2-6. 浮足立つ人々(1)
*
明け方に帰ってきたショウはなかなか寝付けなかったようだ。ユウキが起き出す頃になってようやく寝息が聞こえてきた。
ユウキは一人、先に朝食を食べ、それから日課となっている通りの観察をする。
だが、頭にあるのは別のことだ。ショウの帰宅が遅かったところから、成果があった可能性が高いと思っていた。ならば早く話を聞きたい。
とはいえ、まだ午前も早い時刻。ショウは当分、起きな――。
「何してんのユウキ」
ユウキはびくりとして振り返る。気づけば、まだ寝ていると思っていたショウがすでに目を覚ましていた。上体を起こして、
「――ショウ。お、おはよう」
「ん。何か気になるものでもあったのか?」
「うん。なんか、ちょっといつもと違う気がして」
暇だからというのもあったが、今日に関しては、違和感を覚えたからいつもより凝視してたというのが正しい。一つわかったのは旅装をした人物が普段より多く、その中にまるで軍人のような動きの者が混ざっているということだ。他にも違いはあるようだが、はっきりとは掴めていない。
「それは……あの噂のせいじゃないか」
「戦争が再開されるってやつ? じゃあ、その噂は事実なのかな」
「事実じゃない方がいいんだけどな」
それにはユウキも頷く。ユウキ自身は戦争を経験したことはないが、耳にした話はどれもひどいものだった。
特に戦争で成果を上げて帰ってきた兵士の異様な興奮と、家族を亡くした遺族との間にある温度差はひどく、戦争の歪みをまざまざと見せつけられたかのようだった。
「あ、それで、昨日どうだったの? 何かわかった?」
ユウキが聞いた途端、ショウがびくりと肩を揺らした。それから真剣な眼差しをユウキに向ける。
どうやら軽く聞ける話ではないようだ。ユウキは排気口から離れ、ショウの近くに移動した。
「そうだな。落ち着いて聞いて欲しいんだけど……その前に。ユウキは、
ユウキは、うーんと
荒内海の大戦は、シュセンとトーツとの間で起こった荒内海の覇権を争う戦だった。
それは荒内海が大陸東部の主な、そして唯一の漁場だったことに
そんな荒内海はイリス、シュセン、トーツの三国によって囲われていた。荒海とは半島の国イリスからトーツにかけて点在する列島によって
この話だけを聞けばどの国も平等に海を利用できるように感じるが、実際は違っていた。トーツの荒内海に面した一帯だけが断崖絶壁となっており、トーツは港を作ることはおろか、船一隻出すこともできなかった。
豊かな漁場を前にして、手も足も出せないトーツは昔からずっと不満を抱えており、それがこの戦の引き金となった。
そして
「――そうだね、きっかけと結末くらいは」
人並みには知っていると思う、と告げるとショウは確認するようにいくつかの質問を投げかけた。
「結末っていうと?」
「ロージアが介入してきて、休戦に応じざる得なくなった」
「じゃあ、そのロージアが介入した理由は?」
「シュセンが投入した特殊能力部隊が暴走して、トーツの町を一つ滅ぼしちゃったんだっけ? 虐殺説もあるけど有力なのは暴走説だよね。で、それを批判してロージアが介入した。そのときロージアが言った「非人道的国家」っていうのが未だに引きずられていて、シュセンの汚名にされてる」
「ほんとよく知ってるよな、ユウキは」
半ばあきれたような口調でショウが言った。
それもこれもほとんどが、ジャンから子守歌代わりに聞かされた話だ。特に勉強したわけではない。だが、ショウの反応から察するに、誰もが知っている話というわけでもないのだろう。
「それでだ。今の話に出てきた、町を一つ滅ぼしてしまったと言われている作戦。それが導歴八四九年の
実はこのとき初めて特殊能力部隊が脅しや諜報活動などではなく実践に投入された、んだけど――結果は知ってるよな。町は全壊。死者は三万人を超えた。といっても、そこまで死者が多くなったのはトーツのせいでもあるけどな。火薬製造のためにトーツはポロボの町に人を大勢集めてた」
「三万……ってどのくらい?」
想像もつかない数にユウキは困惑した。多いことはわかる。だが現実離れしていて実感が沸かない。
「そうだなー。センリョウ、よりはさすがにだいぶ少ないか。チハルと比べると……倍くらいじゃないかと思うんだけど、悪い、その辺ちゃんと把握できてないや」
「ううん。こっちこそごめん、続けて」
「あぁ。それでその天誅作戦を受けて、大都市並みの人口が、しかも老若男女問わず殺されたってことで、複合国家ロージアが重い腰を上げたんだ」
元々、ロージアに参戦する意思はなかった。ロージアはシュセンと接してると言っても砂漠だけであり、また、シュセンがトーツを占領したとしても、トーツとロージアの間には険しい山脈があるため、さらにロージアまで侵攻、ということにはなりえないとわかっていたためだ。
けれど、あの天誅作戦によってロージアは危機感を抱いてしまった。シュセンを抑えるためにもトーツを勝たせる必要があると考える者が出てきた。建前はともかく、実際はそういうことだったようだ。
