6-5. 帰還(4)

          *

 冬の長いシュセンにおいても春はやってくるもので、空気はまだ冷たいものの、日差しは暖かく、この日は一段と春めいていた。

 ともすればうたた寝しそうな日差しを浴びながら、けれども絶対に寝れないだろうという確信とともに、ショウは息を詰めてそのときを待っていた。

 ショウがいるのはセンリョウの中央広場にほど近い大通りの一角。目の前には通りを埋め尽くさんばかりの人が集っていた。人々は一段高いところに立つショウとセリナからわずかばかりの距離を取り、こちらを見ながらひそひそがやがやと会話を交わしている。

 この日、センリョウで三か所。シュセン、トーツ、ロージアの全てを合わせると四十近い場所で同様の光景が広がっていた。そして、その中心には必ず語らい一族の姿があった。

「ショウ、始まる!」

 声を上げたのは手のひらサイズの翡翠を片手に持ったセリナ。ショウはそれにしっかりと頷いた。

 正午。事前に連絡を貰っていた通りの時刻だった。ショウはざわめく民衆に向けて声を張り上げる。

「皆さん静かに! 始まります!」

 周囲は水を打ったように静まり返った。

 町の人たちは、噂の真相に関して重大な発表がある、ということしか知らない。けれど先程、目の前に立つ少女が滅んだとも言われていた、幻の語らい一族であると明かしたことで、何かを察したらしい人々は、その表情を真剣なものへと変えた。

 そんな民衆たちの注目が集まる中、セリナは目を閉じ、手の中の翡翠をかかげる。すると翡翠は、翡翠と同じ色の淡い光を帯び始めた。

『俺は語らいのエイゴ。今、トーツのメロアという町にいる』

 どこからか、渋さを含む男性の声が聞こえた。人々の間に再び小さなざわめきが起こる。おそらく声は翡翠から聞こえているのだろうが、この不思議な現象に、ショウも驚きを隠せずにいた。

 だが、それに驚いている場合ではなかった。こちらの動揺までは伝わっていないらしく、エイゴと名乗った男性はそのまま話を進めていた。ショウは慌てて話の内容へと意識を向ける。

『俺たち語らいは、ずっと身を隠して暮らしてきた。だが今、どうしても皆に知ってもらいたいことがあり、こうして再び表舞台に立つ決意をした。この次に、別の者に話をしてもらうが、皆にはそれをよく聞いてほしい。――では代わる』

『私は――トーツの王弟マズール・ダン・エルバだ。まずはじめに、我々トーツは此度の戦について降伏を宣言する』

 いくつもの息をのむ音を聞いた気がした。

 こういった宣言を民衆たちが直接聞くことはまずない。ゆえに、人々の間には喜びではなく驚愕が広がったようだった。

『戦争再開時のシュセン側の主張を認め、フォルに対して謝罪し、待遇改善につとめることを約束する。そして、ここではもう一つ話さねばならないことがある。それは十七年前のことについてだ』

 その話こそ、ポロボの事件についてだった。

 マズールはポロボの事件に関して、責任の一端がトーツにあることを認め、火薬製造の過程で汚染が生じ、健康被害が生じていたことを明かした。

『ポロボでの健康被害は甚大だった。町に住む者たちも、原因が工場にあると気づいていただろう。だが当時、有害物質が発生しない新工場はできたばかりで、十分な量が製造できなかった。必要数を確保するためには、どうしても旧工場の稼働を止める訳にはいかなかったのだ』

 そしてようやく新工場の生産が安定し、旧工場を停止しようとしたとき、ポロボではすでに多くの者たちが亡くなっていたのだという。

 その被害は想定以上であり、とても事実を公表できるものではなかった。事実を公表したら戦争どころではなくなるのが目に見えていたという。

 上層部で密かに話し合った結果、旧工場における健康被害に関しては、事実を隠ぺいすることが決まった。その隠ぺいのために利用されたのがシュセン軍だった。

 まずトーツは偽の内通者を用意し、シュセン軍にポロボの町が製造拠点であるという情報を流した。

 シュセンが厄介だと感じていた、水に強い火薬の工場だ。工場の場所がわかっていて襲撃しないなどということはありえなかった。トーツは自らの手を汚さずに証拠を隠滅する手段を手に入れたのだ。

『シュセンに情報を流す役は、当時の大隊長に一任した。その者は、確実に町全体を破壊させるために、町には退役軍人も多く、生き残れば一矢報いようと立ち上がるだろう、と相手の不安を煽り、さらに、町を丸ごと破壊できればそうはならないだろうが、お前たちには無理だろう、と見下すように言ったという。誘導というほどのものではなかったが――それでシュセンはこちらの思い通りに動いた』

