6-5. 帰還(3)

          *

 そのトーツ兵は王都からの急使だった。

 シュセン軍は急遽きゅうきょ行軍を停止し、夜通し駆け続けるはずだった予定を変更する。周囲には次々と天幕が張られ、一部を除いて野営の準備が始まった。

 その様子を見守りながら、何をするでもなく立っているスイセイに、ユウキはずっと気になっていた疑問をぶつける。

「ねぇ、しばらくウルを見かけてないんだけど、知ってる?」

 ユウキも今の今まですっかりと忘れていたが、丸一日どころでは済まないくらい姿を見ていない。

 遊離隊は班ごとに別行動していることが多いため、別の班に同行している可能性もなくはないが、大概それらの班は何らかの特殊な任務を負っている。そんな隊員たちの側にいるとも思えなかった。

 なによりウルはユウキの目付け役だ。目の届くところにいる必要があるはずだった。仲良くしたくない男ではあるが、ユウキは姿が見えないことを少し心配していた。

「あ? あいつなら使者から戻ってきてすぐ、そのまま帰路に着いたぜ? あんなんでも軍部長官補佐だからな。その権限で適当に兵士借り上げてたし、心配ないんじゃね」

 予想外の答えにユウキは唖然とした。てっきり、トーツの襲撃を受けたときに、はぐれたのだと思っていたのだが、それより早くウルは戦場を離れていたらしい。

「えっと、それは……賢い判断だったってことになるのかな……?」

「別に襲撃に気づいたわけじゃねぇだろうけどな」

 呆れた口調で答えるものの、心なし感心しているようにも聞こえる。ユウキもくすりと笑った。

 ユウキたちがのんきに話をできるのは、トーツの急使との会談への立ち合いがまだ許されていないためだ。ツグイや軍の幹部たちは、遊離隊のスイセイや部外者のユウキに聞かせられない話である可能性も想定してだろうが、外に追い払ったのだ。

 こういうとき遊離隊が治安局の中で異端と言われていることを実感する。スイセイが特に気にしていないところからしても、これが日常なのだろうとわかるが。

 それから更に数分、背後でばさりと音がした。真っ先に建てられた大天幕の中からツグイの補佐をつとめる男が顔を出す。

「入ってよいとのお達しです」

 男は言うだけ言ってきびすを返す。嫌々声をかけているのがありありとわかる態度だった。

 とはいえ、そんなことを気にするようなスイセイではない。スイセイはユウキを促すと、無言で天幕へと入っていった。ユウキも慌ててあとに続く。そして、そんなユウキにエイゴまでもが続いた。

 ユウキは驚いたが、天幕の中はとても聞けるような雰囲気ではない。ユウキはおとなしく中央のツグイと、その正面で膝をついている急使の男へと視線を向けた。

 ツグイがぐるりと一同を見回し、口を開く。

「さて。早速だが、この者は王都からトーツ軍の総司令官宛てに出された急使だそうだ。が、王の代理人としての権限も持っている。総司令官に会えない可能性も考え、使者として直接我々に接触できるよう書状を持ってきた。というところまでこちらで確認した。何か聞きたいことはあるか?」

 それは簡潔ではあるが衝撃的な紹介だった。王の代理人ということは、最終的な決定権もこの男が持っていることを意味する。進軍や撤退だけでなく、停戦やそれに伴う条件の決定も全てこの男が一人いれば用を成すのだ。

 つまり、今この場ですべてを決めて終わらせることもできる人物であるということだった。ユウキは早鐘を打つ胸を押さえながら、ことの成り行きを見守る。

「へー。総司令官宛てっつーと、デイルって男か。そいつと合流するために来たってことだな?」

「えぇ。こちらで起こったことは伺いましたが、まだ総司令官が捕らえられたとは限りませんでしたので。もし彼が自由の身であるなら話を通さねばなりませんでした」

 急使の男はなまりのない流暢りゅうちょうなシュセン語で答えた。

「ふぅん? だが、デイルに会わせろつうんじゃねぇんだろ?」

 この場にデイルの姿がないことに目を留めてスイセイが尋ねれば、男は頷いた。

「総司令官が囚われの身であるなら必要ありません。その場合は、先程そちらの将軍がおっしゃったように、私は使者として貴方がたと対話するつもりで参りました」

「対話ね。んで、何の話をしたいって?」

 男の視線がツグイへと向く。ツグイは手に持っていた書状をスイセイへと渡す。

「そちらの書状にありますとおり、我がトーツ軍は降伏いたします」

 ここにいるのはツグイを含めた軍幹部の五人と先ほど呼びに来た補佐官、それからスイセイ、ユウキ、エイゴを合わせた九人だ。その全員の視線が今、スイセイへと集まっていた。

