1-5. その正体は(4)

 そんなふうにしてユウキはマカベのペースに飲まれていた。それに気づいたのは空になったカップを置いたとき。ユウキはこれではいけないと思い自ら口火を切る。


「それで、どうして私を捕まえたの? 私に何をさせようとしているの?」

「おや、話してなかったかね? 私はお前の……その特殊能力を買ったのだよ」

「特殊能力――…って何のこと? 私がそれを持ってるって?」


 ユウキは動揺した。隠していたわけではないが、使わないようにしていた。だから、ジャンの他に知る人などいないと思っていた。


「とぼけずともよい。この目で見たからな」


 そんなはずないと否定しかけて、間もなく思い出す。

 昨日、ユウキは風の実を使った。それを目撃されていた可能性は否定できない。


「市場、に…いたの……?」


 マカベは目を細め、無言で肯定した。


「その能力――私であれば、もっと生かせるぞ」


 だから自分に従え、自分に託せ、と目で訴えてくる。

 その眼差しは暗く、あやしく、ユウキは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。マカベは変わらず笑みを浮かべたままだ。だが、マカベの発する一言一言が呪いの言葉のようにユウキを襲った。

 ユウキは爪を手のひらに食い込ませるように握り、その痛みで自分を取り戻す。


「……生かすって戦争に? 無理よ。私の能力は戦争じゃ役に立たない」


 思いのほか冷静な声が出てユウキはほっとする。

 ユウキが特殊能力を使ってできるのは、風の実を作ったり、離れたところにある風を引き寄せたりすることくらいだった。風の実に関しては言うまでもなく、完全に嗜好品扱いであったし、引き寄せられる風にも限度がある。あまりにも強い風や遠くの風を引っ張ってくることはできなかった。


「さて、それはどうかな」


 思わせ振りな言葉に、肌がぞわりと粟立あわだつ。


「何」

「くくっ。そう怯えることはない。例え国が要求してこようとも、私がお前を戦争になど行かせない。こんな若い娘を……もったいない」


 マカベは説明しなかった。代わりに余計不安になることを言って、ユウキを怯えさせた。


「お前はただここで存分にその能力をふるえばいい。悪い話ではないはずだ」

「――風の実を作れ、と?」


 市場で見ただけなら、風を引き寄せられることは知らないだろう。確認の意味を込めて尋ねれば、マカベはすぐに頷いた。


「そうだ。高く買ってやる」

「お断りします。私の能力は売り物じゃない」


 人を食ったような物言いに腹が立ち、ユウキはマカベを睨んだ。そうでなくとも答えは決まっていた。

 売り物にすることを考えなかったと言えば嘘になる。風の実は非常に珍しいものであるし、これを売り捌く自信もある。家が貧しいと承知しながらもそれをしなかったのはジャンがいい顔をしなかったからだ。ジャンはユウキが特殊能力を使うことを好まなかった。


「そんな簡単に断ってしまっていいのかね? 私なら君の望みを全て叶えられる。例えば――」

「結構です。自分の望みは自分で叶えます」


 マカベの顔から初めて笑みが消えた。その眼差しがユウキを射抜く。ユウキもまたマカベから目を離すことができなかった。

 二人の間に緊張をはらんだ空気が満ちる。


「そうか……」


 やがてマカベが残念そうに息を吐いた。ユウキはほっと肩の力を抜く。

 だがそれは時期早尚だった。マカベの口から更なる爆弾が落とされる。


「――何故、その能力で助けてくれないのか。お前が風の実を売ってくれれば、いい薬も医者も食料も手に入るというのに」


 ユウキは息が止まりそうな衝撃を受ける。マカベのそれが誰の心情を謳ったものかはすぐにわかった。


「ずいぶんと親不孝者なのだな。たった一人の家族だというのに」

「――嫌っ! 聞きたくない!」

 ユウキは叫び耳を塞ぐ。


 ここに来てからずっとジャンのことは考えないようにしていた。考えたら耐えられないだろうとユウキにはわかっていた。

 まぶたの裏に、ジャンの最後の姿が浮かぶ。

 ジャンは今どうしているだろうか。誰か気づいてくれただろうか。それとも、今もあのまま冷たいベッドの上で一人寂しくしているのだろうか。

 きちんと送ってあげることもできていない。自分は一体何をやっているのだろう。


 マカベの言う通りだ。自分はとんでもない親不孝者だ。

 今、マカベによって眼前に突きつけられたのはユウキの罪。できることがあったのにユウキはしなかった。ユウキはその罪悪感に胸が押しつぶされそうだった。

 ジャンは特殊能力を使ってほしくないと言った。けれど、命の危機の迫る状況でまでそうしてほしいとは思っていなかったかもしれない。病床に就いたジャンは、いつかユウキが風の実を売って、助けてくれることを願っていたのではないだろうか。


 ――おじいちゃん、おじいちゃん! おじいちゃんっ!!


