4-4. 多忙な日々(3)

          *

 冷静さを取り戻せは、これまで同様の仕事漬けの日々が戻ってくる。

 刑務部。そこでショウは父に押しつけられた書類の処理に追われていた。

「ショウ様。こちらもお願いいたします」

 やってきた青年が追加の書類を差し出す。

「そこに置いておいてもら――」

「あの、可能であれば優先的に目を通していただきたいのですが」

 申し訳なさそうに、けれども譲れないといった様子でそう申し出た。

「わかりました」

 ショウはそれを受け取り、目を通す。

「――確認したいことができました。この書類を作った方の所まで案内してもらえますか」


 青年が案内したのは、ショウが初めて足を踏み入れる東の棟だった。ドアを開けるとそこにはヤマキがいて、ソファで悠々とくつろいでいる。

「待ちくたびれました」

 久々に顔を合わせたヤマキの第一声はそれだった。しかも、それは今日のことではなく、ここ数日、ショウの動きがなかったことに対してだった。

「あなたが動いてくださると信じて、色々とお話したのですよ? そのつもりがないのならもう結構です。――あぁ、せっかく苦労して重要な情報を手に入れたというのに、無駄になってしまいましたね……」

 ショウはそれにピクリと反応する。動きを見せないしびれを切らしたからでなく、本当は何か情報を掴んだから呼び出したらしかった。

「何かわかったのか?」

「いえいえ。あなたはもうどうでもいいのでしょう? どうぞお構いなく」

 ヤマキはひらひらと手を振ってショウをあしらった。ショウは途方に暮れた。ヤマキの機嫌をそこねてしまったことはわかるのだが、どうすればいいのかがわからない。

「えっと、その……すみませんでした?」

「それは何に対しての謝罪です?」

「スイセイの代わりに動くと言いながら、何もしてこなかったこと、です」

「では、まだ続けるおつもりはあるのですね?」

 ショウは答えに詰まった。今できることはないと思っている。だから、未来を見据えて、そのための準備をしようと思った。

 けれど、ヤマキが求めているのはそういうことではない。今、ショウに何かするよう求めているのだ。

 別にショウがしたかったような難しいことでなくてもいい。治安局の人たちを動揺させるなり、混乱させるなりできれば何でもいいのだ。スイセイは引っ掻き回してくれればいい、と言っていたのだから。

 ヤマキが得たという情報は知りたい。けれど、今さら治安局を引っ掻き回すことには何の意義も感じられなかった。

「長期戦でいこうと思ってるんだ。風捕りのことを諦めたわけじゃない。だから、何か情報を掴んだなら、教えてほしい」

 ショウにはそれしか言えなかった。

「甘いですね。あなただってぬるま湯につかって育ったわけではないのですから、わかるでしょう?」

 教えてくれといって簡単に情報が手に入るのなら苦労はしない。ショウも虫のいいことを言っているとわかっていた。

 ヤマキは大きな封筒を机の上へと置く。

「ここに、先日イロクとあなたとで処分したという書類の複写があります。あなたが私の手駒になるとお約束くださるのなら、これをお見せいたしましょう」

 先日イロクが持っていた書類。イロクはそれを軍部長官が闇屋に依頼をしたときに交わされた契約書だと言った。さらにはそれが風捕り絡みであることも匂わせた。

 ――見たい。

 あのアキトが軍部長官とどんな取引をしていたのか。そしてアキトが敵か味方か知るためにも、それは喉から手が出るほど欲しい情報だった。

 早い段階で頷いておけば良かったとショウは後悔する。まだ続けるつもりがあるのかと聞かれたときに頷いておけば、手駒になれなどという要求はされなかっただろう。

 手駒になるということはある種の自由を奪われるということだ。簡単には頷けない。

「手駒って――」

「ククッ」

 ショウが尋ねようとした瞬間、ヤマキが堪えきれないといった様子で噴き出した。ショウはさらに困惑する。

「あなたは本当に真面目ですね。スイセイに分けてやりたいくらいです。王城で生きていくなら、この程度の要求突っぱねられるようにならなくてはお話になりませんよ。でなければ、常に先に条件が出したほうの勝ちになってしまいますからね」

