6-4. 交渉の結果(5)

          *

「こっちもちゃんと捕まえ――違う! それじゃないわ!」

 隊員たちが数人点在するだけの平原に、サラサの厳しい声が飛んだ。ユウキはただただ必死に作業を続ける。

 ユウキがしているのは、冷たい風の実を作るための準備だ。

 まず、比較的冷たい風とそれほどでもない風とに分け、冷たい風だけを捕まえる。そして次に、温度を更に下げるために、捕まえた風に残っている熱を、捕まえなかった別の風に移す。

 それを風の実として生成すると完成――なのだが。

 後半の熱を移し替える作業は、風捕りではおまけ程度の力しか発揮できないため限度がある。ゆえに、前半の作業の仕分けの精度を高めることが重要だった。

 けれど、風捕りが得意とするはずのそれがユウキには難しい。

 まず、どれがより冷たい風であるかを見分けることができない。更に、少しでも油断をすると、捕まえるつもりのなかった風まで混ざってしまう。サラサの考える合格点には程遠いというのが現状だった。

「そんなんじゃ、いつまでたっても出来ないわよ。集中なさい。――そう。それは逃がす風で――あぁ! またそっちの風が逃げてる!」

 新たな風を捕まえることに集中しすぎて、先に捕まえていた風が手からこぼれ落ちていた。先程からこんな失敗ばかり繰り返している。

 スイセイから許された時間は三十分。その時間内に作れなければ、他の場所にいる風捕りたちを招集をするとはっきり宣告されている。時間はあまりなかった。

「いい? 風は一つ捕まえるごとに流れが変わるの。どう変わるかをちゃんと考えていれば、逃げられるなんてことにはならないわ。頭を使いなさい」

 同じようなミスを何度も繰り返すユウキにも、サラサは呆れることなくアドバイスをくれた。


 このサラサの指導が始まる少し前――風をぶつけて雨を降らせることに失敗したあと、サラサはユウキの依頼にしぶしぶといった様子で頷いた。

 であるから、当然、サラサは最低限のことしか教えてくれないだろうと思っていた。けれどいざ始めてみると、ユウキの予想に反してサラサはとてもいい先生になった。以前にもこうして人に力の使い方を教えたことがあるのかもしれない。

 さすがは最も技量があると言われているサラサだ。力の強さだけで言えばユウキが一番だが、技術面ではサラサが一番だった。次点の者と比べても圧倒的な差だというから確かなことだろう。

 それほどの差が生じた理由は、サラサの持つ目にあった。ユウキではただ風とだけしか認識できないものでも、サラサの目にかかると、どんな風か――冷たい風であるとか、乾いた風であるとか、そういうところまでわかるのだという。

 そんな目の持ち主であるからこそ、ユウキへのアドバイスも的確にできる。

「本当にそれでいいの?」

 先ほどまでとは少し違う指摘の仕方。改めて確認すれば、他の風に比べてわずかに温いと感じる。

「見えないなら感じなさい。指の先までしっかりと意識して感じとるの。どんなわずかな違いも見逃さないように、全神経を集中させて」

 本当にわずかな違いだ。見ただけではもちろんのこと、触れてみても、感覚をみがいてこなかった肌は鈍感で、ほとんど違いがわからない。

 何より、風を見るために凝らした目が、皮膚の感覚に集中しようとする意識を邪魔していた。だからといって目を瞑ってしまっては、風を捕まえられなくなってしまう。

 このままでは駄目だと思った。サラサの言うように、このままではいつまでたってもできるようにはならない。

 時間を貰ってからすでに十五分がたっている。ユウキは焦燥感に駆られた。慣れた風捕りでも調整した風の実を一つ作るのに五分前後の時間かかる。できないなどと言っていられる暇はなかった。

 目で見分けられないのはもう仕方ない。やはり何とかして感じ取れるようにするべきだ。そのためにはどうすればいいか。

 ――感じる、か。

 思い浮かんだのはあまりにも単純な方法。言ったら笑われるかもしれない。けれどユウキはやってみようと思った。そのために一度、捕まえていた風を逃がす。

「ちょっと、何して……」

 サラサが焦ったような声を上げた。

 ユウキは構わず上着を脱ぎ、首を覆っていた布を取り、そして上半身を下着一枚だけにする。

 首回りと、肩から先の肌がむき出しになった。そこを風がなで、ゾワリと鳥肌が立つ。

 風との接触面を増やしたのだ。

 ――うん、大丈夫……わかる。

 予想以上に感覚がぎ澄まされた。

 これなら行けると確信し、ユウキは目を閉じてはやる心を落ち着ける。そして再び開いた目をまっすぐサラサに向けた。

「サラサさん、お願い。ここに風を集めて」

 サラサは目を見開き、けれどすぐに表情を改めて確認する。

「行けるのね?」

「うん。行きます」

 これはどうしてもユウキがやらなくてはならないことだった。ユウキと他の風捕りたちとの力の差は大きい。それはこの付近にいるたかだか三人の風捕りが力を合わせたところで到底かなわない強さだった。

