4-4. 多忙な日々(1)

          *

 城に行った翌日から、父の手足としての忙しい日々が始まった。

 まず任されたのは書類の仕分けだ。屋敷の書斎で急ぎのものとそうでないものとに分別し、さらに案件や分野ごとに整理をした。

 ただ書類を分けるだけの仕事だが、これが意外と難しい。

 表題や書き出しだけで分けようとすると、本題が全く別の内容だったり、関係者にしかわからないような簡略化がされていたり。知らない用語も多く、度々調べなくてはならなかった。慣れれば一目見ただけでわかるようになるというが、仕事を始めたばかりのショウにそんな技能はない。

 さらに、それと並行して父から出された課題もやらなくてはならなかった。ショウは目をしょぼしょぼとさせながら、夜遅くまで課題に取り組むことになった。

 翌日は城に上がる。ショウは父に刑務部の業務部屋へと連れて行かれた。

 そこはそれなりの広さのある部屋で、三十人ほどが机を並べて仕事をしていた。ショウはその部屋の奥のほうの机へと座らせられ、そして目の前にどさりと書類を積まれる。

 また仕分けをするのだろうとショウは考えたが、父は昨日とは別の指示を出した。

「これらの案件を公式文書に起こせ。ここにペン、インク、紙がある。資料室は隣だ。わからないことがあればコレに聞け」

 父は大雑把過ぎる説明をして、目の前の机に座っていた、三十歳前後の男性を示す。

「イズル、これは愚息のショウだ。今日から働かせる。急ぎの仕事は渡していない。業務内容以外で必要があればフォローしろ」

「それは手順を教えたり、手を貸したりしてはならないという意味でしょうか?」

「そうだ」

「――承知いたしました」

 イズルと呼ばれた男性は少しだけ憐れむような眼差しをショウに向けた。

 ショウもなんとなく察した。新人にはやり方を教えたり、説明したりするのが普通だ。だが、父はそれをするなと言った。右も左もわからないショウに、自力で何とかしろと言ったのだ。

 父はこのくらいできなければ使えないと言いたいのだろう。腹立たしくはあるが、ショウのやる気には火がついた。これはショウの性格を理解した上で挑発しているに違いない。

「お前もいいな?」

「はい」

 ショウがしっかりと頷くと、父は間もなく部屋を出て行った。

 父は普段、奥の執務室で刑務部長の補佐をしているため、席もそちらにあるのだという。だから、この部屋にいることはほとんどないのだと、イズルがそっと教えてくれた。


 城と屋敷とを行き来しながらの、慌ただしい日々を過ごすこと数日、ショウははたと我に返った。父にあれしろこれしろと振り回され、風捕りの件がすっかり疎かになってしまっている。

 いくら今できることが限られているといえども、これではいけないかった。イロクとばったり出会ったことすらヤマキに報告できていない。これでは本末転倒もいいところだ。

 今日は運よく、父が急な呼び出しを受けて屋敷を空けていた。これまで屋敷にいるときは父が、城にいるときはイズルが常にショウの側にいて、自由にできる時間はなかったが、今日は誰もいない。チャンスだった。ショウは最低限の仕事を手早く終わらせ、すぐに部屋を飛び出した。

 屋敷を出るまでは使用人に見咎められるかもしれないと少し緊張していた。けれど玄関のドアを潜るまで誰ともすれ違うことはなく、ショウは門衛に少し外出するとだけ告げるだけで済んだ。

 少し拍子抜けした。父のことだから、城でのイズルのように、屋敷でもショウが仕事をさぼらないよう見張りをつけていると思っていた。どうやら考えすぎのようだった。

 ともあれ、屋敷を出たショウは街中を目指す。ヤマキとのやり取りはとある菓子屋を介して行われることになっていた。

 菓子屋と聞いて思い浮かぶのは、女性客の多い、可愛らしいお店といった印象。そんな店にショウが行ったら目立ってしまうのではないかと危惧していたのだが、行って納得する。菓子といっても貴族や女性が好むようなこじゃれたものではなく、庶民が昼の間食としてつまむような揚げ菓子の店だった。腹もちが良く安価なため、老若男女問わず人気の菓子だ。

 その一口サイズの揚げ菓子が十粒ほど、手の平サイズのかごに盛られて売られている。籠は返却しなくてはならないため、売り台の前に回収箱が用意されていた。多くはこの場で食べてすぐに返す。家に持ち帰る人も、家で別の容器に移して籠を返しにやって来る。

