4-4. 多忙な日々(2)
*
父の言葉の真意は、間もなくわかった。
「お食事にございます」
この日、食事を持ってきたのは老年の男性。ショウも昔から知っている男性だった。
彼は少し難儀そうに配膳する。体のどこかが痛むのかもしれない。
「無理する必要はないよ」
ショウが手伝おうと立ち上がると、使用人は慌てて首を振った。
「いいえ、無理など、とんでもございません。お見苦しい姿をお見せしまして大変失礼いたしました」
「大丈夫ならいいんだ。ありがとう、お願いするよ」
これ以上言っては逆に負担になるだろうと思い引き下がり、ショウは再び腰を下ろした。
食事の載った皿というのは意外と重い。力仕事というほどではないが、関節などを痛めているのだとしたら
屋敷に帰ってきた最初の数日間、ショウに食事を運んでいたのは若い男性だった。老いた使用人たちは他の使用人たちの補佐が主で、こういった仕事はしていなかったと記憶している。だが、ここ最近はどうだろうか。食事の配膳しかり、着替えしかり、ほとんどの仕事を父より上の、ヤスジくらいの年齢の使用人がしている気がする。
――若い使用人が減った?
考え始めると無性に気になり出した。ショウは手早く食事を済ませ、屋敷の中を見て回る。
意識して見るとそれが事実であることがわかった。使用人全体の人数も減っているが、特に若い男性の使用人が減っている。先日の外出の際、廊下で誰ともすれ違わなかったことを考えると、削減されるようになったのはそれ以前のことだろう。
ショウは呆然と足を止めた。
この現実が意味することは何か。今の国の状況と国民の立場を踏まえて考えれば、自ずと答えは出てくる。
――まさか、戦争に駆り出されたのか……?
ショウがこの屋敷に来た時点では、まだ義勇兵を募っている段階だった。戦場は軍人たちの活躍の場であって、国民は工場勤務などの後方で支援していれば良かった。
だが、若い男性がいなくなったということは、戦が本格化したということだ。おそらく徴兵が始まり、戦場に派遣されてないにしても、訓練には入っている段階なのだろう。
――そんな話、聞いてない。けど、それなら……わかる。
少しの外出にもかかわらず、ショウを跡取りだろうと責めた理由。そして、父が自らの決断を愚かと言わずにはいられなかった理由。それがわかった。
戦場に駆り出されるのを避けるためには、国への高額な資金提供と、貴族の当主や跡取りと言った立場が必要だった。
だが一度、父が左遷されてしまっている我が家は、貴族の中では裕福とは言い難く、出征を回避するための資金を捻出するのは容易なことではない。
何人もの使用人たちが戦争へと駆り出される中、ショウは跡継ぎという立場によってそれを
そんな父の苦悩を欠片も理解していないショウに、父は苛立ちを抑えられなかったのだろう。
当主は使用人に対しても責任を負う。彼らを
庇護すべき使用人ではなく、跡取りとしてのショウを選択した父。これでもしショウが跡取りなど好きでなったわけではないとわめき散らすようなことでもあったなら、ショウはもちろんのこと、ショウを選んだ父もまた、使用人たちから冷たい目を向けられることになっただろう。いや、すでにそういった視線を向けられていたかもしれない。ショウは何にも気づかずにのうのうと過ごしていたのだから。
となれば、身内の欲目なしにショウが必要だったのだと周囲に知らしめる必要がある。そうでなくては、人心を繋ぎとめられない。
ではどうすればいいかと考えて、咄嗟に思い浮かんだのは戦争を止めること。それはこれまでに何度か考えたことがあったし、ただの跡取りにできるようなことではないと、もうわかっていたはずなのに、動揺していたショウはそれに気づかなかった。そして、なんとしてもそうしなければと思い込んで更なる深みへと
完全に思考が暴走していた。何ができて何ができないのか。何が正しくて何が間違っているのか。もはや何もわからなくなっていた。
そんな調子のまま仕事を続けたため、それ以降の仕事では度々、失敗を繰り返すようになり、そして、とうとう大失敗をやらかした。
パシン、と大きな音が刑務部の中に響いた。
父の手に握られているのは、先日ショウが作成した書類。必ず父のチェックを受けてから提出されていたはずのその書類が、不備だらけのまま、上位の部署へと送られていた。
「イズル。送り返せ」
直接口をきくのも嫌といった様子で、父は部下に指示を出した。ショウはそのまま屋敷へと強制送還された。
叩かれた頬がじんじんと痛む。けれど、それ以上に胸が苦しかった。
「何やってんだろ、俺」
まだ日は高く、誰もが必死に働いているだろう時刻。ショウは自室のベッドに腰を掛け、ぼんやりと宙を眺めていた。