 胸が苦しかった。呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。ユウキは目じりに涙をためながら、必死にあえぐ。


「今からでも遅くはない。丁寧に弔ってやりたいだろう? そうだ、丘の上に立派な墓石を立てよう。あそこであれば眺めもいい。天の祝福を受けられるだろう」


 日当たりいい丘は明るく、気持ちのいい風が吹く。見通しも良く、町から少し離れたところにある森もよく見えたはずだ。そこであれば――。


「何、簡単なことだ。ただ頷けばいい。そうして私の指示に従えば、あとはこちらでうまく取り計らってやろう」


 とても魅惑的な言葉だった。頷けば、ジャンを救えなかったことが精算できるようにさえ感じた。


 ――ユウキ。その能力は使わないでおくれ。いや、いつか必要となる日はくるかもしれない。ユウキにその能力が与えられたことは、きっと意味のあることだから。だが、その日が来るまでは、決して使ってはいけないよ。


 ジャンの声が聞こえた。その言葉を思い出して泣きそうになった。ジャンの言葉が、マカベに惑わされるなと力をくれる。

 ユウキは知っていたはずだ。ジャンは何も望まない。いつだってユウキのことを一番に考えてくれていた。そのジャンが、使わないでほしいではなく、使ってはいけないと言ったのだ。それはきっと意味のあることで、ならばなおさらジャンがその言を翻すことはない。


 今、ユウキがここで全てをマカベに任せることは、ただ自分の罪悪感を軽くしようとしているに過ぎない。

 後悔している。時間を戻したいと思っている。

 それでも。

 マカベの言葉に頷くことこそが、ジャンに対する裏切りだ。


 ――ごめん、おじいちゃん。


 何もしてあげられなかったことが胸に重くのしかかる。けれど今は、今だけはその想いを振り切って、マカベと対峙する。


「……お断りします」

「おやおや。私の目も曇って来たかね。親の心情を聞いてまだ断れるとはずいぶんな娘だ。まぁ、しばらく考えてみたまえ。といっても、決断は早い方がいいと思うがね」


 今のジャンの状況を思い出してみなさいと、そう愉しげに笑った。

 ユウキは唇を噛みしめた。


 昨日、買い物から帰ってすぐ、息をしていないジャンを目にして、そのままユウキは連れ去られてしまった。ジャンが亡くなったことすら誰にも伝えられていない。

 ジャンをあのままにしておくわけにはいかなかった。決断すればすぐに手を打とうと、マカベが言っているのはつまりそういうことだ。



 気づけば制服の男たちが再びユウキを挟む位置に立っていた。


「お部屋までご案内いたします」


 ユウキは彼らに連れられて強引に部屋から出される。だが、扉を出てすぐのところでマカベが呼び止めた。


「君は、その能力や一族のことを知りたくはないかね?」


 一瞬、頭が真っ白になった。それはユウキがずっと気になっていたことだ。それを、この男が知っている――。

 ユウキの鼓動が早鐘を打つように脈打つ。ユウキはゆっくりと振り向いた。


「いや、答えはまた次の機会に聞こう」


 マカベは余裕の笑みで、自ら話を打ち切った。

 そして手で連れていけと合図をすると、もうユウキに興味なんぞないと言った様子で優雅に紅茶をすすり始めた。


 またしても何かを匂わすような言葉だった。まるで一族について、この能力について何か秘密があるかのような口ぶりだった。その事情込みでユウキを欲していると考えて初めて、腑に落ちた気がした。


 ずっと生きていくのが精一杯だった。自分の持つ特殊能力について知る余裕などなく、できる限り考えないようにしていた。

 けれど、それは同時に知りたいという欲求の裏返しでもあった。マカベに従えば真実が知れる。

 そうすれば、自分が捨てられた理由も――。



 パタンとドアの扉が閉まる音がして、ユウキは我に返った。

 今の一瞬、自分は何を考えただろうか。ジャンへの親孝行を持ちかけられたときよりも心が揺れなかっただろうか。

 ユウキは愕然とした。


「……セリナ、助けて」


 ユウキは極北の地にいた頃の、親友の名を呼んだ。村に行けばいつもすぐに駆けつけてくれ、ユウキが町へ出ることにしたときも、泣きながら見送ってくれた大事な大事な友人だ。

 セリナがいれば、これしきの事で揺らぐことなどなかっただろう。たとえ、自分の特殊能力に何か隠された事実があったのだとしても――。


 ここにいたくないと思った。ここにいてはいけないと思った。マカベの狙いも、この能力の真実も、自分の心も、何も信用できなかった。

 そっと耳につけた真珠のピアスに触れる。ジャンにもらい、セリナと穴を開けた。まだ数年しかたっていないが遠い昔のことのように思えた。

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