 風捕りが風を捕らえるのに使う手は、二本だけではない。風を手に見立てて複数使っていた。

 その数がユウキは多いのだ。無意識でも他の風捕りたちの倍以上。意識すれば十倍にもなる。

 だからユウキは、多く風を一度に操れるし、一つの実の中にたくさんの風を込めることもできる。風は動きを伴う存在であるから、一度に、というのが大きな強みとなっていた。

 スイセイが提案したように、風捕り全員を召集すれば同じようなことはできるだろう。だが、全く同じにはならない。風捕りを集めて行った場合、それぞれの風がばらけて、上空まで十分な量の風が届かないという危険性があった。

 ユウキは大きく、けれど慎重に手を動かした。

 白くうっすらと後ろが透けて見えるリボン状の風。それがユウキの手から伸びた、いくつもの風の手に従ってそよいでいる。

 ユウキは、捕まえない風を逃がすための道を残しながら、自身の周囲に次々と風を集めていった。

 ――この子は捕まえて、こっちは逃がす……。

 ユウキが無心で仕分けていると、間もなくサラサが集めてきた風が吹き寄せる。

 遠くから運ばれて来た風は、すでにサラサの手で大まかに選別されており、元々ここにあった空気より冷たい。全身で風を受けることで、それがよくわかるようになった。ユウキは思わず口元を綻ばせた。

 違いを感じ取れるなら、作業自体は手が多いユウキのほうが早い。サラサの助けに感謝しながらも任せきりにはせず、ユウキもまた仕分け、風から風へと熱を移し、また、不要な風を遠ざけていった。

 もうサラサの怒声が飛ぶことはなかった。ユウキは無心に風を繰り続ける。そして周囲の風はみるみるうちに増え、やがて深い霧に覆われたかのように真っ白になった。

 ユウキは手として使っていた風を、集めた風の周りに薄く袋状に広げる。

 そしてそれを一気に縮めた。

 パン、という音が鳴り、手に衝撃が伝わる。実際の手が打ち合わされたその音と衝撃で、ユウキは我に返った。集中し過ぎたユウキの意識はしばらく風のそばに行っていたため、ちょうど目が覚めたような感じだ。

 それにしても――と思いながら、ユウキは息をほうと吐く。意識が風のそばにあるというのは不思議な感覚だった。自分が自分であるのとも、風になったのとも違う全く別の視点で、風の存在する世界をつぶさに見ていた気がした。

「――見事よ」

 一部始終を見ていたサラサが、一言でその出来を評価した。

 ユウキは恐る恐る手のひらを広げ、中を確認する。そこには濃い青色の風の実があった。そして驚きながら何度もそれを確認する。成功したことが信じられなかった。

「どれどれ」

 ひょいと横から手が伸びてそれが奪われる。気づけば離れて見守っていたはずのスイセイがすぐ隣にまで来ていた。

 スイセイは風の実をひと眺めし、部下に渡す。それから何かの指示を出し、くるりと振り返ってユウキを見た。

「んじゃ、あと二つな?」

「え? う、うん……」

 戸惑うユウキを尻目に、スイセイはすぐ離れて行った。

 そして遅れて気づく。スイセイは風の実を、同じ班の、別の風捕りのところに持って行かせたのだ。あと二つということは三ヶ所から同時に風を送るという算段なのだろう。

 ユウキは納得して、再び作業に戻った。

 一つの実を作るのに二、三分。サラサ曰く、それはとても早いのだという。お蔭で約束の三十分を迎えると同時に、ユウキは三つ目の風の実を完成させた。

「へぇ、間に合うとはね」

 意外そうに言ったスイセイは、最初から一時間は待つつもりでいたらしい。短めに告げれば必死になって成功するだろうという目論みで三十分などと言ったのだ。してやられた感じが少し悔しい。

 何はともあれ完成した。ここからが本番だ。ユウキは最後に完成した風の実をサラサに渡すと、休む間もなく次の作業へと取りかかった。

 今作った冷気の風を放ち、上空まで誘導するのはサラサたちの役目だ。ユウキはその間、冷気が逃げてしまわないように、風で囲いを作ることになった。力の制御に繊細さはいらないが、扱わねばならない風の量は多い。気は抜けなかった。

「用意はいいわね? 行くわよ」

 作ったばかりの風の実をサラサが使い、風を空へと放った。風は再び狼煙のように上がり、わずかに遅れて二筋の風が追う。

 更に隊員たちが、他の風捕りたちが作った風の実を使って風を起こす。それはサラサたちの起こした風に引っ張られるようにして上がって行った。

 連なって上空へと向かった風が、雨雲にたどり着くころにはちりぢりになる。溶け込むように雲の中に取り込まれ、間もなく見えなくなった。

 かなりの量の冷たい風が送りこめたはずだ。これで何とか雨が降り出してくれればいいとユウキは思う。

 皆一様に、空を見上げて動きを止めた。声を発する者もおらず、周囲は静寂に包まれる。

 否、遠くからわずかに戦闘の音が聞こえていた。誰かが命を落としているかもしれない、死の音色だ。

 ユウキの心はざわめいた。焦りがユウキを襲う。けれど今はもうできることもなく、ユウキはただただ必死に成功を祈った。

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