6-5. 帰還(5)

          *

「長官補佐ウル、ただいま監視の任を終え帰還いたしました!」

 語らいたちによって真実が明かされる日の前日。ナダの執務室に、場違いな明るいウルの声が響いた。

 各部署への指示書を作成していたナダは、その手を止め、拳を握ってひたいに当てる。

 ナダはここ数日の多忙と不躾ぶしつけな視線によってかなり疲弊ひへいしていた。そこに追い打ちをかけるウルの大声。酷い頭痛が起きたかのような錯覚におちいり、伏せた顔を更にしかめる。

「あの、長官? 聞こえてます? 帰還しました、よ?」

「聞こえている」

「そ、そうですよね。失礼いたしました。ではご報告いたします。まず、小娘とともに出発をした我々は――」

 そう言ってウルは勝手に報告を始めた。

 このひと月、ふた月の間に、センリョウではとある変化が起きていた。十数年前の戦に関するもの、特にポロボの事件と絡みのある噂話が流布されるようになったのだ。

 トーツ製の銃の調査や開発の指示出しに忙しくしていたナダは、長いことそれに気づけなかった。そして気づいたときにはすでに手の打ちようがないほど広まっていた。

 中でも特に問題だったのは、ポロボの事件が本当は風捕りが原因ではなかった、という真実が流出していることだった。

 何の冗談かと思った。まさか、こちらの目を盗んであの風捕りの娘が自らの取引を無視して広めたのかと疑った。

 ナダが娘に許したのは、トーツを脅すために利用することだけだ。シュセン国民に広めることなど決して認めていない。もし娘がこちらの意向に反して行動したのだというのであれば、娘が求めた箝口令かんこうれいの解除と風捕りたちの解放に応じるわけにはいかなかった。

 ゆえに、使者として停戦にこぎつけたという早馬が来てもナダは動かなかった。しかし、それを闇屋は許さなかった。娘との約束を果たせと半ば脅迫され、箝口令の解除を国民に通達することになった。

 今の事態は闇屋の策謀だったのだとナダは理解している。何せ、何度ナダが噂の火消しをしようとも、すぐに再燃するのだ。そんなことができるのは、闇屋でなければ誰だというのか。

 ともかくそのせいで城の関係者だとわかる格好で外出できなくなった。軍服のまま外出しようものなら、あっという間に不躾な視線にさらされる。

 それはウルも同じだったはずだ。帰還の際に街中を通っただろうに、ウルは本当に何も気づかなかったのだろうか。

 ナダは大きくため息をついた。

 ウルは城に戻ってこれた安心感からか、機嫌よく報告を続けている。それが余計にナダを苛立たせた。

「ですので、小娘は私の手引きで何とかトーツの総司令官と対面を果たすことができまして、そこで停戦の約束を――」

「ウル」

 いい加減、聞いているのがつらくなり、ナダは遮った。その声色はどうやら随分と低い、地を這うようなものだったらしい。ウルの顔にはわずかな驚きが浮かんでいた。

「近くへ」

「はっ」

 ウルは何の躊躇いもなく足を踏み出す。それに合わせてナダも立ち上がった。

 そしてすぐ近くまでやってきたウルの顔面を、ナダは力一杯殴りつける。

「な――ぐぶぇっ」

 予想もしていなかっただろうウルはそのまま後方へとよろめき尻餅をついた。

「な、なひするんでふかっ」

 ウルは殴られた頬を押さえながら、訳がわからないといった様子でナダを見上げている。

 いつものことだろうと答えかけて、そう言えば顔を殴るのは初めてかもしれないと気づく。だが、それでもナダの苛立ちはまだ収まらなかった。馬乗りになり、更に何度も顔面を殴る。

 そして痛みで手の感覚がなくなるころ、ようやく殴るのを止めた。

 わずかに乱れた呼吸がうるさい。だが、代わりにウルは静かになった。おそらく脳震盪のうしんとうを起こしているのだろう。ざっと目視で死んでいないことだけ確認し、放っておけば大丈夫だろうと判断する。

 ナダは汚れた手をウルの服で拭い、さっと立ち上がった。

 暴力などでこの苛立ちが治まるはずがなかった。

 ウルに自分の仕出かしたことを理解させ、後悔と絶望を味あわせてやりたいという気持ちは消えない。だが、ナダが現状を懇切丁寧に説明したところで、ウルには理解できないだろうこともわかっていた。

 ナダは汚物でも見るかのような眼差しでウルを見下ろす。

「――安心しろ。最後まで付き合ってやる。地獄の果てまでもな」

 ナダはウルを置いて部屋を出た。だが、歩き出そうとしたその足はすぐに止まる。

 部屋を出てすぐの廊下。そこにヤマキがいた。

「どうした」

「城下で――明日の正午、噂の真相について教えると触れ回っている者がいるようです」

「捕らえろ。明日、人が集まるようなら散らせ」

「罪状は?」

「何でもいい。適当にでっち上げればいいだろう。いちいち言わすな」

 ウルでもあるまいし、この程度のことで伺いを立てるなと苛々しながら答えるが、ヤマキは黙ったままじっとナダを見ていた。

 ナダはヤマキに胡乱うろんな目を向ける。前々から何を考えているのかわからない男だった。ただ有能であるから重用していた。だが今、その過去の判断に懸念を抱く。

「お前……」

 嫌な予感がしていた。だが、それを問いただすより先にヤマキが動いた。

 ヤマキが軽く手を振ると同時に、廊下の向こうから複数の衛兵が姿を現す。そして、ナダの進路を塞ぎながら徐々に距離を詰めてきた。

「王がお呼びです。ご一緒いただけますね?」

「くっ、貴様、王の犬だったのか」

 ヤマキは答えず、ただわずかに目を細める。

 地獄に落ちる覚悟はあった。だが、それは今ではないはずだった。

 ナダの計画を狂わせた目の前の男に、ナダは憎しみの眼差しを送った。

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