり、意外と女性もいる。


「カウンターいいかな」

「どうぞ、どうぞ、どこでもいいわよ」

「とりあえず、枝豆と瓶ビール。それから」

 とこちらを窺うので答える。

「ウーロン茶」

 ロートルはそれを再び、女将に伝えてカウンター座る。私はちょっと緊張しながらその隣に腰を下ろした。

 出された山菜のお通しがやたら美味しい。私がウーロン茶に何度か口を付ける間に、ジョッキで頼んだ方が良かったんじゃないかというペースで二杯三杯と呑み進める。

「なんかオススメあるかな」

 壁に張られたメニューを見渡しながら、嬉しそうにそう聞く。そうやって並べられたマグロの山掛けと、水菜と鶏肉のごま和えを口に運ぶ。当たり前のように私も箸を付けると、一瞬しかめっ面になるが、すぐ表情を戻す。仕事の都合だろう。これが聞き込みでなければ、自分で注文するように言いかねない気配だ。案外ケチ臭いわね。


 私も夕飯程度には食べ終えた。禿は女将と会話をポツリポツリと続け、店名の話を始める。

「しかし、江上吟こうじょうぎんとは気が利いてる。李白ですな、女将さん」

「あら、ご存知なのね」

「聞き覚えがあったので店の前で検索したんですよ」

「ここはねぇ。私の旦那だった人が始めた店でね」

 その旦那が、既に他界したこと、その直後には借金があった事などを語りだした。

 私は既に退屈していた。ふと、探偵社での一件を思い出した。

「あの子のくれたファイル何だったんだろう、気になるわね。必要って言ってたし」

 探偵業に、と言うことなら今更だが、遅れを取ってる事になる。私は拡張現実アストラルのメニューをたどり、銀色のインストーラをタップする。なんのことはない。見慣れたセットアップガイドが立ち上がる。アプリの名前は、クァンタム・アシスタント? どういう意味だろう。終了すると、自動的に起動。初期化が始まる。進捗表示を見ていると、ザワつい感覚に襲われ軽い目眩がする。


「大丈夫ですか?」

 椅子から倒れかけた体を支えてくれたのは女性だった。アプリの初期化は気がつけば終わっていた。

「すいません、助かりました。ありがとうございます」

「お怪我がなくて良かったわ」

 柔和な顔の眼差しに隠れて厳しさを感じる。パンツ・ルックのスーツ姿の女性だ。30歳手前ぐらいだろうか。こんな風になれたらステキかもしれない。

「これはすいません、連れがお世話をかけまして」

 禿が立ち上がり髪のない頭を撫でながら礼を言う。

「いえお気になさらず」

 彼女はそう返して、女将さんに向きなおる。

「ここ空いてるかしら」

 女将さんは自分も焼酎を飲みつつ。手をかまわないと言う風に振る。そしてあとから付け加えた。

「空いてるわよ」

 女性はそう聞くと私の隣に座った。ロートルも席に戻って、ビールを一口呑む。吸いさしの煙草を含む。

「久しぶりじゃない、お盆だから帰省してると思ってたわ」

 ずいぶん親しげな口調だ。

「残念ながら今年は仕事が立て込んでいるのよ」

 女将がビールを出す前に 禿がカウンターに積まれた新しいコップを一つ取って私を越えて女性に渡す。

「あら、すいません」

「さきほどは連れがどうも」

 私にはケチろうとした癖に、瓶ビールを彼女の方に傾ける。

「ありがとうございます」

 そう応じてお酌を受けると、ロートルに尋ねた。

「お孫さんですか?」

 私は一瞬、渋い顔をしたに違いない。きっと禿もだ。女性は交互に顔をみくらべて言う。

「あら、やだ、違ったのね。ごめんなさい、私ったら早とちりして」

「いえいえ、仕事上の付き合いでしてね。私は文月太一、こっちは宮村エリカです」

 メッセンジャーのプロフィールを見たのだろう。いけしゃあしゃあと私を紹介する。

「これはどうも。太一さんエリカさんはじめまして。私は八神幸子です」

 女性そう言ってほほ笑んだ。私たちは顔を見合わせた。

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