6-4. 交渉の結果(6)

 それからどのくらいの時間がたっただろうか。誰かがはっと息を飲む音が聞こえた。

「あ……」

 それにわずかに遅れてユウキも声を上げる。頬に、冷たい滴が当たるのを感じた。

「降った! 降ったぞ!」

 一人が声を上げると、あっという間に歓声が広がった。

 ポツポツと降り出した雨は次第に勢いを増し、やがて本降りになる。

 ユウキは雨粒が目や口に入るのも構わず、それを呆然と見続けた。

 ――ほんとに、降った。

 まずはじめに驚きが、次に安堵を覚えたかと思えば、それが喜びへと変わる。ユウキはこの感動を分かち合いたいと思いサラサの姿を探す。そして見つけ、声をかけようとしたとき、スイセイの鋭い声が飛んだ。

「ぼさっとすんな、次を急げ! いつまで降らせられるかもわかんねぇんだぞ」

 ユウキははっとした。それは他の人たちも同様だったようで、慌てて口を噤み、次の準備を開始する。

 一瞬にして周囲に緊張が満ちた。

「サラサさん」

「えぇ。当初の予定通りに進めるわ」

 サラサが上空に風の手を伸ばした。遠くから手繰り寄せるように風を次々と呼んでくる。その変化が合図となって、他の二地点からも風が吹き始めた。

 今はまだ弱く優しい風。これからいくつもの風を重ねがけして強風に変えていく予定だ。ユウキが加われば、一気に風の勢いは増すだろう。

 ユウキは右手を上げる。そして風の手を伸ばそうとして――止める。

 ――本当にこれでいいの?

 突如として浮かんだ疑問。それはこの作戦に対する疑問でもあった。

 今回の作戦が成功するということは、嵐らしきものを風捕りが作れると世に知らしめてしまうことでもある。それは風捕りが今以上に恐れられてしまう可能性を秘めていた。当然、そんな事態を引き起こしてしまうのはユウキの本意ではない。

 風捕りが嵐を呼べないこと、ポロボの事件は風捕りのせいではないこと、それを証明しようとしていたはずだった。けれどこれでは、下手をすると真逆の結果を引き寄せてしまう。

 ユウキの心に迷いが生じた。

「大丈夫だ。思い切りやれ」

 ユウキの心を見透かしたかのようにスイセイが言った。ユウキは躊躇いがちにスイセイを窺う。

「風捕りの手は、命を救う手なんだろ?」

 続けられた言葉は脈絡を感じられないもので、ユウキはきょとんとする。

 けれど少し遅れて、その通りだということに気づいた。

 今、嵐を起こすのを止めることは、戦場で戦っている多くの兵士たちは命を落とすということだ。停戦に持ち込むことができず戦争が続き、別の戦場でも多くの命が散るに違いなかった。

 救えるはずの命を見捨てる。それは風捕りの誇りを汚す行いだった。

「そっか。そうだね……ありがとう。あとのことは任せるよ、スイセイ」

「おう」

 全ては終わってからだ。あとでしっかりと説明して、理解してもらえるよう努めるしかない。

 それでも駄目だったなら。それでも風捕りがもっと恐れられることになってしまったら、今度は全員で極北の地に行こう。

 あの場所は語らいにとってもジャンにとっても追放の地であったけれど、同時に他人に脅かされることのない安息の地でもあった。風捕りにとってもきっとそうなるだろう。

 先程より強まった風はそれでも嵐と呼ぶにはまだ弱い。風捕りの制御下に大人しく収まっている風を、自ら暴れさせねばならなかった。風捕りが制御しなければ止んでしまうような風では嵐とはとても呼べない。

 ユウキは風の実を一つ弾いた。そしてその風を掴んでぶつける。それはサラサたちの風と半分だけ混ざって渦を巻いた。

 そんなことを何度か繰り返していると、風は大きな塊に成り始めた。風同士、互いを強め合い、自ら勢いを増していく。それは更に遠くの風をも巻き込み、どんどんと強まって行った。

「勢いに乗った?」

「えぇ、悪くない感じね。あとは適宜風を追加しながら移動させれば……」

 狙いはシュセン軍とトーツ軍がぶつかり合っている戦闘区域。雨雲はかなりの広範囲に広がっているため、もう雨は降っているはずだ。この風ももう少し押し出せば届くだろう。


 ユウキたちの周囲ではすでに雨風が激しく吹き荒れていた。それは嵐と呼ぶにふさわしいものだった。横殴りになった雨が、風の強弱に合わせてザザッ、ザザッと大きな音を立てる。肌にあたる雨粒が痛かった。吹き付ける風に足が浮きそうになる。

「おっと」

 スイセイがユウキを支えるのと、ユウキを飛ばそうとしていた強風が止んだのは同時だった。

 いや、止んだわけではない。雨風がユウキたちに届かなくなっただけだ。ユウキたちの周りには風の守りが生じていた。

 風も雨も受け流す風の守り。作ってくれたのはサラサだ。これはかつて、ジャンがユウキを見つけたとき、ユウキが纏っていたというそれだった。

 だからだろうか。これに包まれているとても安心する。安心――だけでない、何かくすぐったいような感覚。

 同じ風の守りの中にはサラサもいた。ユウキと目が合うとサラサは不思議そうに首を傾げる。ユウキはこのくすぐったさの理由がわかった気がした。

 こちらを見るサラサの目には、もうユウキに対する怯えや憎しみは全くない。サラサは躊躇なくユウキを守っていた。

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