5-3. 吉報か凶報か(4)

          *

 ケッキの宿屋の前では、ショウとスイセイが店の壁に寄りかかって立っていた。二人の様子は対照的で、ショウは落ち着きなくそわそわと、スイセイは昼寝でも始めそうな余裕さでもってそこにいた。

 事実、ショウはあせっていた。セリナが持ってくるであろう書類がユウキの命綱であることは確かだった。ユウキがおどされて、トーツの将校の暗殺に向かってしまったら、成功しようがしまいが無事に済むはずなかった。トーツは捕縛に躍起やっきなるだろうし、シュセンは全ての責任をユウキに負わせてその身柄を差し出すだろう。

 やはり牢から脱出させるべきだろうか。王城の地下牢であるから、いくらショウと言えども簡単にはいかない。それに、たとえ脱出させられたとしても、追われ続けることには変わりなく、ショウの望むユウキの平穏からは程遠かった。

 時刻は正午を回った。だが、セリナはまだ現れない。

「なぁ、スイセ――」

「しっ」

 突然、スイセイを取り巻く気配が変わった。気だるげだったそれが、あっという間に緊張をはらんだものになる。

 ショウは口をつぐみ、スイセイにならって周囲の様子をうかがった。だが、おかしな様子は確認できない。

「いるな」

 スイセイが小声で言った。大通りから外れたこの辺りにはほとんど人通りがなく、今も人の姿は見えない。ショウは怪訝けげんに思った。

 そんなショウの反応に気づいたのか、スイセイが説明をする。

「中に人の気配があんだよ。……結構な人数だ」

「え?」

 ショウは耳を疑った。ケッキの宿は、ケッキが体調を崩したら休みになってしまうような小さな宿だ。住み込みの従業員などいないだろう。室内から大勢の気配がするなど異常事態でしかなかった。

「――開けろ」

「は?」

「お前、鍵開けできんだろ。中に入るぞ」

 スイセイの言葉を理解し、ショウは渋面じゅうめんを作る。もうとっくに足を洗っているのだ。あまりこういうことはしたくなかった。

 だが、室内にある気配が強盗のたぐいであったら一刻を争う。ショウは腹をくくった。

「あー、もう。もし訴えられたら助けろよ」

 そしてショウは上着の隠しポケットへと手を伸ばす。やると決めたなら、もたもたとしてはいられない。ショウはすぐさま作業に取りかかった。

「心配すんな。んなことにはならねぇよ」

 スイセイが笑って答えた。


 ショウは難なく鍵を開けた。それからスイセイを振り仰ぐ。

「どの辺にいんの?」

「多分、奥の方だ」

「じゃあ、静かに開けた方がいいな」

 ショウが気配を掴めなかった時点で、開けてすぐのところにいるとはショウも思っていなかった。スイセイに聞いたのは念のためだ。

 ショウは慎重にドアを開ける。よく手入れされているようで、ドアは音もなく開いた。

 室内は暗かった。窓のカーテンが閉まっているためだろう。そのせいか外の喧騒からも切り離され、しんと静まり返った空間に、時を刻む音だけが規則的に響いていた。

 ショウが中に入るとスイセイが続いた。木の温かみのある内装で、いくつかのテーブルと椅子が目に入る。一般的な宿屋同様、食堂を兼ねているのだろう。入ってすぐのところにはカウンターがあり――。