 おそらくツグイたちはこの書状を確認したタイミングでスイセイを呼んだのだろう。スイセイならば誰も思い浮かばないような発想が飛び出すからか。

 誰もが息を潜め、スイセイの言葉を待った。

「なるほどな。悪い前例もあるし、慎重になるのもしかたねぇだろうな」

 書状を読み終えたスイセイの第一声はそれだった。ユウキもすぐに納得する。

 シュセンはほんの数日前に停戦の約束を反故にされたばかりだった。また同じように反故にされるのではないかという不審感がぬぐえないのはユウキも理解できた。

「んで? 俺にどうしろって?」

 スイセイが尋ねると、ツグイがすっと目を細めた。

「お前ならあるだろう? 妙案が」

 二人が睨み合うように視線を合わせる。軍部と遊離隊とが仲悪いことを思い出し、ユウキはひやりとする。

 けれどすぐにスイセイはクククッと面白そうに笑った。

「くっ、あんたのそういうとこ好きだよ。変な見栄張ってねぇで」

「そうか。それで?」

「了解、指揮官殿。承りました、ってな」

 おちょくるような口調で言って、スイセイは改めて急使に向き直る。

「んじゃ、ちょっくらお話すっか。あんた、王都から来たんだよな。現状把握できてんだっけ?」

「二の砦に立ち寄り確認しました。嵐によって我が軍が壊滅的であることは承知しております」

「ちなみになんでそうなったかは?」

「――風捕りの怒りに触れた、と」

「ふぅん? じゃあ、停戦のお話合いについても聞いたってことだな」

 ユウキはそうか、と納得する。

 デイルのことだからユウキたちとの会談内容は誰にも話していないのではないかと思っていたが、よくよく考えればあのときの顔ぶれでシュセンが捕えたのは二人。あと一人、あの場で話を聞いていた軍人がいるはずだった。

 おそらくその軍人は嵐から無事に逃れられたか、もしくは留守居だったかしたのだろう。その軍人がこの急使に話をしたとなれば、あの密約とも言うべき取引きを知っていてもおかしくない。

「ですが、それは先にそちらが……っ」

「こちらが?」

 男は慌てて口をつぐみ押し黙る。スイセイは容赦しなかった。

「言え」

 それでも男は口を開かない。室内に沈黙が落ちた。

「――ツグイ将軍」

 まだ若い男の声がツグイを呼んだ。ツグイの視線が男から反れる。つられてそちらを見れば、いつの間にかシュセンの兵士が一人増えていた。

「ご報告がございます」

「聞こう」

「では――。先ほ……が…戻り…して……」

 兵士が小声でツグイに報告する。その内容までは聞き取れないが、ツグイの表情がわずかに動いた。

 間もなく兵士が天幕を出ていき、ツグイの視線が再び急使へと戻される。

「たった今、なかなか面白い話を耳にした。何やらトーツの王都では大規模な暴動が起こっているのだとか」

 急使の顔に明らかな動揺がはしった。目を左右に泳がせ、何かから逃れようとしているかのような挙動をする。

「ふっ、その原因がどうやらポロボのこと――健康被害を隠すために町ごと滅ぼそうとしたことが知れてしまったため、らしいな?」

 ユウキは大きく目を見開いた。どうして、どうやって、どこからこれが明かされたのか――ユウキもまた大きな混乱に飲まれる。

 ユウキはまだポロボの真実を広めていなかった。これからナダと交渉し、公表するという段階だったのだ。それなのに、どうしてトーツの人々が真実を知るに至り、暴動が起こることになったというのだろうか。

「今は国内外の火消しで手一杯だとか。……先にそちらが、と言った意味はこれか」

 何とか理解したのは、ユウキたちが先に取り決めを反故にしたと、この男に思われたのだということ。男としては砦で話を聞いて驚いたことだろう。だが、ユウキたちはもちろんそんなことなどしていない。

