2-3. 遊戯のはじまり(2)

          *

 ウンガは穏やかな空気の流れる気持ちのいい町だった。町中の至る所で水音がし、各家の庭先では色とりどりの糸や生地がされて風にそよいでいた。センリョウでは決して見られない光景だ。

 だがそんな景色の美しさもスイセイの心には響かない。スイセイの意識は町に入る直前のヤマキとの会話に向いていた。

「知ってるかもしれないとは思ってたが……本当に知ってるとはな」

 無意識のうちに声に出してしまった言葉は、すぐ隣の者に拾われる。

「隊長? どうかされましたか?」

 今、スイセイの隣にいるのはヤマキではなくトウマだった。町の入口まで迎えに来たトウマの案内で、マカベ家に向かっている真っ最中だ。

「いんや、こっちの話」

「ならいいのですが。あ、こちらです。もう間もなく到着いたします」

 あの後、本当にヤマキは去っていった。それ自体は意外でも何でもないのだが、ただスイセイの予定は確実に狂った。ヤマキは有能な副官で、すでにこの作戦の数に含まれていたのだから。


 屋敷の前まで来ると、そこには濃いグレーの制服でピシリと決めたマカベ家の警備隊が勢ぞろいしていた。その数およそ二十人。その誰もがたくましい体つきで、日ごろから訓練を欠かしていないことが窺えた。

 その中に、頭一つ飛び出している大男がいた。スイセイはにやりと笑う。久しぶりに武人の血が騒いだ。

「へぇ、面白そうじゃん。トウマ、やってみるか?」

「隊長……困ります」

 トウマは取り合わなかった。スイセイが手を出す前にと、間髪かんぱつおかずに声をかけに行く。

「ヒサ殿、よろしいでしょうか。こちらがうちの隊長です」

 頷いたのはスイセイが目をつけていた大男だ。大男は一歩前に出ると、にこやかな笑みと共に手を差し出した。

「お待ちしておりました。マカベ家の警備長を務めますヒサと申します」

「遊離隊長のスイセイだ」

 このタイミングで切りかかったとしてもこの男なら難なく防ぐのだろう。そんな想像をしながら、スイセイはその手を握った。

「恐れ入りますが、おいくつで?」

「そっちは?」

 上がっていたテンションが急降下する。ぶっきらぼうに聞き返せば、ヒサは躊躇うことなくすぐに頭を下げた。

 この辺りの対応は商家につかえる者ならではかもしれない。少なくともスイセイなら謝罪めいた態度など絶対に見せない。

「失礼いたしました。興味本位にうかがうことではありませんでしたね、お忘れください。それでは――」

 ヒサはあっさりと言葉を取り下げた。だが、それが逆にスイセイの興味を引く。

「――二十四」

「は……?」

「俺の歳。二十四だけど、そんで何?」

「あ……ありが、とうございます。いえ。その若さで部隊を任されるとは、ずいぶんと優秀な方なのだと思いまして」

 取ってつけたかのような言い分にスイセイはあきれた。

 やはり聞かせたくない理由があるらしい。ただこちらをめての発言の可能性もないわけではないが――。

 先ほどすぐに言葉を取り下げたところからすると、質問した一瞬の反応だけで、ヒサの知りたい情報が得られたとも考えられる。だとしたらなかなか厄介だ。

 ――おもしれぇ。あばいてやろうじゃねぇの。

 理由をごまかすからには、ごまかすだけ理由がある。隠されれば隠されるほど暴きたくなるというのがスイセイの性格だ。これは初対面でいきなり挑戦状を突きつけられたにも等しい。

「遅ればせながら、中へどうぞ」

 ややぎこちないやり取りをごまかすかのように、ヒサは屋敷の中へと案内した。スイセイはトウマだけをつれてついて行く。

 この屋敷は、マカベ家のウンガでの拠点だった。支店のようなものらしいが店舗にはなっておらず、真っ直ぐな長い廊下と、その左右に複数の小部屋とが並ぶ。

 こういった屋敷や支店をマカベ家はシュセン各地に持っているという。それらを統括できるだけの手腕を持っているというのだから、マカベという男がやり手であることは確かだろう。