 ショウは息をのんだ。

 年季の入った木のカウンターには、頬杖をつく老人がいた。老人はぼんやりとした眼差しをショウたちに向けている。

 冷たい汗がだらだらと背中を流れた。

「あ、す、すみません。その、えっと……」

 ショウはわたわたと言い訳を考える。だが、その間にもスイセイは奥へと足を進めており、それに気づいたショウはさらに慌てた。

「ちょ、スイセイ。待てって、勝手に――」

 ショウを振り返ったスイセイがにやりと笑う。それにショウが嫌な予感を覚えたとき、スイセイが勢いよく奥の部屋の扉を開けた。

 強い風が吹きつけたかのようだった。多くの視線が一斉にスイセイ、そしてショウへと向けられたのがわかった。

 ざっと二十人ほどだろうか。そこにはショウの親世代くらいの男女がおり、皆で一つの大机を囲んで座っていた。

「ショウ!」

 その中から一際若い女性が飛び出してくる。――セリナだ。ショウはカウンターの老人にぺこりと頭を下げてから、奥の部屋へと足を向けた。

 奥の方から椅子の後ろを縫うようにして出てきたセリナは、ショウの前に立ったかと思うと突然腕を振り上げた。

「セリ――」

「ばかショウ! ばかばかっ!」

 ショウはとっさに手を出し、振り下ろされたセリナ拳を手のひらで受け止める。だが、セリナは何度も何度も拳を振るい、ショウの手のひらを叩いた。

 ショウは困惑した。馬鹿と言われるほど親しくなった覚えがない上に、言われる理由もわからない。ショウは助けを求めるようにスイセイに目を向けた。だが、スイセイは面白そうに見ているだけで止めてはくれない。

 終いには、セリナはショウの服を掴んでぐらぐらと揺さぶり始めた。

 ずっとなすがままになってが、これは駄目だ。こんな思いっきり揺さぶられてはさすがに目が回る。ショウはようやく制止の声をあげた。

「ちょ、セリナっ! やめっ、待て、落ち着けって」

 力づくで揺さぶりを止め、ショウはセリナの顔を覗き込む。セリナは怒りながらも何故か、少しだけ泣きそうな顔をしていた。

「あんたがいけないんだからね。あんたがちゃんと説明しないから、あんたがユウキを一人にするから、ほんとにほんとにほんとにユウキ落ち込んでたんだからね」

「ご、ごめん」

「頼れる人だってもういないのに、足手まといだから置いて行かれたと思って……」

 予想外の発言にショウは目を見開き、咄嗟に反論する。

「そんなこと思ってな――」

「ユウキに言ってよ!」

 すかさずセリナが怒鳴り返す。そして気まずそうに顔を背け、ぱっと手を離した。

「――もう、いいけどね。あんたのおかげで立ち直ったし」

「え?」

「なんでもないわ。にしても遅かったわね」

 一瞬にして態度を戻したセリナにショウは面食らう。だが、それ以上に腑に落ちない言葉があった。

「遅かったって、店、閉まってたんだけど」

「そう? でも開けられるわよね?」

 何でもないことのように言うセリナに、怒りを通り越して呆れを覚えた。

 開けられるからといって開けていいかと聞かれれば答えは否だ。そんなことは小さい子どもでも知っている。

「冗談よ。昼になったら開けるようにおじいちゃんに伝えてたんだけど……。ケッキのおじいちゃん、また寝ちゃったのね。ごめん」

 どうやらカウンターの老人は目を開けたまま寝ていたらしい。どうりでスイセイが素通りするわけだ。

「それで、そっちの彼は誰?」

 セリナの視線がようやくスイセイへと向けられる。スイセイは腕を組み、いつものややにやにやとした微笑みを浮かべながらショウたちのやり取りを見守っていた。

「あん? 俺か? 俺はショウの知り合い。スイセイっつって、遊離隊長やってる。――そっちにいんのは嬢ちゃんのお仲間か?」

「そう。手は多い方がいいかと思って連れてきたの。私のことは聞いてるのかしらね? セリナよ」

 互いの紹介が済み、ようやく本題に入れるかとショウが思った瞬間、目の端で、スイセイの笑みが深まるのを捉えた。スイセイのこの笑みはやばい、とショウは知っている。

「スイ――」

「なぁ、あんた、セーウ山脈の向こうに暮らしてたんだって?」

 ショウが会話に割って入るよりも、スイセイが口を開く方が早かった。ショウは内心ひそかに頭を抱えた。先ほどのセリナを思い出すと、セリナもあまり怒らせたくない相手だ。ショウは諦めて聞き役にてっすることにした。