 ショウはがっくりと肩を落とした。ヤマキは本気でショウに教えないつもりではなかったようだ。

「あなたにはあなたしか持ちえない切札があるでしょう。使ってこその切札です。――と、講義はこのくらいにして、さっそくこれを見ていきましょうか」

「本当に見ていいのか?」

「えぇ、どうぞ」

 ショウは封筒を受け取ると、恐る恐る中身を取り出した。


 日付は十五年前。休戦の直前のものだった。

 その書類は途中から始まっていた。通し番号を見ると三分の二となっている。どうやら一枚目は入手できなかったようだ。

 ともあれ、その書類に目を通していくと、すぐに衝撃的な事実へと行き当った。

「風捕り一族という特殊能力者は存在しなかったことにしたい? それを闇屋がやったっていうのか!?」

 ショウは信じがたい思いで、何度もその文章を読み返す。そこには確かにそう書かれている。

「ってことは、アキトさんが隠蔽いんぺい工作を? まさか、そんなっ」

 ショウは混乱した。闇屋と関わりがあったどころの話ではない。これでは完全な共犯関係だ。

 だが、暴走した風捕りは正式な手順で処刑されている。そこに何かを隠蔽した形跡はない。

 となるとやはり、帰還前の戦場で他の風捕りを殺すなどの行為があったということだろうか。それとも――。

「おや、あなたは闇屋とお知り合いなのですか?」

 ヤマキの声で思考が中断された。ショウは一人で突っ走っていたことに気づき、説明しようと顔を上げる。

「あぁ。闇屋は前に――」

「いけませんね、闇屋との繋がりなどもっとも秘すべきものでしょうに」

 何を言われたかわからず目を瞬かせると、ヤマキは呆れた顔をした。

「まさかそれもご存知ないと? 闇屋は、真実を抹消する情報の暗殺屋ですよ」

「は?」

 ショウは耳を疑った。頭の中でその言葉を反芻はんすうし、更なる驚きに見舞われる。

 字面だけでも物騒なそれは、事実、かなりの闇を含んでいた。ヤマキは説明する。

「闇屋の名の由来は、真実を闇に葬るというところから来ています。闇屋は、という事実自体を抹消するのです。どんな手段を使ってでも――たとえ人を殺してでも」

 ちまたでは他の追随ついずいを許さない優れた情報屋であるということしか知られていない。闇市の一角に出没することが多いから闇屋なのだとショウは思い込んでいた。だが、闇屋の闇はそんな生ぬるいものではなかったらしい。人を殺してでもその情報を抹消するなど、噂に聞く殺し屋よりもよほどたちが悪かった。

 愕然としているショウを追い詰めるように、さらにヤマキは言う。

「ですから知り合いだなどと言ったら、どう思われてしまうか……わかりますでしょう?」

 ショウは急いで何度も頷いた。これ以上聞きたくなかった。話だけでも恐ろし過ぎた。

 その一方で、アキトがそんなことをしていたなどとは信じられなかった。少なくともショウやユウキにとっては、気のいいおじさん――もとい、頼りになる男であったから。

「じゃ、じゃあ、この風捕り一族を消すっていうのは」

「初めから、風捕りという特殊能力を持つ者がいなかったことにしようとしたということです。そんな方法など私には思い浮かびませんから、闇屋がどうしようとしていたのかはわかりませんが、風捕り一族を全員殺そうとしたのか、力を使えない状況を作り出そうとしたのか。ただ、これに関しては失敗に終わったとみていいでしょう」

「失敗?」

「えぇ。闇屋の仕事に気づくということ事態がまず失敗である証拠です。闇屋は噂から何から何まで完璧に抹消してしまいますから、普通は闇屋が抹消に動いたという事実にも気づけないのですよ。それに今回は、風捕りに生き残りがおりますからね」

「あぁ、そっか」

「重要なのはその依頼をナダ殿がしていたということです。暴走した風捕りの処刑だけであれば、闇屋の手を借りる必要などありません。ナダ殿は、暴走した風捕りの処刑だけでは不十分であると考えたということです。何か理由があったのかもしれません」