 だからこそ、どうしてそんな事態になっているのかがわからなかった。

 だが、そこまで考えてユウキははっとする。恐る恐るスイセイを伺い、さらにエイゴへと視線を向けた。

 スイセイも、エイゴも、その顔に大きな驚きは浮かんでいなかった。それが答えだ。ユウキもようやく、そのからくりを理解する。

 エイゴはセリナと同じ語らい一族だった。閉鎖的な環境にあったこともあり、一族の結束は固い。きっとセリナがユウキのために協力を呼び掛けてくれたのだとわかった。そして、おそらく総出でポロボのことを広めたのだろう。

 トーツとの密約以前に、ユウキはナダと約束してしまっているため、勝手に事実を明かすことはできなかった。けれど、セリナやショウは違う。二人であれば事実を明かしても言い逃れができるし、そこに語らいが加われば人出は十分だった。トーツの王都にまで広めることができたというのは驚きだが、それだけ頑張ってくれたのだろう。

 だからこの騒ぎが起こる前、スイセイは言ったのだ。ナダに交渉しに行く必要はないと。スイセイはすでに事実が公表済みであると知っていたのだ。

「言っとくが、俺たちは密約破ってねぇぜ。諸々の書類は俺たちが持ったままだし、俺たちにだって準備っつーもんがある。わかんだろ?」

 平然と、破ってないと言ってのけるスイセイにユウキは呆れた。

 嘘ではないかもしれないが、必ずしも無関係とは言えないにもかかわらず、堂々とそう言えてしまうのはスイセイだからだ。ユウキにはとてもまねできない。

「なら何故っ!」

 ずっと受け身で下手に出ていた急使の男が、わずかに反発を見せる。スイセイは間髪置かずに答えた。

「それだけ真実を求めてるやつが多かったってこったろ」

「くっ」

 悔しげに噛みしめられた唇から血がにじむ。男としては、それを降伏後の交渉の手札としたかったのだろう。

「……わかりました。それに関して追及はいたしません。ですが、これでこちらが本気だとおわかりになったでしょう。我々に策謀を巡らす余裕などないのだと」

 その言葉にユウキは納得する。けれどスイセイはすぐには頷かなかった。

「あー……。そんなら証を貰おうか」

 わずかに思案したのち、そう口にした。男も当然とばかりに頷く。

「わかりました。でしたら、友好の証として三の姫と、賠償金――」

「ちげぇよ。そういうのは後でそっちのやつと話せ。それより――おい、来い」

 スイセイは急使の言葉をさえぎった。そして呼ばれたのはひょろりと背の高い男、エイゴだった。エイゴはスイセイの横に並び、急使に向かって会釈する。

「紹介してやる。こいつはエイゴ。――幻の語らい一族だ」

「か、語らい、一族……!?」

 急使はあごが外れそうなほどに口を開き固まった。そんな驚愕する急使に落ち着く間を与えることなくスイセイは続ける。

「あんたの口から真実を明らかにし、シュセンに汚名を着せたことも含めて謝罪して貰おうか」

「ま、待ってくれ、それは」

「知ってんだろ? 語らいの能力は情報共有。こいつを通して発言すれば、遠隔地にだって伝えられる」

 スイセイが改めて語らいの能力を説明する。

 極北の地に隠れ住み、いつしか幻と呼ばれるようになった語らい一族。彼らの能力は情報共有で、遠隔地であっても声を共有することができるらしい。さらには、彼らの持つ翡翠の道具を使えば、共有している声を外に流すこともできるのだという。

 つまりスイセイは、エイゴの前で急使に語らせ、各地に散らばっている語らいを通して事実を広めようと言うのだ。

「む、無理だ。私にそこまでの権限はない」

「あんた、王の代理だろ」

「それはあくまでも戦に関してであって、こんな、こんな……」

「これだって戦の話だろうに。あーそう、あんたは国が滅んでもいいってんだ。王都がそんな混乱状態なら、ロージアあたりと手を組めば落とせるだろうなぁ」

「そんなっ」

 急使は顔に絶望を浮かべた。そんな急使を見てもスイセイの心は揺るがない。

「明日の正午だ。それまでのんびり原稿でも考えてな。逃げようとか死のうとか無駄なことは考えんなよ? 別にあの馬鹿の張本人に喋らせる方法だってあんだからな」

 あの馬鹿――つまりデイルに喋らせる方法だ。とはいえ、デイルは絶対に謝罪などしないだろう。となれば、むしろトーツの滅亡は近づく。選択肢として最悪のものであることは考えるまでもなかった。

「……わかった」

 急使は全てを諦めた様子で、項垂うなだれながら同意した。

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