「それ、ショウに聞いたの?」

「いんや。ちょっと調べさせてもらっただけ。てか、あんたたちさ、『かたらい』だろ」

 セリナがはっと息をのんだ。そして、その視線がすぐに鋭くなる。

「あなた、何者?」

「だから遊離隊長だって」

 相変わらずのスイセイはさらりと流す。セリナの鋭い視線がショウに向けられた。

「っと……一応、協力者だよ。ユウキからも依頼を受けてるみたいで、手を貸してくれてる」

「ユウキから? え、ユウキはもうセンリョウに着いてるの? だって、ユウキ、お金ないって……」

 徒歩で来ていたならまだ着いていなかったかもしれない。だが、ユウキは裏技を使って船で来た。

 ショウは言っていいものかと躊躇う。おそらくユウキが最初から、捕まることでセンリョウに連れて来てもらおうとたくらんでいた。そしてそれを実行したがゆえに、セリナより先に到着したのだろう。だが、下手に話すとセリナの逆鱗に触れるような気がした。

「あー、うん、着いてるらしい。ただ……実はユウキ、今、王城の地下牢にいるみたいで、な」

「嘘!」

「や、大丈夫。わざとだから。わざと捕まってそれで……できることをしようとしてるんだ」

「――そう。だから、これを私に……」

 セリナは大きくため息をついた。

「もう、目を離すとすぐこれなんだから。ユウキはあとで説教ね。……でも、いいわ。ユウキは無事なんでしょ?」

「あぁ」

「そう。じゃあ、もう聞いてるかもしれないけど、ユウキから預かってるものがあるの。結構重要なものだと思うんだけど、彼にも一緒に見せていいのね?」

 ショウは頷く。するとセリナは二人を先ほどの大机へと招いた。


 机の上には、油紙包まれた書類が置かれていた。

「私たちは先に読ませてもらったわ。中に三種類の書類があって、上から密告の手紙、調査資料、命令書になってる。シュセンの文字で書かれてるから、写しのようなものだと思うわ。ざっと説明した方がいいかしらね?」

 そしてセリナはその書類を差し出す。包みを開くと変色した十数枚の紙が出てきた。ショウはスイセイと共にそれを覗き込む。

「最初のこれは、トーツの軍人からシュセンの軍人宛てに送られた手紙よ。トーツ軍の新兵器と言われてた水に強い火薬、その製造工場がポロボの町にある旨が書かれてるわ」

「え、自国の機密情報をらしたってことか? そんなことするやつホントにいんの?」

 ショウが思わず声を上げると、セリナもそれに同意するように頷いた。

「私も最初、目を疑ったわ。とりあえず次を見てちょうだい。次のはポロボの町民を対象とした健康調査と、ポロボ周辺の環境調査の結果よ。荒内海の大戦の開戦と前後して、身体の不調を訴える人が激増しているの。工場で働くために移住してきた人が多いから断言はできないけれど、私たちで精査した感じだと、三十パーセントくらい増加してる」

 セリナがいくつかの数値を指しながら説明する。この調査資料は数ページにわたるため、ここで目が通しきるのは難しかったが、示された数値を見る限り、確かにセリナのいう通りだとわかった。

「それから、こっちの表が環境調査のものなんだけど、異常に数値を伸ばしてる物質がいくつかあるわ。うち一つが、シュセンでもトーツでもあまり知られていない物質だったから調べたら、ロージアだと人体に影響を及ぼす危険性があるって研究結果が出ている物質だったの」

 わかったのは火薬製造によって健康被害が出ていたということだ。調査結果が残されているところからしても、トーツ軍がこれを把握していたことは間違いない。となると、気になるのはその後の対応だ。ショウが知らないだけか、はたまた秘匿ひとくされたのか、ショウは健康被害があったという話は耳にしたことがなかった。

「トーツで健康被害が出てたって話、聞いたことあったか?」

 ここにいる大人たちに話を振る。ショウやセリナ、スイセイでは意図的に戦争の話が耳に入らないようにされていた可能性が高い。確認するなら大人たちをおいて他になかった。

「ないな」

「あぁ、ない。それにその情報が国外に出ていたなら、ロージアが火薬製造を止めていたはずだ。あそこは正義を振りかざす国だからな」

 その通りだった。シュセンを非人道的と非難したロージア。かの国は世界平和は自国が担っていると自負している国だ。この事実を知っていのたら武力行使してでもやめさせていたはずだった。

「それを踏まえて見てほしいのが、最後がこれよ。トーツの将校からとある部隊に下された命れ――」

「ポロボを破棄!?」

 セリナの説明を待たずしてショウは叫んだ。目に飛び込んできたのは、ポロボを破棄せよという文字。上層部からの残忍な命令だった。

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