 確かにヤマキの言うとおりだった。軍部長官がその依頼をしていたという事実は、それだけでも不祥事になるし、これによって、国と風捕りの間にただならぬ関係があったと予想することもできた。国は風捕り狩りをただ見て見ぬふりをしただけではなかったのかもしれない。

「ともあれ、今となってはその理由もわからないでしょう。闇屋が消したというのなら、我々がそれを知ることは叶いません」

 早々に諦めを見せるヤマキにショウは驚いた。闇屋とはそこまで規格外な存在なのか、と。

「なら……もし、今もまだ闇屋が動いているとしたら……?」

「それは興味深いお話ですね。闇屋側で当時の依頼がまだ継続状態と認識されているか、もしくは、娘さんの話を知ったナダ殿が再び依頼をしたか、でしょうか」

 やはりそうかとショウはため息をついた。

 闇屋と軍部長官との間に繋がりがあったということは、再び依頼することも可能だということだ。もし、そんな再依頼があったのだとしたら、アキトがユウキに接触したのは、その依頼のためだったという可能性もある。

「何故、今も闇屋が動いていると思われたのですか?」

「え? あ……」

 仮の話としたところで、ヤマキにはお見通しだったらしい。ショウは仕方なく自分たちとアキトとの関わりを明かす。

「実は、俺とユウキがチハルを出るとき、手を貸してくれたのはアキトさんだったんだ。ユウキとは前から知り合いだったみたいだから、親切で手を貸してくれたんだと思ってたんだけど……」

「そうでしたか。ですが、闇屋が動いているとなると厄介ですね」

「っていうと……?」

「全て闇屋の都合のよい結末にしかなりませんからね。闇屋にはそれだけの力があります。おそらく対等に渡り合える可能性があるのは、スイセイだけでしょう。それもスイセイの手足が十分な数揃ってようやく、です。まぁ、風捕り抹消のときのような失敗例もありますから、絶対にそうなるとは言いませんが」

「今度こそ本当に風捕りの存在が消される?」

「依頼内容次第ではそうなるでしょう」

 ショウは鳥肌立った。国の大きな力も恐ろしいが、闇屋の得体のしれない力もまた恐ろしい。どちらもショウ個人で太刀打ちできるものではなかった。このままでは本当にユウキは消されてしまうかもしれない。

「ならどうすればいい? 俺は、できればアキトさんを敵とは思いたくないんだ」

 状況から見て、アキトが敵でないわけがなかった。そんなことはわかっている。それでも可能性があるのなら、アキトと正面切っての対決は避けたかった。

 依頼を取り下げさせる方法でもなんでもいい。何かいい方法はないかとヤマキに詰め寄った。

 ヤマキはショウの言葉を受けて何やら考え込み始める。そして、それはしばらくの間続いた。

「ヤマキさん?」

 あまりにも反応がないことに不安になって、そっとヤマキを呼ぶ。するとヤマキは小さく首を振り、顔を上げた。

「そうですね。闇屋が動いているからといって、依頼があったと考えるのは早計だったかもしれません。一度、会って確認してみるといいでしょう」

「会うって、そんな簡単に言われても」

 知り合いだからといって簡単に会えるわけではない。チハルで会えたのはユウキの存在があったからだ。

「では、ひとまずそれは横に置くとしまして、お父上に聞いていただけませんか? ――どうやって、あなたの手配書を取り下げさせたのか、と」

 ショウは唖然とした。よくもこう次から次へと脈絡のない話ができるものだと呆れを通り越して感心する。

 だが、ヤマキにとっては繋がりのある話なのだろう。ショウは帰宅したら父に聞いてみると約束してヤマキと別れた。


 その帰路、ショウの心はずっとざわめいていた。

 ヤマキにせっつかれた今ならわかる。ショウはこの問題から逃げていたのだと。色々と風捕りの過去がわかり、全体像が見え始め、ショウはその規模の大きさと重圧に恐れをなして背を向けてしまっていただけだ。

 そしてショウは、父に示唆された楽な道に逃げ込んでしまった。

 ――けど、駄目だ。やっぱりじっとなんてしてられない。

 ヤマキからこんな話を聞かされて、じっと机に齧りついてなどいられるわけがなかった。

 それにショウは知っている。この先、ショウが国を変えられるようになるまでずっと風捕りが無事でいられるとは限らないのだと。

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