5-3. 吉報か凶報か(3)

          *

 その姿を目にした瞬間、ショウは飛び退った。部屋の窓のさんの上、忽然こつぜんと姿を現したその男は、くつくつと笑ってショウを見ている。

 ショウの部屋は屋敷の二階にあった。それだけでもこの男の異常さがわかるというものだ。雇用を減らしているヤガミ家の警備がざるなのは確かだが、こんな明るい朝っぱらから堂々と侵入してくる者がいるなど誰が予想しただろうか。見咎みとがめられればいい訳できない状況にもかかわらず、男に周囲を警戒する素振そぶりはない。

 とはいえ、やってきたのがこの男ならばさもありなん。警備の甘い屋敷に侵入することなどそれこそ朝飯前だろう。ショウは動揺をしずめるようにゆっくりと息を吐いた。

「スイセイ……」

 警戒という意味では、ショウの方がしていた。以前、容赦なくショウをぼこぼこにした相手だ。取引相手であるという認識はあるため、敵ではないと理解しているが、それとこれとは別だった。この男に常識を求めてはいけないことは身に染みてわかっている。

「最近、忙しそうにしてるみてぇじゃねぇか。何してんの」

「そ、そっちこそ。戦争に行ったって聞いてたんだけど」

 何でもないことのようにスイセイは言ってきたが、戦争に行っていたはずのスイセイが、ショウの動向を把握しているのはおかしなことだ。遠くにいながらにして他人の行動を把握しているなど恐ろしいにもほどがある。

「あ、そうか……。ヤマキに……」

 不意に合点する。留守を任せていたヤマキから報告を受けていたと考えれば、そうおかしなことでもない。少し焦り過ぎていたのかもしれないとショウは思った。

 だがそれも、スイセイの次の言葉であっさりと打ち砕かれてしまう。

「ヤマキ? あぁ、そういうこと。はっ、まんまと使われてやんの」

 一瞬、不思議そうな顔をしたスイセイだったが、すぐに会得したような顔でショウをたのしげに見遣る。

「思い出してみろよ。あいつ、自分のことなんて言ってやがった?」

「自分のこと? えっと、確か、遊離隊で副隊長の任についてい、た――」

 うながされるがままに口にして、ショウは大きく目を見開いた。

「な? ちゃんと過去形で言ってただろ。あいつ、今、軍部副官だぜ」

「軍部副官!?」

 それこそ件の軍部長官、ナダのすぐ近くにいる存在だ。一瞬にして顔から血の気が引いた。

「馬鹿な。それじゃあ」

「あー、大丈夫、大丈夫。情報が筒抜けってことはねぇよ。あいつにも自分の思惑つーもんがあるだろうし。ま、次から頑張れ」

 ショウは頭を抱えた。スイセイに指摘されるまで気づけなかった自分に嫌悪する。

「んー、でもヤマキとの縁ってのは悪くねぇな。あいつ相当情報持ってるし。ちょっくら行って巻き上げてくっか。ちょうど知っときたい話もあるしな」

 スイセイは相変わらずのマイペースだった。その様子を見て少しだけ冷静さを取り戻す。過去の失敗はひとまず脇に置いて、今は目の前の問題と向き合わなくてはならない。

「それより、俺に何の用?」

「ってか、入れてくんねぇの?」

 ショウはこめかみに青筋を立てる。先ほどの一件でヤマキから聞かされた話を思い出していた。そもそも、スイセイに関しては、敵味方以前の悪行があった。

「入れてもらえると思ってんの? 不法侵入のくせに」

「ここにいて外から目撃される方がまずいんじゃね?」

「別に。そのときは他人のふりでもしとけばいいだろ。っていうか、その前になんか言うことあるんじゃねぇの? ヤマキから色々聞いてるんだけど」

 なんだかんだ言ってユウキを一番苦しめたのはこの男だった。指名手配のことしかり、ショウに怪我を負わせて町に滞在するはめになってしまったことしかり。謝罪の一つでも欲しいところだ。

「ふぅん? そういうこと言うんだ。あーあ、あの娘がどうなってもいいんだ。へー」

 ショウは眉をひそめた。思わせぶりな言葉に乗ってはいけないと思う。だが、聞き流すこともできなかった。

「なんだよ」

 だがスイセイはそれ以上、何も言わない。ショウは苛立った。さらに問い詰めようと一歩踏み出し、はっとする。

「娘!? まさか、それ、ユウキのこと……!?」

「気づくの遅せぇよ」

 スイセイはあっさりと肯定し、鼻で笑った。

 ショウは動揺する。北の小屋で過ごしているはずのユウキの名前が何故今出てくるのか、とても理解できなかった。

 ――スイセイが連れ出した? まさか。

 何も知らないはずのスイセイが、ジャンの隠れ家を見つけられるはずなかった。だが、今ここで話題にあがるということは、少なくともスイセイはユウキの居場所なり行動なりを把握しているということだ。

