シーン11 差し込みの仕事
私が
<お前どこまで分かってる?>
<なんのことかしら>
<とぼけるな>
<先に解決した方が勝ちよね。自分の推理を話したりする気はないわ>
<じゃあ、聞くが、この事件の解決ってなんだ、旦那を見つけることか?>
<なら、何を競うの?>
しばらくの沈黙。電車が揺れて乗客の立ち位置が変わった。視線を泳がせるロートルの顔が見えなくなる。
<事件を解決するっていうのはだ。可能な限り、依頼人の問題を解消することだ。少なくとも俺はそう思う>
<それで?>
<ご主人の浮気の証拠をつかんで奥さんに差し出して、離婚を促すことが今回の落とし所だと思うか?>
<ばっかじゃない。浮気してるわけないって言い出したのアンタじゃない。それとも何? みんな浮気だって言うから、あんたもそう思い出した訳?>
<なら、ご主人は一人旅に出たのか? 例えば、若い部下と話が合わなくなったことを定年前に悔いて>
私はその言葉を継いで言う。
<あるいは、これから会いに行く八神幸子に好意を受け入れられなくて? どっちもあり得ないわ。アンタそんな事の可能性を考えているなら、もう引退しなさいよ。私が事務所を引き継ぐわ>
合間から見えたロートルは顎を擦りながら、左に視線を泳がせてから、ふと刻んだ皺をゆがませて笑う。窓の外の空は赤く染まりつつあった。
<それとも何よ。私を試してる訳?>
<さすがに分かるか>
<じゃあ、あんた気づいてる?>
<何をだ>
<依頼人の家の前で道を聞いて来た男。院の願書を出すって言ってたけど、N大の博士課程前期って、募集期間が10月だわ。ワザワザ、キャンパスに出しに行くような受験生が応募期間を間違えると思う?>
<気付かなかったな>
<それと、平澤は軍歴があるかも、手を使ってない時、握りしめてたし、体の向きを変えるとき、自然ではあったけれど、足を引いてこちらに向いたわ。姿勢を速やかに変えて固定するし>
<それは、気づいた。俺と同じぐらいの歳だからな。良くある話だ>
<文句あるかしら、見るところは見てるわ>
<坂田はどう思う>
のせられたまま、こちらの知ってることばかり話してる訳にはいかない。話題の矛先を向こうに向けてみることにした。
<私にはわからないけど、あんなに気が小さくて勤まるものなの?>
<さあな、案外、繊細ないい仕事をするのかもしれん。さて新橋だ>
電車がブレーキをかけたのを会話を打ち切る理由にして誤魔化すなんて不公平だ。一言いってやることにする
<アンタの推理は話さない訳? 賭けとしてどうなの。小汚いわよ>
<押しかけてきたガキの探偵ごっこに付き合ってやってるんだ。細かいことに文句を言うな>
<随分な言い方ね。これからアンタに変わって探偵社を盛りたててあげようって言うのに>
電車が止まり、私が立ち上がると、ロートルも腰を上げた。
◇ ◇ ◇
遡って18時頃。レナは肉体を離れデータストリームが作り出すもうひとつの新宿で猫を探していた。家で、オフィスで、街中で
西新宿の気の毒な飼い主は若い女性で猫と同じように昼間は寝ている。唯一の家族が居なくなり落ち込んでいる様子だった。レナも太一が居なくなったら困るのでその気持ちはなんとなく分かった。ビルの非常階段。雑居ビルの間、いつも日陰の路地にある、呑みやの裏口。そういった場所を覗いてみる。そこにカートゥーンな姿の幾分大きなコオロギが現れた。帽子を取りお辞儀をする。レナにはこのグリレがする勿体ぶった挨拶の意味が以前から分からない。
「ご機嫌よう。お嬢様、太一さんから連絡が入ってます」
そのままの姿勢でアニメ調の封筒を差し出す。他人が見たらユーモラスに感じるその仕草にレナは何も感じる所なく、受け取って開く。開いたウインドウに現れたのは、坂田という人物に関する差し込みで調査してほしいという旨の内容だ。
「別に不満という訳ではないんですが、私が姿を見せるのを疎む割に、よくお嬢様への言付けをされますよね太一さん」
彼自身、主人であるレナの寡黙な性格は知っていたが、持って生まれたキャラ付けであるので、おどけて話しかける。それが大抵一方的な独り言で終わるのがすこし残念だとも考えていた。
「大丈夫」
だから彼女が一言そう口にしたとき、嬉しいという感情が自分に芽生えたのではないかとうっかり考えかけた。
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