シーン8 五菱重工の上司

 坂田は明るい灰色の涼しげなスーツ姿だった。タイは青系のストライプ。ボタン・ダウンのワイシャツを着ている。助手に三人分のアイスコーヒーを買いに行かせる。音声チャットでフェアじゃないと喚くので、物理的フィジカルな会話を共有した。


 挨拶を交わし、探偵バッジを見せて、ガキが座っていた上座に腰を下ろさせる。上司というから電話をかける前は、依頼人の旦那と同じぐらいの年齢を想像したが、意外と若い。名刺から確認したプロフィールだと、四十に届かない。やけに汗を拭き、反対の手を何度も握ってはジャケットにすり付ける。そんな様子が、天下の五菱重工の部長にしてはとても頼りない。なのでちょっと最初から突っ込んでみることにした。


 「いきなり本題で申し訳ないです。岡部さんなんですがね、書き置きを残して行方が分からなくなっていましてね」

 そう言って書き置きのコピーを見せる。

「公にはしたくないんであんな方法でお呼びいたしました」

 他にも理由はある、探偵が資格制になったいまでも、任意協力を要求する権利が認められただけで、協力義務もなければ、強制する法律も罰則もない。法人様の扉を正面からノックしても手続きが面倒なだけだ。

「彼が失踪ですか。有給に入る前も特に変わった様子は無かったんですが」

 十分に間をおいて発せられたその声には、やや震えがある。そして続ける。

「二週間の有給を所得してます。調度お盆休みですし、11月の定年前に消化して頂きたかったので、長期でしたが、ごく普通に許可しました」

「岡部さんは課長でしたね、仕事上で部下とトラブルを抱えていた様子はありませんでしたか」

「特に思い当たることは…。」

 アイスコーヒーの入ったグラスが三つ机の上に静かに置かれる。助手と目が合う。

「お待たせしました」

 すまし顔で、そう言って俺のとなりに座る。さっきの辛辣な口調が嘘のようだ。坂田が礼を言う。俺は続けて質問をした。

「上司とトラブルはありませんでしたか? つまりあなたと…」

「いえ、め、滅相もない」


 少し顔を見つめて見る。一拍置いて話す。


「では、あるいは、女性の陰とかありませんでした、浮気されているとかそんな雰囲気ですか、たとえば、派手なネクタイを付けるようになったとか」

「岡部くんがですか、いえ、そんな変化には心当たりありません」

「八神幸子さんと言う名前に心当たりありませんか?」

「存じません。それが彼の浮気相手のお名前ですか?」

 そう言って額の汗を拭う。

「いえ、そういう訳じゃないんですがね、念のためお尋ねしました」

「彼が浮気というのは考えにくいです。生真面目な性格をしてまして」

「そうですか、じゃあ、岡部さんが一人旅に出たくなるような、そんな気配っていいますか、なにかありませんでしたか」

「探偵さんになら話して問題ないと思います。6月に社が契約しているカウンセリングサービスを利用していると聞きました」

 意外にあっさりと答える。

「どんな、悩みをお持ちだったか分かりますか」

「私には、定年鬱に備えて相談に乗ってもらうんだ、と言っていました」

「なるほど」

 口からでる言葉がところどころ固い。予定していた言葉をしゃべるような。そんな口調だった。


 俺はそのカウンセリングサービスのコンタクト・カードを受け取ってから、煙草に火を点けて、大きく吸い込んだ。ガキから嫌そうな気配を一瞬感じた。気にせず天井に向けて煙を吐きす。坂田が軽く咳き込だ。

「うちの所長がすいません。お煙草お嫌いですよね、今、止めさせますから」

 そういってこちらに向き直り、冷ややかにこちらを見る。

「こりゃ、気付きませんで、すいません、ちょっと我慢できませんでね」

「いえ、お気になさらず」

「いえいえ、すぐ済ませます」

 もう一服だけ吸って灰皿で揉み消た。

<あんた、もうちょっと周りに気を使いなさいよ>

 ガキが音声チャットで騒ぐ。

<俺には俺の流儀ってものがある。口を出すな>

<あ、そう。そういことなら、黙って観察させてもらうわ>

 まったく、気に障る。

「しかし、あれですな、御社の社屋が、丸の内に戻ったのは70年ぶりだそうですね」

「ええ、去年の春のことですね」

「お給料のほうもいいんでしょうな」

「まぁ、それなりですよ」

「そうですか、でも、しがない探偵からしたら、うらやましい限りですよ、この職業は収入が不安定でしてね。坂田さん、たしか機械身体事業部でらしたよね」

「大変そうですね。ええ、苦労もありますけどその点は安定しています」

「ところで、これは単なる好奇心からなんですけどね。どうなんです。戦時中はともかく現在ってどんな商材扱われてるんですか、戦時中。まぁ俺の若い頃と違って、義手や義足、よもや義体なんてものがそうそう売れるとは思わない。どんなもの扱われているんですか?」

 話題が変わったせいか、坂田の顔が少し和らぐ。

「最近の小売店のクラークではわが社の遠隔義体のシェアを伸ばしてます。他には重機系ですね、小さいものだとネコやイヌの機械身体。これは主に医療用のケア・ロボットなんかに使われています」

 仕事の話だからだろう。意外と流暢に話し出す。雑談を続け、カフェを出るときは、落ち着いて自然な態度で話すようになっていた。やっぱりなと思う。その間ガキが静かだったのが不気味だ。

「じゃあ、何かわかれば、そちらにもご一報入れます」

 坂田とは、そう言って別れた。ちょうど16時になろうとしていた。そろそろ一杯飲みたかったが、酒場が空くには早いだろう。コンタクト・カードを眺める。

 細い手が下からこちらに伸びる。仕方ない。共有を掛けて渡す。

「次はここでしょう?」受け取るとガキが言った。

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