「ユウキをどうした? お前が連れ出したのか?」

「いんや。今は王城の牢屋でお勉強中じゃね?」

 ショウは愕然とした。それはユウキが捕まったということに他ならなかった。ユウキの手配書は取り下げられていない。極北の地まで捜索の手が伸びたとも思えないが、捕まったというならそういうことなのだろう。

 ショウの背に冷たい汗が流れた。すぐに助けに行かなければという焦りが沸き起こる。

 急に厳しい気配をまとい出したショウを見て、スイセイはあきれた顔をした。窓の桟から室内へと飛び下りると、無造作にショウに近づき、その頬を両手で引っ張った。

「何でもかんでも連れ出してやりゃあいいって話じゃねぇだろ。そんなん助けたって言わねぇよ」

 ショウはスイセイの手を払落し、睨みつける。

「だからって、放っておけるか」

「守りてぇって気持ちはわからなくもねぇけど、おまえ、あいつのことちゃんとわかってんの? あれは、おまえが思うほどやわな女じゃねぇよ」

「そんなこと――」

 ショウはかっと頭に血を上らせる。スイセイに言われる筋合いはないと思った。スイセイより断然ショウのほうが付き合いが長い。余計なお世話だと思った。

 だが、続くスイセイの言葉に驚かされる。

「あいつから依頼を受けてる」

「え……? それは、スイセイが、か?」

「他に誰がいんだよ。今の状況はあいつが望んだ結果だ」

「けど」

 場所が場所だけに、今が無事であるからといって、今後の安全が保障されるわけではない。

 ショウはユウキが心配だった。北の家で別れたときのはかnく消えてしまいそうなユウキの姿がまぶたから離れない。

「お前さぁ。一緒につるんできた仲間だってのに信用してねぇの?」

「信用してないんじゃない。ユウキは弱ってるんだ。普段のユウキだったら俺だってこんな心配はしないさ」

 答えながら思わず拳に力が入る。

「あー、はいはい。よく聞けよ。あいつが捕まったのはイリス近くのセツカって町だ。――あいつは自分から出てきた。これがどういう意味かわかるな?」

 一拍置いて理解し、ショウは目を見開く。ユウキ自ら極北の地から出てくる、その考えはショウにはなかった。

 ユウキが立ち直っていなかったとしたら、自ら出てくるようなことはしないだろう。となると、とらわれの身という現状が、ユウキが望んでの行動だというスイセイの言葉も信じることができた。

「ユウキは大丈夫なんだな?」

「少なくとも俺は面白いと思ったぜ?」

 スイセイの表情は険しさとは無縁だ。他人事といえども、スイセイは本当にユウキのことを心配などしていないのだろう。そんなスイセイの態度を見てようやくショウは息を吐いた。

「ユウキは内部から情報を得ようとしてるのか。ホントに……無茶する」

 ユウキは時々思切ったことをするをするから心臓に悪い。ユウキはどうしてもおとなしく守られていてはくれないらしい。

 だが、タイミングとしては悪くなかった。ショウのほうも色々と情報が集まってきたところだ。

「それを知ってるってことは、スイセイはユウキと連絡取れるのか? 俺、ユウキに伝えたいことがあって」

 ショウは早速ポロボの事件が風捕りのせいではないかもしれないという話をする。

「なるほどな。その可能性も考えてたが……へぇ、あの闇屋がそんな反応するとはねぇ」

「考えてたって……。まぁいいや。そう、だから事実じゃないかと思ってるんだ。証拠もないし、詳細もわかってないけど」

「ってことは怯えてるように見えたつーユウキの話も気のせいじゃないかもな」

「怯えてた?」

「そう、実は昨日ちょいと動きがあってな」

 スイセイがさらさらと昨日の出来事を説明し始める。任せきりにしては詳しく説明せずに済ませてしまいそうな様子で、ショウはたびたび質問を挟むことになった。

 そうしてショウはユウキの置かれた状況を知った。焦りは先ほどの比ではないが、ユウキに何か考えがある以上、やはり助けに行くという選択肢はないのだろうと諦める。

「ユウキが前線に……」

「だから、気にすんのはそこじゃねぇだろ。ま、ともかくそれを打破するために必要なもんがあるんだと」

「あぁ、さっき言ってた依頼の」

 スイセイはユウキから依頼を受けたと言った。そして書類の情報と引き換えに、ショウを手伝ってくれるらしい。それがひいてはユウキを救う材料になるというのだから、気合いも入るというものだ。