「こちらへ」

 案内されたのは奥から二つ目の部屋。中は質の良い調度品で整えられ、一揃いのソファセットが中央にえられている。

 部屋に入ったスイセイは納得した。商談向きの部屋だ。店舗にせずとも、こういった部屋を用意しておけば上客との取引には何の支障もない。

 革張りのしっかりとしたソファに腰を下ろしながら、スイセイはさっそく本題に入った。

「警察から預かっていた娘を逃がしてしまったから探してくれって依頼だったな?」

「えぇ、そうです」

 スイセイは事前に知らされていた報告内容の確認をする。

 娘の名前はユウキ。歳は十五。以前から秘密裏に警察隊が探していた娘で、最近発見されたばかりだった。

 その娘は危険なタイプの特殊能力者だったため、一時的に特殊能力を無効化できる技術を持つというマカベ家へと預けられる。マカベ家では娘に無効化の処置をほどこし、警察隊へと引き渡す予定だった。

 だが、厳重に警戒し、見張りをつけていたにもかかわらず、処置を施す前に脱走されてしまう。

 マカベ家警備隊はすぐに捜索を開始したが、わかったのは北からチハルを出て、街道を東に向かったということだけだった。

 なお、少女の脱走には手引きした少年がいたことがわかっている。その少年が屋敷に侵入し、見張りを気絶させ、巡回の隙をついて娘を連れ出したと考えられていた。

「って話で間違いねぇな?」

 ヒサはその通りだと頷いた。そこにすぐさまトウマの質問が飛ぶ。

「その手引きしたという少年の身元は?」

「大工見習いをしていたショウという名の少年だとわかりました。ただ、娘との関係や目的、どうしてマカベ家にその娘がいることを知ったかなどはまだ……」

人相にんそうは?」

「新月の夜でしたからこちらでは確認できませんでした。今、チハルの者に聞き込みをさせて人相書きを作らせているところです。遭遇した隊員によると、背丈は普通で身のこなしは南方の猿のよう。ナイフ遣いも慣れたものだった、とのことです」

「へえ、り合ったんだ。そいつと会える? 軽く手合せしてみてぇな」

 スイセイが言えば、ヒサは苦笑する。

「噂は存じております。遊離隊の方々がお相手ではお話にもならないかと思いますが」

「俺も噂は聞いてるぜ? マカベ家警備隊にゃ、そこんじょそこらの警察や軍の男どもじゃ敵わないってな」

「恐れ入ります」

 批難と取るか、賛辞と取るかは微妙な言葉であったにもかかわらず、ヒサは迷わなかった。今の言葉を賛辞と取る辺り、なかなか肝の据わった人物かもしれないとスイセイは評価する。

 コホンと一つトウマが咳をした。話がそれていると言いたいようだ。

「それで、今もその少年は一緒に?」

「おそらく。その少年の行方もわかっておりませんので」

「ふぅん。じゃあ、少年の狙いは少女の特殊能力か。少年は知ってたんだろ? その少女が特殊能力者だってこと」

「――いえ、おそらく知らなかったでしょう」

 ヒサが慎重な口調で答えた。

 予想と違う答えにスイセイとトウマは顔を見合わせる。

「何故、知らなかったと?」

「そう判断した理由に関しては申し上げられません。ですが、私どもはそう確信しております」

 客間に沈黙が降りた。トウマは不機嫌さを隠さず睨みつけ、スイセイもじっとヒサを凝視する。

 二つの強い視線を受けてもヒサは揺らがなかった。スイセイはそこに確固たる意志を感じた。

「――わかった。じゃ、それはいいとして、だ。危険っつう特殊能力は何だ?」

「それは――」

「それも言えねぇってか?」

「いえ。……実はその特殊能力が何であるか、警備隊員は知らされていないのです」

 スイセイは目を眇めた。先ほどの受け答え以上に気に入らなかった。

 知らないならば仕方ない。言えないというのも、立場や利害に関係すると考えれば頷けないこともない。だが、この特殊能力に関しては違う。すでに危険だということはわかっているのだ。にもかかわらず、知らされていないの一言で済ませるのは不誠実ふせいじつきわまりない。