「結局、俺には何もできないんだ」
何をやっているのだろうという思いは、もうずっと胸の内にあった。ただ、仕事をやっている間は気にせずに済んだし、他のことを何もしていなくても、父が無茶な仕事の振り方をするからだと言い訳できていた。
けれど、ショウが足を止めたままであることには変わりない。そして、職場でも使えないというのなら、もはやショウの価値はないに等しかった。
ヤマキと会ったところまでは悪くなかったと思う。
ただ、そこで知り得た事実は、ユウキの心を軽くするどころが、負担を増やすようなものばかりだった。
ポロボでの暴走は風捕りが
それを実行した風捕りたちは皆処刑されたか、戦場で命を落とした。
戦争再開はやはりマカベの
唯一の朗報は、風捕り狩りを生き延び、今なお生きている風捕りがいるということくらいだ。
その一点を素直に喜べばよかったのかもしれない。だがショウにはそれができなかった。
何故なら本当は戦争再開を防ぎたかったから。戦争再開を防いで、「実現するわけないじゃん」「ほら、ユウキ一人の存在で戦争再開が左右されることなんてなかっただろ」と何事もなかったかのように言ってやりたかった。
けれど、ショウが戻ってきたときにはすでに戦争は再開していて、そして止める手段もまたなかった。
自分の無力さ加減が嫌になる。どうして自分には、大切な友人一人を守ってやれるだけの力もないのだろう。
そしてどれほどの時間がたったのだろうか。気づけば室内が薄暗くなっていた。
ショウは小さく息を吐く。明かりをつけるのも億劫だった。どうせする仕事もないのだからこのままでもいいかと考え――。
「できないことをできないと認めることもまた必要なことだ」
ショウの先ほどまでの思考を覗いていたかのようなこの発言は父のものだ。いつの間にか部屋の入り口に父が立っていた。
「わかったようなことを言うな」
父が心配して様子を見に来てくれたのだということはわかっていた。けれど、ささくれ立った心はそれを素直に受け取れない。
父はそんなショウの言葉にショックを受けることもなく、冷静な眼差しでショウを見た。ショウは咄嗟に顔を
そうしている間に父は出ていくだろうと思っていた。けれど、父の気配はずっとそこにあり、ショウは次第にそわそわと落ち着かない心地になっていった。
――いつもなら、ため息をついてすぐに出てくのに。
まるで何かを待っているかのような父の態度にショウは困惑した。
怒鳴って追い出すべきか、それとも、言いたいことがあるなら早く言えと急かすべきか。ショウは答えを出せず、躊躇いがちに父を窺い見た。
途端、視線が重なり、ショウは息をのむ。そんなショウを見て、父が再び口を開いた。
「今のお前にできることはなんだ?」
今度の言葉はすっとショウの心に入り込んだ。先ほどの言葉と合せて、ショウの心を揺さぶる。
決して優しい口調ではなかった。けれど、そこにショウを案ずる心を見た気がした。
ショウは唇を噛みしめる。悔しいが父の言うとおりだった。ショウはできないことをできないと、どうしても認めることができなかった。
戦争を止めるのはできないこと。ユウキの指名手配を取り下げるのもできないこと。
けれど、他にやるべきことも、できることもないわけではなかった。
風捕りは今も生きている。ユウキも、それ以外も。
けれど風捕りは、ずっと後ろめたさを抱え、人々の悪意に
こんな状態が正常なはずなかった。
だからこそ必要となるのが風捕りの復権。ショウはそれに向けて動くべきだった。
それができるのは――国だ。
回り道かもしれないが、ショウが国政に深く
そのためには、ショウはもっとしっかりと勉強しなくてはならない。
そして変えるのだ。国民の意識も、風捕りの在り方も。いずれ風捕りが、他の特殊能力者と同じように、一国民として普通の生活を送れるように。
ただ、そう決意してもこの胸に抱く思いは複雑だった。
――ユウキ、ごめん。
これからやろうとしていることは、ショウの本意とは言い難い。これをするためにユウキを置いて戻ってきたのではない。
本当は全てを解決してやりたかった。戦争を止め、指名手配を取り消させ、風捕りや里を見つけ、そして真実を探り出す――。
けれど、ショウにできるのがこれしかないというのなら、ショウはそれをするだけだ。今後、ユウキや風捕りたちが理不尽な要求を突きつけられないようにするためにも、絶対に必要なことだった。
今はそのために勉強するということが、ショウにできる精一杯のことのようだった。
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