 ショウもまたその菓子を一つ買って、店の前で他の人たちに混ざって食べた。

 ――あ、うまい。

 口に入れた瞬間そう思う。ほんのりと甘い懐かしい味がした。下手に凝っていない素朴な味わいが、ショウの舌に合ったようだ。

 だが、目的は菓子ではない。ショウは手早くそれを食べきると、空いた籠を回収箱へと持っていく。そして、それを箱に入れるのと一緒に、ヤマキ宛ての手紙を紛れ込ませた。

 これで完了だ。急ぎの用がないという前提での手順であるからやや面倒ではあるが、監視の目が飛び交う城でやり取りするよりずっと安全だろうとのことだった。

 だが、ヤマキは一体どうやってこの手紙を受け取るのだろうか。ここにヤマキの手の者がいるのだろうか。

 気になってショウは店の中を覗いてみた。そうしたところで、誰が手の者なのかなどわからないだろうと期待せずにいたが、そこでそれとは別の意外な発見をする。

 店からなんとなく知った雰囲気を感じ取った。言葉に言い表せないこの感じを、ショウは良く知っている。

 ――なるほど。こんなところにあったのか。

 ショウはふっと口元を緩めた。

 この菓子屋は情報屋だ。どこにもそれとわかるものはないが、これまでにいくつもの情報屋を見つけ出してきたショウであるからわかる。ショウは確信していた。

 センリョウでようやく見つけることができた情報屋。利用するためには手順を探り出す必要があるが、場所がわかっただけでも気持ち的に大きく違う。あとで利用手順を調べ出そうと心に決め、ショウは上機嫌で菓子屋をあとにした。


 帰宅した屋敷では父がショウを待ち受けていた。自室に戻った直後、使用人を通して呼び出され、ショウは急ぎ書斎へと向かう。

「どこに行っていた」

 書斎に入るなり、父が問いただした。表情も口調も非常に険しいもので、頭ごなしな態度にショウは苛立った。

「どこだっていいでしょう。外出くらい好きにさせてください」

「おまえにそんな勝手が許されると思っているのか」

 ショウは眉を顰めた。仕事をさぼったといっても、普段、課題をやっていた時間を少し削って利用しただけで、書類の仕分けは済んでいる。それに、外出といってもたかだか二、三時間のことで、嫌味を言われる程度ならともかく叱責されるようないわれはない。

「私を閉じ込めるおつもりですか」

「そういう話じゃない」

 じゃあ、どういう話だと思った。ショウの行動のすべてが把握できていなければ気が済まないとでもいうのだろうか。

 ショウは不穏さの増した目を向け、父の答えを待った。

「――お前は跡継ぎだろう」

 ショウは目を見開いた。そこまで家が大事かと思った。今なお貴族としての体面を気にするのかと思った。再び裏切られたような思いに駆られ、ショウの心は瞬く間に怒りを越して冷え切った。

「……だから何だというのですか。跡継ぎにはなります。けど、それ以上のことは求めないでください。それが気に入らないなら――俺を跡継ぎになんかしなければいいんだ。俺は最初からそんなの望んじゃいない」

 互いに互いの強い視線がぶつかり合った。そのまま睨み合うが如く、無言の時が過ぎる。先に視線を外したのは父だった。

「お前は私が思っていた以上におろかだったようだ。……周りをよく見なさい。それでもわからないというなら――」

 父はそこで言葉を切った。続けるか否かわずかに逡巡したのち、ため息をつく。

「私を愚か者にするなよ」

 父はそれだけ言うと、ショウに下がれと命じた。

 文脈の繋がっていない最後の一言が、ショウを困惑させた。だからと言って聞き返す気にもなれず、そのまま部屋を辞す。

 結局、父が言いたかったのは何だったのだろうか。周りをよく見ろと言われたが、ショウはそう指摘されなくてはならないほど狭量ではないと思っていた。職場の人間関係も円満で、今のところ嫌な顔一つされたことはない。

「まぁいいさ。勝手に言わせときゃいいんだ」

 父がショウに跡継ぎとしての振る舞いを求めるのはいつものことであるから、今さら必死に考えるようなことでもない。

 そしてショウは父の言葉を頭の隅へと追いやった。

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