探偵少女エリカと拡張された事件簿

秋吉洋臣

第一話 女子高生には向かない職業 (完結)

シーン1 エウレカ

 大小のビルの間から、狭い夜空から月が覗く。道玄坂に抜けるはずの路上でクロエは私に支えられながら、目を輝かせて大きな声で言ったのだ。


「今夜のムオトはきっと今世紀最高の選曲だったんだわーー!」


最後の方は叫んでた。


 彼女は酔っていた。人生で初めて物理的フィジカルな酒を飲んで、ぐでんぐでんだった。ムオトは私達がさっきまでいたクラブだ。ミナルとかいう年上の女と知り合って、クラブ・デビューだと話したら随分と親切にしてくれた。勧められてジュースを口に運び、隅の席に腰を据え、三人で随分とグラスを空けた。カクテルだと気付いた時には、そんなことはどうでも良くなっていた。複雑なテンポで体を揺するバスの音が心地よい。ダンスフロアーを挟んだ先、DJブース横のモニターを呆けてみていた。黒い板が直立する絵が時折映るので何のモチーフか尋ねようと、ミナルに話掛ける。ねぇ、あれはなんなのと。その向こうで二人連れの男に連れて行かれそうになる正体を失くしたクロエ。バッカスは去り、頭に血が上った私は遮るミナルを押しのけ、二人を殴ってから蹴倒してクロエを連れて店から逃げ出した。


 それからのことはよく覚えていない。自分が何処にいるか分からない。肩を貸し腕を腰に回して支えながら、時々ご機嫌に暴れるクロエとよたよた歩いていた。

 視界に合成される周辺地図からすれば、まっすぐ抜けると道玄坂のハズだった。アダプタの地図が間違った情報を表示するなんてことがあるなら初耳だ。路地は暗く細く先も明るくない。首に巻いた革のチョーカはいつ何時も、私をネットワークに繋ぎ、処理したデータを五感に合成する。ネットに繋ぐ適合機だ。これが映す地図が信用できないとなったら、何を頼りに知らない路地や街をあるけばいいのか。

 戸惑う私を顧みることもなく「人生に愛を!」と叫んだかと思うと「エリカ~」と私の名前を呼んでキスを迫る。「いい加減にしなさいよ」唇を近づけるクロエを右手で制止する。なおも顔を寄せてくるのを押し返した。左手が弛む。すり抜け崩れ落ちて、大声で笑い出す。飲まされた酒にはアルコール以外にも何か入っていたのか、そう疑い始めたとき、クロエが急に黙って真顔で前方を指差した。


 指先に視線を向けると、地面に黒い革靴にグレーのスーツの裾がみえた。次に暗いなりに先の見える通りに絵でも書くように、裾より上が姿を現す。朝にはアイロンが当たっていたであろう皺のよったスーツ。緩められた襟元からぶら下がる濃い紺のネクタイ。誰もが身に付けるアダプタ適合機は襟の下に収まる薄いインナータイプ。両脇に白髪を残した禿頭。身長は高く私にとっては見上げるほどで、胸板は厚く肩幅も広い。しかめっ面に見える厳しい顔立ち。

 男は口の前で人差し指を立てる。その仕草さえ武骨に見える。そして反対の手でバッチを見せる。探偵資格を証明するものだ。そして次に、すぐ脇の路地を指さした。

「ここを曲がるの?」抑えた声で尋ねる。

 男は頷く。次に継ぐ言葉を探したが、そんな場合でもないだろう。クロエに向き直り「立てる?」と聞く。

「ごめん、ごめん、大丈夫だから」と、つとめて明るい調子で言い、黒いショートを揺らしなが立ち上がる。酔いはさめたか、と思ったけど、まだふらつく様子だ。肩を貸すと素直につかまる。振り返り来た道を戻り始める。途中振り向いた時には姿が無かった。現れた時と同じように闇に溶けたのかと思った。タバコの吸い殻が一本少し離れたここからも見えた。私は心の中でエウレカ見つけたと呟いた。


 指差された方に歩くと、いつの間にか地図は正常に戻った。途中冷静な割に顔の青いクロエが路上にクラブ・ムオトで食べたものを一度吐き出した。それ以外は何の障害もなく、ほどなく表通りにたどり着いた。時間は夜二時を回る所だった。当然ハイスクールに上がったばかりの少女が二人でうろつく時間ではない。かといってクロエは相手の家に泊まると言って出て来た都合家には帰れない。私は自分の母親の無関心ぶりを知られたく無かった。だから彼女を連れて二四時間営業のファミレスに入った。


 座って随分時間が経ってから既に酔いの覚めたクロエが口を開いた。

「エリカ、ごめんね、この埋め合わせは必ずするわ」

「気にしない、気にしない」

とは言ったものの、引っかかる。それをそまま口にする。

「てか、あんた、いつもそう言うばっかりで具体的には何にもしてもらってないわよね」

「あははは」力なく笑い、コップの水を飲む。まだ頭痛がすると言う。机の上にはその他にポテトの盛り合わせと、水の入ったピッチャー。私が注文した拡張現実アストラルのホットケーキと物理的フィジカルなノンカロリーのコーラが並んでいた。どれもサーバにワイヤレスで制御されるウェイトレスが愛想の良い笑顔とともに、運んできたものだ。フォークとナイフで切り分けて口に運ぶ。アダプタ適合機が感覚に上書く、バターの匂いと甘い蜜の味とケーキの舌触りを堪能しながら、私はさっきの探偵のことを考え初めていた。

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