「そ。ま、俺の報酬も兼ねてるけどな。トーツの軍人が持ち出した書類ってやつ」

 ユウキが知っているトーツの軍人といえばジャンしかいない。おそらくジャンを指していると思って間違いないだろう。

 まさかジャンが書類を持ち出しているなどショウは想像だにしていなかった。だが、ポロボの事件が風捕りのせいでないとすると、ジャンもまた何か思うところがあったのかもしれない。いや、そもそもジャンは風捕りがそんな状況にあると知っていたのだろうか。

「届いてるか?」

「いや」

 残念ながらそれらしきものは届いていなかった。最近届いたものといえば一通の手紙だけだ。

「あ……。違うかもしれないけど、実は少し前に、ユウキの親友がセンリョウに来るって連絡を寄越してて。今日、このあと会いに行く予定なんだ」

「タイミングからしてそれっぽいな。んで、どこで会うんだ、その親友とやらには」

「ケッキさんの宿屋。正午にって言われてる」

「オーケー。まだ時間あるな。じゃ、その頃にその辺に集合ってことで。っと、いけね。忘れてた」

 スイセイがショウに何かを投げてよこす。

「んじゃ、あとでな」

 そしてひらりと窓から飛び降りた。

「なんだよ、いきなり……」

 反射的に受け取ったそれは鮮やかな刺繍がされたハンカチだった。ショウはそれをまじまじと見て、首をかしげる。

「――あれ?」

 その模様が何かわかった瞬間、ショウは目を見開き、慌てて窓に駆け寄った。

「スイセイ! これ!!」

 だが、スイセイの姿はすでになく、ショウはため息をついた。

「これ、ユウキからってことだよな……」

 ショウは頭を抱えた。こんな大事なものを預かっていたなら、もっと早くに出して欲しかったと思う。そうすれば、無駄に警戒をして神経を削られずに済んだというのに。

 だが、それより何よりショウはほっとしていた。ユウキの無事と気遣いが嬉しかった。

「ったく、自分だって大変だっていうのに……。無理だなんて言ってらんないな」

 ショウは呆れつつも、顔に笑みが浮かぶのを抑えられなかった。

 ショウたちに許された時間は丸一日と少し。明日の昼までには成果を出さなくてはならない。ショウは託された想いをしっかりと握り締め、外出の準備を始めた。


 ケッキの宿屋は内側の城壁に近い区画の、大通りから一本裏手に入ったところにあった。立地からすれば貴族向けの高級な宿屋であってもおかしくなかったが、そこは看板もない隠れ家のような趣の、庶民しょみん向けの宿だった。

 ショウがちょうどその宿を見つけたとき、どこからかスイセイが姿を現した。

「ここだよな」

「あぁ」

 ショウはスイセイに目で促され、躊躇いつつドアに手をかける。

「あ……」

「どうした?」

「開かない」

 ショウはドアノブをガチャガチャと動かして見せる。ドアにはしっかりと鍵がかかっていた。

「うわー、お前、運ねぇな」

「俺のせいじゃないから。けど、どうすべきかな。しばらくこの辺で待っててもいいけど……」

 セリナが待ち合わせ場所として宿を指定したのは、おそらく旅の状況次第で到着日が前後する可能性があったからだろう。旅が順調で、今日ここに来られるのであれば待っていてもいいが、そうではない可能性も高かった。その場合、互いに何度もここに足を運ばなくてはならなくなるだろう。

 それにショウたちには時間がない。ここで時間を食うのも、入れ違いになるのも避けねばならなかった。

 そのとき、近くを歩いていたおばさんがショウたちに気づき声をかけてくる。

「何、あんたたち、宿探してんのかい?」

「あぁ。この辺にケッキさんの宿屋があるって聞いてきたんだけど」

「それは残念だったね。確かにケッキの宿はそこだけど、ケッキはもういい歳だから、体調のいいときしか開けてないんだよ」

「そんな……」

 事情がわかったのはよかったが、状況が悪いことには変わりなかった。ショウはどうにかならないかと必死にあがく。

「この辺、近くに宿とか……」

「うーん、この辺りだと貴族が泊まるような上等な宿しかないからねぇ。諦めて内の城壁から離れたほうがいいんじゃないかい?」

 近くに別の手ごろな宿屋があるなら、セリナがそっちにやってくる可能性もあるのではないかと思っていた。だが、この話からするとそれもなさそうだ。

「ありがとう。もう少し考えてみるよ」

「そうかい? ま、遅くならないうちに決めるんだよ。じゃあね」

 ここで待つにしても一時間が限度だ。あとは屋敷に戻ってセリナからの連絡を待つしかない。ショウは頭上に高く昇った日を見上げ、大きく肩を落とした。

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