シーン2 赤毛の少女

 ついてない一日だった。昨日の荒事が深夜だったので、起き出したのが昼過ぎ。事務所に向かう途中で日射しを避けて寄ったパチンコでは、どんどん玉が吸い込まれた。次の雀荘では裏ドラまで乗ってて、振り込んだら箱点。だいたい九連宝灯なんて上がれる手かよ、普通に考えて。

 新宿の外れ、ビルの五階、廊下は暗く、こんな季節でも涼しい。壁は薄汚れて灰色だ。事務所前まで来て、トビラに鍵をさしこんだ。俺はサラリーマンなら定年しててもいいロートルで、この古びたビルにはエレベーターがない。階段が正直、腰に堪える。


「みつけたわ!!」背中で甲高い声がする。

 ここに訪ねてくるような若い女に心当たりはない。いぶかしげにゆっくり振り替える。

「なんだお前?」

 赤い色が目を引く長い髪の生意気そうなガキが腰にてを当て仁王立ちで見上げてくる。

「私の名前はエリカよ」

 不敵に微笑み、やけに自慢気だ。

「あんたよくみると、随分緩みきった顔してるわね」

 そいつが次に発した言葉がこれだ。

「うるさい余計なお世話だ」

 調子が狂う、タバコを取り出して言葉を接ぐ。

「なんの用だ、依頼でもなさそうだし、子供が来るところじゃないぞ」

 咥えて火を点けて紫煙を吸い込む。

「あんた、探偵なんでしょ?」

 俺は煙を吐き出して尋ねる。

「お前、どこかで会ったか?」

 よくみると昨晩、チンピラを絞める前に路地から追い返したガキだった。

「なんでここが分かった」

「別にいいけどここ禁煙よ、そこに書いてあるじゃない」

 俺が昔貼った張り紙を指差す。小うるさいし実に生意気だ。

「そんなことはいいんだよ、どうしてここが分かったのかと聞いたんだ」

 ガキはニヤリと笑って、こう答えた。

「簡単な推理よ」

「ほう、聞かせて貰おうか」

「あんたカントのスーツを着て、コネルのネクタイ着けてるじゃない。古びてるけど。両方のブランドが入ってるのは都内だと、新宿の三勢丹デパートだけなのよ」

「ふん、別々に買ったかもしれんだろう」

「靴が決定的、ヴォネガットは日本の代理店を持たなくて何故か明治通りの古びた小売店で店頭販売してるだけだわ」

「根拠が弱いな」

「知ってる人間だけが買いにくるような店の高級靴。主は気に入った人に安価で売る、金持ちには吹っ掛ける。そんな靴、貧乏探偵が身に付けてるなら自明でしょ」

 煙を天井に向かって吐き出す間もガキは話続ける。

「靴底は貼り替えてあるけど、丁寧な仕事だわ。手近でしか服を買わない人間が高くないと思って買った靴の底を張り替えるなら、店が近くて主が安く張り替えてくれるからね」

推理を聞いて少し関心を持った。正面からガキを見る。左手のペットボトルはほぼ空。そこそこヒラヒラした服にジーンズ。黒のショートブーツ。昨日と同じ服を着て、充血した目をしている。目の下にはうっすらとくまがある。

「新宿に目を着けた理由は分かった、なぜ、ここが?」


「あんたの煙草のフィルターにロゴがあるじゃない、吸殻から銘柄が分かるわ。新宿に事務所のある探偵社は五社だけど、あまりメジャーな銘柄じゃないのね、辺りに落ちてるから二社目でここだと確信出来たわ」

「なるほど、だから、ここで待ってたって訳だな」

 ふと見ると随分得意げだ。

「実際には三社目も見に行ったけど、そこにはその銘柄のタバコ、ほとんど落ちてないのよね」

 柄にもなくほめてやる気になった。

「なかなかの推理だな、そして観察力もある」

 そういってやると鼻高々に笑う。

「行動力もある。お前には見所がある。その根性が気に入った」

 そして少し声の調子を変える。

「タフだな。でも徹夜して俺を探したんだ疲れただろう、もう夕方だ。一度帰って寝るといい」

 頭を撫でて優しく「二度と来るなよ」と言ってやる。

 気に食わなかったらしい。ガキは切れた。

「私を何だと思ってるのよ!」

「なんだもなにもないだろう、ただのガキだ」

「私は子供じゃないわよ」

「ガキはみんなそう言うんだよ」

「私の推理力を見たでしょう、雇いなさいよ!!」

「だめだ、だめだ、女のする仕事じゃない、帰れ」

「なによ、この時代に性別で求職を断ろうって言うの、差別主義者!!」

「ああ、そうだな、女でも腕っ節が強いなら使ってやるさ」

 俺は床に捨てたタバコを踏んで消す。

「だけどお前は女である前にやせっぽっちのひ弱なガキだ、雇うわけにはいかねぇんだよ」

「文月さん静かにしてください!!」

 隣のトビラが開いて、普段は物静かな綾瀬が怒鳴る。ネット販売サイトを利用して輸入代行を行っている隣の会社の社長だ。と言っても社員は一人。つまり全て自分でやってる。この仕事で奥さんと子供二人を養ってるんだから相当だ。

「すまん、すまん」さすがに声が大きくなりすぎた。自戒する。

「そう煩くされると仕事になりません、だいたいそこ廊下ですよ、言い争いなら中でやってください」

 そう言われて俺は、じんわりとかいた汗を拭きながら、事務所へ引っ込んだ。やれやれだ。これで、やっかいなガキも追い払える。

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