2-6. 浮足立つ人々(2)
*
図書館に昨夜の司書の姿はなかった。
書架の整理をしていた職員いわく、
そして、それを伝えに来たのは娘一人だけで、司書は荷造りしているからという理由でやってこなかったらしい。
その話を聞いた瞬間、ショウは恐怖に襲われた。
やってきたのは本当に司書の娘だったのだろうか。本当に同居が理由なのだろうか。
もしそれらが真実でなかったとしたら――。
ショウは視線を感じてはっと我に返る。まだユウキへの報告の途中だった。
「ごめん、何でもない。そういうわけで、司書に話は聞けなかったんだけど、たとえ関係した風捕りを処刑してたとしても、一族全員を処刑するなんてことは不可能だろ? だから、どこかでひっそりと暮らしてると思うんだ。時間はかかるかも知れないけど、見つけることはできると思う」
ユウキはじっとショウを見つめていた。ショウもまた視線を返すが、ユウキは視線を外さない。そしてショウが居たたまれなくなったころ、ユウキが口を開いた。
「わかった。私もそう思うことにする。見つけようね、ショウ」
ショウは大きく頷いた。
それからしばらくして、耳に入るようになったのは街の音。会話する人のざわめきや子どもの泣き声。鳥の羽ばたきに洗濯の水を流す音……。
耳を澄ませば確かな人の
そっとユウキに目を向けると、ユウキは膝を抱えて虚空を見ている。その表情は穏やかなものだった。その顔にショウはほっと息をつく。
今朝、風捕りの話をした直後、ユウキの顔から表情が消えた。その瞬間の恐怖は忘れられない。
知らぬ者が見れば、冷静なようにも見えたかもしれない。だが、普段の感情豊かなユウキを知っているショウは、
表情が抜け落ちたユウキには、そのまま壊れてしまうのではないかという危うさがあった。
だからショウは今のユウキを見て安心する。そこには確かに表情と呼べるものがあった。
そうして見ていると、ふいにユウキがこちらを向いた。ユウキと目がばちっと合う。
「ん?」
ユウキが首を傾げた。ショウは、見ていたことがばれてしまった気恥ずかしさをごまかそうと、慌てて適当な話題を考える。
「あ……。いや、何考えてるのかなって」
「うーん、それは……やっぱり嵐を作れたとは思えないな、って、ね」
「あぁ。それはちょっと俺も思った、けど」
「けど?」
ショウの微妙な言い回しをしっかりと拾って追及する。ショウとしてはまだ考えがまとまっていないため、口にするつもりはなかったのだが。
「可能性が全くないわけではないかもって思い始めてる。参考までに聞きたいんだけど、この前、林で馬の行き先を調べたやつ。音を引き寄せて確認したって言ってたけど、あれは具体的にはどうやったんだ?」
「あれは、風に乗ってる音を、風ごと引っ張ってきただけだよ。確かにちょっと距離があったから工夫はしたけど」
それからユウキは困惑したような顔で言葉を選ぶ。
「具体的にって言われると難しいんだけど、風ってリボンみたいな形をしてるの。長かったり、短かったり、太かったり、細かったり色々あって、そんなリボンがたくさん空をそよいでるイメージ。風がリボンだってわかってれば、
ショウは脳裏に、空いっぱいにそよぐカラフルなリボンを思い浮かべ、その異様さに顔を引きつらせる。実際は違うのだろうが、ショウの想像力ではそれしか思い浮べられなかった。
「ただ、一つの風って、基本的にはそんなに長さがなくて。あの時、分岐の場所って三百メートルくらい離れてたでしょ? その距離だと、一つの風を掴んで引っ張るだけだと届かないから、だからあの時はいくつもの風を絡めて引っ張って、それで何とか音を運んだの」
「風を絡めて?」
「そう。近くにある一本のリボンしか引っ張れなくても、遠くで絡まってれば別のリボンも一緒に引っ張ってこれるでしょ?」
「あー、何となくはわかった。ちなみに、そのリボンみたいなやつってのは、ユウキには見えてるんだ」
「あ、うん。目を凝らせばだけどね。それで遠くのリボンが絡まるように、手元のリボンを揺らしたりねじったりしてね。あの林で、離れた場所の風を引き寄せられたのはそれでなの」
ショウはユウキの話を聞いて、自分の仮説が一応は成り立つという結論に至る。