ロージアはシュセンを非人道的国家であると非難すると同時に停戦勧告を出した。しかし、勝ってるシュセンが停戦に応じるわけはなく、結局、ロージアが実力行使に出ることになる。それが八五十年のツイツイ砂漠の戦いだった。その戦いによって、シュセン西部の大半を占めるツイツイ砂漠の南端、ミルシャの砦が占拠された。
「実質、シュセンの東西を繋ぐ交易路の一つが封鎖された形になって、それでようやくシュセンが折れた。砦の解放と引き換えに、占領していたポロボ周辺の領土を返還。それが八五一年、ロージアの中の一国、ターニアで結ばれた休戦協定の内容だ」
これらの話は大よそユウキが把握しているのと同じだ。が、ショウが聞かせたかったのは戦争の概要ではないはずだ。
「ショウ。今の説明わざと肝心なところ抜かしたでしょ」
「やっぱ気づいたか。多分、ユウキの想像通りだよ」
「天誅作戦を
「いたっていうか……その作戦自体が風捕りによって行われた」
ユウキは首を傾げる。それでは先ほどの説明と食い違うのではないだろうか。いくら暴走してしまったからとはいえ風捕りの能力に町を破壊できるほどの力があるとは思えない。
「どういうこと? 特殊能力で町を破壊したわけではないの?」
「あれは――能力を暴走させてしまった風捕りが、嵐を作って破壊してしまったって言われてる。少なくとも「大人たち」はそう認識してる、らしい」
ショウの言う大人たちというのは、風捕りを知る世代ということだろう。つまりは一般論か。
「嵐ね……」
それであれば可能なのだろうか。ユウキにはわからない。だが、何もないところから、そんな
じわじわと心のうちに恐怖が生まれる。
「火薬工場を破壊するだけの予定が――風捕りの暴走による嵐で町を全壊させてしまった……」
「みたいだな。っていっても、その事実をシュセン国民が知ったのはターニア休戦協定が結ばれてから。突然の休戦に納得のいかなかった国民によって暴動が起きかかったらしくて、その説得のために事実が明かされたらしい」
「何それ」
勝っていたのに突然ロージアに攻められて、ほぼ負けに近い形で休戦に応じるなど、国民にとっては寝耳に水といったところか。気持ちはわからなくもない。だが、自国の汚点をわざわざ明かすというのもおかしな話だ。
「今となってはそう思うよな。当時は相当混乱してたんじゃねぇか? 休戦協定が結ばれてから三年間くらいは、国民は
で、その休戦の三年後の八五四年。風捕りに関する書物の
風捕りがしでかしたことも、国民の反応も、国の対応も、全てがお
「じゃあ、つまり、風捕りが能力を暴走させたせいで、ロージアが介入してきて休戦になったってこと? シュセンが非人道的国家って呼ばれるのも……」
風捕りのせいということになるのだろうか。
確認するようにショウへと目を向ければ、ショウが苦しげに頷いた。
心が冷え冷えとする。直前まであった激情がすとんと治まった。
「……それで?」
続きを
ユウキが知りたいのは風捕りのその後のことだ。これまでの流れからすると、責任をとらされて処刑されたと考えるのが妥当だろうか。
「ショウ。それで、風捕りはどうなったの?」
はっきりと告げれば、ショウが動揺を
「それは、わからない」
「司書さんも知らないって?」
「いや……。そういう話をしなかったんだ」
本当だろうか。ショウならそこに疑問を持たないはずがない。
だが、言う気がないなら仕方ない。別の手段を用いるまでだ。
「じゃあ、聞きに行こう」
言ってユウキは立ち上がる。これはとても大事なことなのだ。確認しないわけにはいかなかった。
「ユウキ」
「だってそうでしょ? ショウは風捕りを探してる。その後のことを聞かなきゃ、風捕りに、まだ生き残りがいるのかどうか、それすらわからない。全員、死んじゃってる可能性だって――」
「ユウキっ!」
ショウが切羽詰まった顔をする。ユウキは首を傾げた。どうしてそんな顔をするのだろうと不思議に思う。
「わかった。わかったから、ちょっと待ってくれ。俺が聞きに行ってくるから」
「――そう」
ショウの言葉を聞いた瞬間、膝から力が抜けた。ぺたんとその場に座り込み、息を吐く。
ショウは食事を口にかき込んで、ばたばたと出かけていく。ユウキはその様子をぼんやりと目で追った。
ショウが出かけてしまうと、室内は途端に寒々しくなった。しばらくユウキはぼうっとしていたが、気づけば、先ほどの話を思い返している。
――国は、風捕りの存在自体をなかったことにしようとした、か。
本気で存在自体をなかったことにしようとしたなら、当然、風捕りを生かしておきはしないだろう。考えたくないことではあるが。
――じゃあ、私は?
八五四年ならもうユウキは生まれていたはずだ。ジャンに拾われた年の前年だっただろうか。だが、そのときユウキは自分がどこで何をしていたかなどは覚えていない。
自分が生きているのだから、他の風捕りも生きている。そう信じたかった。けれど、信じられるだけの根拠がどこにもなかった。
そのとき、ミシッと梯子の
ユウキは目を見開いた。梯子を上がってきたのは青ざめた表情のショウだ。
ショウが出かけてから、まだ三十分もたっていなかった。
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