 その内通者と接触したシュセン側の者は、今、軍部長官補佐をしているウルだ。ウルは工場の位置を特定したことを評価され、ポロボの作戦の指揮官に抜擢された。

 そのときの判断こそ、シュセンの明暗をわけるものだった。もし上層部がウルの持ってきた情報を信じないか、もしくは別の者に指揮官を任せていたら、ここまでひどい事態にはならなかっただろう。

 マズールの話はさらに続く。別の場所にあった旧式の兵器工場の話だ。

 ポロボ以外の旧工場ではまだ被害がさほど大きくなかったため、健康被害に気づいた様子を見せた者たちだけ、配置換えなどを理由に他の者たちから引き離し、処分してたのだという。

『我々は船舶転覆せんぱくてんぷく事件によって受けた批判を払拭ふっしょくしなければならなかった。これ以上、国民やロージアの心証を悪くするわけにはいかなかった。ゆえに健康被害の存在を隠そうとこのような……非人道的な決断をしてしまった。あらぬ汚名を被ることになったシュセン国民には改めて謝罪申し上げる。誠に申し訳なかった』

 マズールの言葉が途切れると、重い沈黙が広がった。人々の顔に浮かぶのは戸惑い。そんな民衆の心情はショウも痛いほどわかった。

 トーツにめられて町を一つ滅ぼしたシュセン軍。責任の一端がトーツにあるといえども、シュセンの罪がなくなるわけではない。マズールはあらぬ汚名といったが、シュセンの汚名がすすがれたわけではないのだ。

 ショウは静かに息を吐いた。民衆と一緒に沈んでいても仕方ない。今はそれよりも、無理やり話させられているだろうマズールが、思いのほか詳細に語ってくれたことを、ショウは感謝すべきだろう。

 ショウたちの目的は風捕りの地位回復。自由を取り戻した風捕りたちが迫害されないよう、国民の理解を得ることなのだ。おそらくマズールの証言はその助けの一つになるはずだった。


「さて。それじゃあ、国内のみんなは引き続き耳を貸してちょうだい。みんなにはまだ気になることがあると思うの。それについて私、語らいのセリナが話します」

 ショウやセリナたちは国の逃げ道を断つように、噂という形で徐々に真実を広めて行った。

 それは国に対しては、民衆という後ろ盾を得るため、そして民衆に対しては、これまでの情報が間違っていたことを気づかせ、真実を知る心構えをさせるための行動だった。

 そしてその噂の中で特に力をいれて広めたのが、シュセンが非人道的国家との烙印を押されることになった原因であるポロボの事件は、風捕りによるものではなかったというものだった。

 おそらくマズールは知らなかったのだろう。彼の話の中ではこれについて触れられることはなかった。

「先程の話からもわかるように、結果として、シュセンがポロボの破壊に携わったことは事実よ。でも当初は工場に爆薬を仕掛け、破壊するという作戦だった」

 軍事施設を除く町などへの夜襲が批難されることは初めからわかっていた。非武装者に対しては必ず降伏の機会を与えるというのが暗黙の了解とされており、ゆえに、町ではなく工場の爆破を上層部は指示したのだろう。

 だが、その意図を理解していない者もいた。

「気づいたかしら? 計画では破壊するのは工場だけだったのよ。それを当時の指揮官が勝手に町全体を破壊する作戦へと変更した。そして、そのとき――風捕りたちは潜入を命じられ、町の中で見張りをしていた」

 風を使って音を拾える風捕りは、視界の悪くなる夜間の見張りに重宝されていた。この作戦の決行時も夜間で、やはり風捕りが見張りをしていたのだ。

「指揮官は、生き残りによる復讐を恐れるだけに留まらず、仕掛けをほどこしたあとの、撤退を待つわずかな時間にすら怯え、見張りを残したまま爆破を指示したの。そこで多くの……二百人にもなる風捕りが巻き添えとなった。そしてその事実を隠すために、生き残った風捕りも前線に送って、盾にするなどして命を奪っていった」

 結果、休戦条件の一つとして、作戦を実行した風捕りの首を差し出すよう命が下されたとき、差し出せる首がなかったのだという。

 代わりに差し出されたのは戦場にも行ったことのない風捕りだった。彼らもまた風捕りの暴走という嘘を信じ込まされ、仲間の代わりにと、命を落としたのだ。

「ポロボを破壊したのは風捕りが呼んだ嵐なんかじゃなかった。暴走は暴走でも、風捕りではなく指揮官の暴走が原因だったのよ」

 真実はたったそれだけのことだった。けれどそれが隠されたがゆえに、風捕りはさらなる多くの命を落とすことになった。

 セリナの言葉に否を唱える声は上がらなかった。ただ、誰もが皆、沈鬱な表情で顔を強張らせる。

 セリナの持つ翡翠から淡い光が消えた。

 他の町の者たちはどんな反応をしただろうか。目の前の様子を見るに、人々が以前のように風捕りを受け入れるには、まだしばらく時間が必要そうだった。

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