5-1. 訪問者(6)

          *

 ユウキは窓の外を覗き、まだ明ける気配のない夜を見て、諦めてベッドへと戻る。

 このたかぶった心ではとても眠れそうになかったが、朝を待つには時間が長過ぎた。えた目のまま横になり、ぼんやりと天井を見上げる。

 母はユウキがはぐれてしまうかもしれないと予測して、ユウキのために里の場所を記しておいてくれた。

 けれど正直なところ、里に行くのは怖い。もしかしたら、そこにはもう誰もいないかもしれないし、いたとしても受け入れてくれるとは限らなかった。

 少し前に思い出してしまった里の光景。そこにはユウキのことを悪魔と罵る女性たちがいた。もし里が風捕り狩りをまぬかれて無事だったとしても、待っているのはそんな人たちだ。

 ただ、それでも迷ってしまうのは、そこにユウキの両親や、ショウが探しているリョッカという女性がいる可能性が残っていたからだ。特に、ショウが家出をしてまで探しているその女性は、何とかして見つけ出してあげたかった。

「なら、これをショウに……」

 必ずしもユウキが里まで行く必要はない。この地図をショウに渡すだけでもいいのだ。そう気づいた瞬間、ユウキの迷いはなくなった。

 おそらくここで待っていても、ショウは遠からず来てくれるだろう。けれど、それよりもっと早く渡してあげたかった。それならユウキが届けに行けばいいと思った。ショウはセンリョウに向かうと言っていて、父親のことも口にしていたから、実家に帰っただろうことはわかっている。

「あ……」

 そこまで考えて、ショウの家名を知らないことに気づいた。そうなるとセンリョウに行っても、家名を調べるところから始めなくてはならない。

「うーん。まず行ってみて、かな」

 大変は大変だろうと思う。けれど、今考えたところでどうにもならないだろうとも思った。何より、問題はそれだけではない。ユウキはここからセンリョウまでどうやって行くかを考えなくてはならなかった。

 セーウ山脈の北側にいる間についてはあまり心配していない。

 移動手段は徒歩に限られているし、道はわかっている。十分な休息は取れないだろうが、気をつけるべき相手は獣や気候の変化だ。通常の対処法はユウキも知っているし、それで対処できないような事象に出くわしたとしたら、それはそもそも人間にどうこうできるようなものではなかったということだ。

 むしろ、人里が近づいてからのほうが心配だった。

 徒歩での移動では距離が稼げず、必ずどこかで野宿をすることになる。だが野宿をするとなると夜盗に襲われる危険があった。馬車を利用すれば町で休めるだろうが、今度はお金の心配が出てくる。民家の軒先ででも休ませてもらえればいいが、上手くいかなければ野宿とさほど変わらない結果になるだろう。

 生活すらやっとだったユウキにたくわえはない。そんな状況でセンリョウまで旅をしようと考えていることが、そもそも無謀なのだということはわかっていた。

 何か売れるようなものでもあれば話はまた違っただろう。だが、今はせいぜい蔓で編んだかごがある程度だ。到底センリョウまでの旅費をまかなえるようなものではなかった。

「加工品より素材の方が手っ取り早いんだけどな」

 考えてすぐ思い浮かぶのは薬効高いキノコ。けれどそれは時期が悪かった。森の獣たちが冬眠のためにおそらくほとんどお腹に収めてしまっただろう。

「今、手に入るものだと、毛皮……は小さ過ぎるし、鳥の羽根もそこまで綺麗じゃないから大した値がつかないし……」

 まだユウキに眠気は訪れない。ユウキは時間を潰すのにちょうどいいかと、知りうる限りの素材を思い浮かべ、一つずつ検討を始めた。


 そして、思い浮かべられる素材が尽きたころ、ようやく長い夜が明けた。隣のベッドでセリナがもぞりと動き、ユウキははっと顔を向ける。

「セリナ? 起きた?」

 そっと声をかけると、セリナは再びもそりと動きユウキを見た。そして眠たげに目をこする。

「ユ…キ……? ん、おは――」

「あのね、セリナ、聞いて!」

 意気込んで口を開くが、セリナはぼんやりとしていて反応が薄い。まだ半分夢の中にいるのだろう。けれどユウキは続けた。ユウキは夜が明けるのを、セリナが目を覚ますのをずっとずっと待っていたのだ。

「私、センリョウに行こうと思う。風捕りの里の場所がわかったの。だからそれをショウに伝えてくるよ」

「ユウキ……?」

 ぼんやりとしていたセリナの表情が次第に驚愕へと変わる。それで伝わったと確信したユウキは、ベッドからい出して顔を洗いに行った。

 そしてユウキが戻ってくると、セリナはベッドの上で身体を起こし、目を吊り上げて待っていた。

「座って」

 セリナはパンパンと向かいのベッドを叩いて座るよううながす。ユウキはそのベッドに腰をかけ、セリナと向かい合った。

「風捕りの里の場所がわかったからセンリョウに行くって?」

「うん、そうなの。お母さんがね――」

「駄目だよ、ユウキ。状況は良くなってないんだから。どうしてここに帰ってきたのか忘れたわけじゃないでしょ?」

 思いのほか厳しい口調でたしなめられ、ユウキはわずかにひるんだ。指名手配されたままであろうことはわかっている。マカベか誰かがまだユウキを狙っているだろうことも。

「でも」

「里に行って、里の人に会えたとして、何ができるの? もう戦争だって始まって――」

「……え?」

 その途端、セリナがしまったという顔をした。ユウキはそれに遅れて理解する。

「戦争!? ちょっとセリナ、それどういうこと?」

 セリナは気まずそうに目を反らした。ユウキはさらに追及する。

「教えて、セリナ。もしかして、トーツとの戦争が再開したの?」

「……う、うん。でもね」

「なら、行かなきゃ」

「ユウキ!」

 湧き上がる衝動。それは理屈で抑え込めるような感情ではなかった。けれど、そうして立ち上がったユウキをセリナがしっかりと掴んで引き止める。

「待ってユウキ。これはユウキが責任を感じることじゃないわ。何でもかんでも自分のせいだって考えるのは……傲慢ごうまんよ。ユウキはまだ十六になったばかりの、ちっぽけな女の子なんだから」

 ユウキは首を振った。セリナは完全にユウキを守る立場で物を言っている。それでは正しい言い分とは言えなかった。ユウキを守るための詭弁きべんのようなものだ。

 それに、そんなセリナもユウキのせいでないとは言っていない。ユウキのせいかもしれないということは、セリナも認めているのだ。

「ね、そんなの大人に任せておけばいいのよ。ユウキはユウキにできる精一杯のことしてきたんだから」

「だとしても――」

 子どもにだって責任はある。けれどそれをセリナ相手に言い張ったところで意味がないことはわかっていた。セリナがユウキを思って言ってくれているのは確かなのだ。それを否定するようなことは言いたくなかった。

 だから、ユウキは前のめりになった身体を引き戻し、続けようとしていた言葉を、少しだけ論点のずれたものに変える。

「私も大人だよ、セリナ」

 ユウキが成人の儀のときにジャンに貰ったピアスを示すと、セリナは少しふくれて見せた。

「それはずるい。うちの村は例外なの。普通、シュセンだと成人は十八なんだから。まだ二年も先よ」

「じゃあ、そういうことにしといてあげる」

「はいはい。そういうことにしといてくださいな」

 こうしてセリナの説教は終わった。けれど、ユウキはセンリョウに向かうことを諦めてはいなかった。

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