5-1. 訪問者(5)

          *

 深夜。ユウキはそっとベッドを抜け出した。その気配を察してか、セリナもまた目を覚ます。

「ユウキ……?」

「ごめん、セリナ。起こしちゃった? 寝てていいよ」

「う…ん……」

 返事が先か、寝息が聞こえてくるのが先か。セリナが眠りに戻ったのを確認してユウキは再び動く。上着を羽織って暖炉だんろに近づき、足を止めた。

 暖炉では太い薪がその身を真っ赤にして、じわじわとした熱を発していた。朝まで持つよう調整された暖炉に、ぼうぼうと燃える火はないが、こうしておけば寝ている間にこごえてしまうことはない。

 とはいえ、明かりにするには不十分だった。薪を足して火を大きくするか、ランプをつけるか。ユウキは束の間悩み、結果、ランプを手に取った。暖炉から火を移してランプをともすと、動物性の油特有の匂いが広がった。町で好まれているのは植物性の油で、この癖のある匂いはユウキにとって懐かしさを呼び起こすものだった。

 ユウキは椅子に座らせていたウサギのぬいぐるみを抱き上げ、暖炉の前に座る。

 ジャンがユウキを拾ったときに持っていたというこのぬいぐるみは、当時は両手でなければ抱えられないほど大きなものだったが、成長した今では容易に片手で抱えられるようになっていた。

 それだけの年月がたっているということだ。その事実に今さらながらに驚いた。


 ユウキがこんな夜中に起き出した理由は、寝る前にしていたセリナとの会話が原因だった。といっても、特に変わった話をしたわけではない。会話自体はいつも通りの他愛のないものだった。

「なんていうか、気休めでしかないんだけどさ。あの子には、お守りというか迷子札というか、一応そういうの持たせてんのよね」

 やんちゃ盛りで困ると愚痴を言っていたセリナが、気づけば優しい目をしていた。

「っていうか、聞いてよ。あのね、最初は首からげさせようと思って紐をつけてたんだけどね」

 首に提げさせても気になるのかすぐに嫌がって外してしまうし、手に持たせたところですぐにどこかに置き忘れてしまう。鞄に結んでつけても引っかけてなくし、なかなか持たせることに成功しなかったのだとセリナは言った。

「でもね、いい方法見つけたのよ。それがね」

 ――あの子の好きな、大事にしているものの中にこっそり入れておくの。

 セリナは内緒話をするように声をひそめて教えてくれた。

 そのときはうんうんと頷くだけだったが、ベッドに入ってから急にその話が思い出され、ユウキは自分も同じようにお守りを持たされているのではないかという可能性に行きついた。

 顔すらほとんど覚えていない両親ではあるが、自分を包む確かな温もりがあったことは体が何となく覚えている。

 愛されていたと思う。だからこそ、自分にもお守りがあるのではないかと思った。セリナと同じように母が考えていたとしたら、きっとユウキは今もそれを持っているはずだ。

 幼いころから肌身離さなかった、あのウサギのぬいぐるみと共に。


 ユウキははさみを手に取り、ウサギの縫い目をほどこうと目をらす。

 もし中に何か入れるとしたら、それなりに大きさのある頭の部分か、おなかの部分だろう。そう考えながら見始めてすぐ、ユウキははっと手を止めた。

 おなかに縦に入れられた縫い目、その一部にだけ比較的新しい糸が使われている。他はどこも茶色く変色しているにもかかわらず、そこだけはまだ白だとわかる色をしていた。母が縫い直した場所だろうか。だが、それにしては新し過ぎるような気もした。

 戸惑いつつも期待を膨らませ、ユウキは糸を解いた。ある程度解いたところで綿わたの中に手を入れてみる。そうして中を探ると、間もなく綿とは違う感触のものに触れた。

 心臓がどきどきとしていた。はやる気持ちを抑えてそれを取り出してみる。

 最初に見えたのはくすんだ茶色。革だろうか。そのまま綿が出ないように気をつけながら全体を引っ張り出す。出てきたのは柔らかな革でできた手のひらサイズの巾着。続けてその中身も取り出してみれば、それは色鮮やかな刺繍がほどこされたハンカチだった。

「きれい……」

 ぬいぐるみの中という、れることもなければ日に当たることもない、劣化しにくい環境に置かれていたためか、刺繍糸は全く色せておらず、丁寧に刺されたであろうその刺繍の美しさと相まって、見事な絵柄を生み出していた。

 橙の糸は線を描き、面を描くのは黄色や緑、赤は不規則に点を打ち、一ヶ所だけ大きな塊を作っている。残る青は線も面も描いていた。それらに規則性はないようで、模様というよりは子どもの落書きのように見えた。

「不思議な絵柄。まるで川があって大地があって森があるみた――」

 ユウキは自分の言葉にはっとする。それからハンカチを九十度回転させ、改めてそれを見た。

 青のステッチのラインは上から右下へ、橙のステッチが青いラインに沿うように、そして赤は橙に近い場所に多くの玉を作る。ベースカラーは左から青、黄、緑、青の順で、境界はジグザグとしていたり、曲線だったりして、その中を塗りつぶすように刺繍されていた。

 これはシュセン国の地図だ。青は水。タット川や西の凪海、東の荒内海などが描かれている。橙のラインは街道で赤は町。緑は山脈や森で、黄色はおそらくツイツイ砂漠だろう。そうやって当て嵌めて見れば、ジャンやショウから聞いていたシュセンの地形と一致する。

 そして回転させたことで、黄色の中にあった赤く丸い刺繍が、可愛らしいウサギの刺繍であることがわかった。

「まさか」

 もしこれが本当に、母がユウキに持たせたお守りであるというのなら、この刺繍にも意味があるはずだ。ユウキが好きだったウサギ。それをした刺繍が示すこの場所は、きっと――風捕りの里の場所だ。

「お母さん」

 ユウキはハンカチを握りしめる。ここに込められた想いにユウキは泣きそうになった。

 ――ここにいるよ。帰っておいで。

 そんな母の声が聞こえた気がした。

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