 確かに警備隊員は知らされていないのかもしれない。その可能性は捨てきれない。だが、警備長であるヒサが知らないはずがなかった。それこそ隊員の命にかかわるのだから。

「スイセイ殿なら警察隊のほうから伺っているかと思っていたのですが……」

 この言葉すら本心かどうか疑わしい。もしここが戦場だったなら、スイセイはとうにこの男を切り捨てている。

 疑わしきは罰せ、それが戦場で生き残るためのルールだ。

「いや、聞いてねぇな」

「そうでしたか、申し訳ありません。のちほど、主人には伝えておきますので……」

 何とも白々しいやり取りだった。この後、じっと待っていたところで、マカベ家側からその特殊能力について知らされることはないだろう。

 実際のところ、スイセイは娘の特殊能力が何であるかは知っている。それを明かして、マカベ家が隠そうとした理由を追及してみるのもいい。

 だが、それによってこの任務から外されるのは面白くない。せっかく押し入った舞台だ。端役でも最後まで演じ切りたいと思うのはおかしなことではないはずだ。

 ――ってことは、やっぱり追及するならヤマキだな。

 一人納得して頷いた。

「そんじゃ仕方ねぇな」

 途端にトウマが跳ねるように立ち上がった。そしてスイセイに噛みつく。どうやらトウマも気づいていたらしい。

「隊長! 何でですか。協力を求めてきたのはあちらなのに、隠し事を許すのですか? そんなの私は御免です」

「上のやつらが広めたくないような能力だと、そんだけわかれば十分だろ」

 もちろんそれで十分なはずはなく、トウマが納得できないのも理解できる。

 もし、その能力が「風捕り」であると知らなかったら、スイセイも締め上げるなり何なりして聞き出していたかもしれない。

「ま、少女のことがわかんねぇって言うんなら少年の方からあたるっきゃねぇな。まずはこっちでそのショウってやつについて調べてみるさ。どの程度計画的な犯行かは知らねぇが、普通のやつなら地の利に明るいとこに逃げたがるだろ」

 これ以上ここに用はないとばかりに立ち上がる。

 先程のトウマの言葉は的を射ていた。協力を求められてやってきたのだから、もっと友好的に迎えられると思っていた。だが、実際は隠し事を山ほどされて、手紙で知らされた以上の情報などないに等しかった。

 警察隊の紹介で来ているにもかかわらずこれほど警戒されるというのは、ある意味、異常だった。

「では、お願いいたします」

 スイセイは呆れ半分に頷いた。力を貸して欲しいのか欲しくないのか、この男の本心は最後までわからなかった。

 手引きした少年は迷うことなく町の外に出たという。それは少なくとも外を知る人間だということだ。一度も旅をしたことない人間であれば、一時的に町を出ることさえ躊躇う。

 各地に班を散らしたのは正解だったらしい。とはいえ捕まえるだけならもっと簡単な方法もあるのだが――。

「――あぁ、そうだ」

 スイセイは足を止めて、見送りに立つヒサを振り返る。

「とりあえず、そっちは何もするな。動くな」

「とおっしゃいますと?」

「通常の業務に戻ってろってこった。必要があればこっちから連絡する」

 動揺を見せたのも束の間、ヒサの表情が引き締まった。それだけでこちらの意図いとが伝わったのだとわかる。

「念頭に置いておきます」

 ヒサは、是とも否とも言わなかった。だがそれで十分だった。

 マカベ家ほどの大商家ともなると何をするにも視線がついて回る。その視線がスイセイには邪魔だった。

 ヒサに見送られ、スイセイはトウマと並んで屋敷を出た。そして一つ角を曲がると、トウマがに落ちないといった表情で口を開く。

「マカベ家は何故――」

「言うな」

 スイセイが気づいたようにトウマもまた、もっとも簡単な方法に気づいている。

 先ほどの話が全て事実だったとするなら、その手段が使えた。娘の特殊能力がどのくらい危険なものかにもよるが、それこそ遊離隊の力をもってすれば何とでもなる。それだけの実力者が遊離隊には集められているとスイセイは自負していた。

 それにもかかわらず、マカベ家はその手段を用いなかった。ヒサが口にすることもなかった。

 だがスイセイにとっては、その手段が使われなかったことはむしろ都合がよかった。

 娘を捕えるだけであればさほど難しくはないが、スイセイが気になったのは風捕りのほう。その情報をあぶり出すには少々時間が必要だと感じていた。

 困惑の表情を見せるトウマと目が合う。トウマは何かを言いかけて、だがすぐに首を振った。代わりに、各班に連絡を回してきますとだけ言ってそばを離れて行く。

「真面目だなぁ。ま、だから俺が楽できるんだけどな。とりあえず……寝るか」

 スイセイはのんびりとした足取りで宿へと向かった。

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