シーン3 ちょっとした賭け事

 部屋に入った探偵を目で追うと、ドアの右手に離れて置かれた、床からまっすぐに伸びあがったコート掛けからハンガーを手に取る。木製で良く使いこまれている。調度として趣を壊しているのは途中で当て木をして補修されているところだ。

 扉の正面、窓の外には、通りを挟んだ向かいの白いビルが見える。それらを背にして雑然とした事務机があり、左右の白い壁を背にロングソファーが二脚。間には机がある。


「お、お前なんでここに入ってきてるんだ」

 顔を戻すとスーツの上着をハンガーに掛けてこちらを向いた探偵が、禿頭を撫でながら、困惑した声をあげている。

「熱いわ、クーラーぐらい入れてからにしない」

「いやそんなことを言ってんじゃない。もういいから帰れ」

「雇ってくれるまで帰らないわ」

 伸び気味の白い眉。両側に残る白い髪。灰色のスーツ。紺を基調とした柄ら物のネクタイ。昨日の晩と同じ服だ。替えはないのだろうか。アイロンだけはあたってるようだ。

「出ていけ」

 大きな体から大きな角ばった手がハンガーをコート掛けに吊るす。その手をこちらに伸ばしてくる。力ずくで追い出すつもりだ。

「廊下に放り出したって、外で喚くわよ、雇ってくれるまで」

 私は避けながら言う。

「ええい、面倒な奴だ、なんで探偵なんかやってみたいと思うんだ」

「私の推理を見たでしょ。天職よ」

「そんの程度の奴いくらでも居るし、推理が出来たって探偵は務まらん」

 今度は左手。避けてソファーの上に飛び乗る。今まで自然な動きで気づかなかったが多分義手だ。皮膚の色が違う。

「腕力ってわけ?、時代遅れよ」

「違う、経験も碌につんでないガキには務まらん」

「何にだって最初があるわ、あんただって、駆け出しだった時があるでしょう」

 もう一度の伸びてきた左手を避けて、向かいのソファーに飛び移る。卓上の灰皿が音を立てて舞い、吸殻を撒き散らす。

「灰皿を蹴飛ばしやがって!!」禿頭は呻くように吐き捨てる。

「やせぽっちのガキなんか雇わん、ともかくそこから降りろ、ソファーが痛む」


 その時、視線に気づいた。禿頭も気づいたのだろう。数秒の沈黙。

「あれ何?」私が指差す。

 今まで気配すら無かったのに、ソファーと壁の間の隙間に置かれた椅子に腰かけ、読みかけの本から目を離して此方を見ている。

 探偵はしかめた顔をその大きな左手で覆った。

「レナ、お前居たのか」苦しげに言葉をひねり出す。

 都立高校のブレザーを着て、白に近い緑がかった髪の少女が此方を見ている。表情に乏しく、気持ちが読めない。しばらくの間、目が合う。赤い瞳が此方を見つめる。

「あなた私と同じね」と彼女に向かって呟いた。

「わからない」抑揚の乏しい一言が帰って来た。

 私にはわかる。緑の髪、色素異常は私たちデザインされた子供の特徴だ。


 我に帰ると、武骨な手に押さえつけられた。ソファーから降ろされるが、もがきながら舌戦を続ける。

「離しなさいよ。あんた、もうガキを雇ってるじゃない」

「アイツは別だ」

「何が違うっていうのよ」

「娘だ」

 私はブーツのヒールで力任せに足を踏んだ。

ーーぅ」

 探偵はうずくまる。

「随分、歳が離れてやしない?」

「ああ、だが娘だ」痛みをこらえた声。

「アンタの娘に勤まって、私に勤まらないこともないでしょう」

 用心しながら距離を取って相対する。

「赤の他人のガキの面倒まで、見れん」

「誰が面倒見ろって言ったのよ」

「ガキを雇うってのはそういうことだろうが!」

「私の推理は探偵社に必ず利益をもたらすわ、むしろ私がアンタ達の面倒を見るのよ」

「寝言は寝て言え」

「あら、アンタ怖いのね、私が自分より優れた探偵だってことを証明されるのが」

「んなわけあるか!」

 随分頭に血が登って来たようだ都合がいい。

「じゃあ勝負よ、次の仕事どっちが先に解決するかかけましょう」

「いいだろう!」

「私が勝ったら雇いなさいよ」

「ああ、かまわん。お前が俺より先に解決出来る分けないからな!」

 探偵は腹を立てながら、私は気が緩んで、しかしその素振りを見せないよう気をつけて、二人して向かい合うソファーに座り込む。

「レナ、冷房を頼む」体格と同じで重い声だ。


 しばらくして、心地よい冷気が部屋に満ち始めた。探偵はネクタイを緩める。途端に私は自分の汗の匂いが気になり始めた。

 次にアダプタ適合機と首の間が気持ち悪くてなって外す。汗を外に逃がすスポーツタイプに買い換えたい。ネットから隔離されると、心細い気持ちになる。事務机の上からは一切の書類が消える。今時、物理的な紙で情報を管理するわけはない。当然だ。壁紙は薄汚れており、染みもついている。ソファーは所々あて布で繕ってある。拡張現実アストラルで部屋に化粧してあったわけだ。速やかに汗を拭いて首をもどす。私の華麗な経歴の出発点としてはいささか冴えない。この際、致し方あるまい。


 探偵は灰皿を机に戻して、煙草を吸いながらもまだ腹に据えかねてるっと言った様子だ。当然だわね。思い出したように振り替えると、彼女は黙ってこちらを見てる。緑の髪はボブ程度の長さでシャギー気味。表情は何かを読み取るには無表情だ。よくよく気を巡らすと弱り顔に見えなくもない。

「私に用事なの?」

 沈黙を破って微笑みかけるがピクリとも笑わない。彼女の手に拡張現実アストラルのファイルが現れる。銀色だ。そのままの表情で私に差し出す。受け取るとヒヤリと冷たい。書かれた図柄からアプリのインストーラだと分かる。

「なにこれ」

「必要」

 静かな声でそう答えて、膝の上の本に視線をもどす。

 この子、大丈夫なんだろうか、いろいろ。


 ワクチンソフトは警告を表示しなかったし、ファイルをインベントリに放り込んで、探偵のほうに顔を向ける。さっきと変わらず、何から何まで気に入らなさそうだ。灰皿で煙草をもみ消して、「明後日、経堂駅の改札に10時に来い」そう呟く顔は、苦虫を噛み潰したようで、実に不服そうだった。私の顔には、してやったりと笑みが浮かんだに違いない。

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