「うん。なら、やっぱりそれじゃないかと思うんだ」
「それって言われても……風を絡めるにも限度あるから、嵐は作れないよ? 確かに嵐は風が絡まったものだけど」
「別に作る必要もないだろ。あれは事故だ。たまたま近くに嵐があった。風捕りが暴走して、いくつもの風を絡めて引っ張ってきてしまった。そしたらたまたま嵐が街に直撃してしまった」
「そんな無茶な」
「でも、ないとは言い切れない」
ユウキは不満そうに
ショウがユウキを見つけたのだって偶然。可能性を全て否定することは避けるべきだった。
「別に、風捕りはやってないって言いたいからってわけじゃないんだよ。だけど、それは保留にさせて。ちょっと納得はできない」
ショウは頷いた。無理に自分の意見を押しつけるつもりはない。それに現段階では推測しかできないのだ。答えを急ぐ必要はなかった。
「はぁ。でも、どうして特殊能力者を投入しようって思っちゃったんだろうね」
ユウキの言葉にショウも同意する。もし特殊能力者を投入しなければ、大戦の結末は大きく違っていただろう。
シュセンの特殊能力者の多さは、もともと他国に対して優位に立てる部分だった。けれど、これまでは戦争に使われることはほとんどなく、それでいて大敗することもなく上手くやってきた。シュセンの突然の方針転換はユウキでなくとも気になることだ。
「確かに。もともと特殊能力者の存在っていうのは、シュセンにとって
「抑止力って、国が、他国に向けて力を
「そう。シュセンは他国よりも特殊能力者が多いから、これだけいるんだぞって見せつけて、長いこと戦争を抑えてきた。それでも荒内海の大戦は起こっちゃったけどな」
「だね。え、でも、じゃあ、その抑止力があったのにどうして荒内海の大戦は起こったの? まさか怖いもの見たさだなんて言わないでしょ?」
「さすがにそれは。んー、荒内海の大戦は……そう、確かトーツが新しく水に強い火薬を発明したからだったかな。トーツは火薬の産出国だから研究にも力を入れていたみたいで。対するシュセンは火薬の入手自体、他国……イリスに頼らなくちゃだめだろ。戦争の中心兵器になりつつある火薬を自前で用意できるってことはそれだけで強みになるのに、それに加えての新兵器。開戦当初はシュセンも、トーツがそんなもの開発してたなんて知らないから、スピード勝負に持ち込めば勝てるとトーツは思ったんだろうな。実際、その火薬のせいで――」
話ながらショウは思い出す。まだ、ユウキにジャンの話をしていなかった。あの後、いくつも衝撃的な話を聞かされたため、そのことを忘れてしまっていた。
「火薬のせいで?」
「あ……。そう、その火薬のせいで、シュセン中の船が海に沈められた
「あぁ、聞いたことある」
「そう、か」
ショウは複雑な気持ちで頷いた。
船舶転覆事件を実行したとされているトーツの将校ジャン・オハナ。ユウキの祖父がもしそのジャン・オハナだったとしたら、ジャンは自分の起こしたその事件についてまでユウキに教えていたということになる。
ジャンはどんな気持ちで話したのだろうか。自分の戦果を
いや、まだユウキの祖父がトーツの将校であると決まったわけではない。
ユウキの意見も聞きたいところだが――何もこんな衝撃的な風捕りの事実を知った直後に聞くことでもないだろうと思い直す。
もう少し、もう少しだけ落ち着いてから聞いてみようと、ショウはこの件を先送りにした。
気を取り直して話を続ける。
「シュセンはトーツがそんな火薬作ってるなんて知らなかったからな。何の備えもしてなかったんだろう。船舶転覆事件のあと、シュセンはかなり混乱して、それでトーツがもともと狙ってた、南のカヤバ港が落ちた」
「嘘」
その話は知らなかったらしく、ユウキが大きく目を見開く。
「もちろん取り返したけどな。けど、それがシュセンの怒りを
「でも、その結果があれじゃあね」
「ある意味あれも成功だったとは思うけど。たぶん、あのまま勝っていれば、風捕りは正義だった」
「そんな正義なんて……」
ユウキは途中で口を
「戦争、再開されないといいな」
「……うん」
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