1-6. 長き夜の行方(1)

          *


 ユウキはぼんやりと天井を見上げていた。サイドテーブルに置かれた、今にも燃え尽きそうな蝋燭ろうそくの揺らめきが、天井に不規則な文様を描いている。


 マカベとのやり取りから丸二日がたっていた。にもかかわらず、あれきりマカベとは顔を合わせることすらしていない。ユウキの知らないところで何か動いているのかもしれなかった。

 もし先日のやり取り時点で、すでにユウキの処遇は決まっていたのだとしたら、ここでじっと悩んでいるユウキはさぞ手のかからないいい子だろう。そう考えて勝手に腹を立てる。


 ユウキは頭をかき回しながら起き上がった。蝋燭の明かりが届かない部屋のすみは暗く、夜が染み出てくるように浸食している。

 とうに寝る時間は過ぎていた。けれど今夜も、色々と考えすぎて眠れない。


 ユウキは床に降りて座ると、ベッドに背を預けた。すぐに床の石のひんやりとした感覚が伝わる。そのままつらつらと、この冷たさで固まって、自分も石になってしまえばいいのに、と無意味なことを考える。

 そんなのは単なる現実逃避で、本当はユウキもわかっていた。ここに捕まった時点で逆らう余地などないのだと。選べるのは服従を伴う生か、自我を貫く死か。


 死ぬ機会はいくらでもあった。ジャンが亡くなってしまったことで、この世への未練ももうほとんどない。

 死にたいわけではないし、生きられるなら生きたいと思うが、マカベの繰り人形のようになってまで生きたいかと聞かれると、そうは思えなかった。

 それでも死ななかったのは、マカベの最後の言葉が引っかかっていたからだ。


 その能力や一族のことを知りたくないか。そう言うからにはマカベはこの特殊能力にまつわるいわくを知っているのだろう。

 ユウキも以前からこれが、ただの特殊能力ではないかもしれないと思うことは何度もあった。チハルに出て来てからたびたび感じるようになった違和感だ。自分の特殊能力が全く話題にのぼらないこと。全く見かけないこと。よくも悪くも特殊能力者は噂になる。一度くらい同じ能力者について耳にしていてもおかしくなかった。


 とはいえ、人に知られていない特殊能力もたくさんある。特に地域性が強い特殊能力は、この広いシュセンでは知られにくい。だからユウキのもそういう特殊能力だったのだろうと考えて気にしないようにしてきた。

 ただ、それでも完全には気にせずにいられなかった理由は、同じ特殊能力を持つ者たちの間に強固な横の繋がりがあったためだ。正直、羨ましいと思っていた。


 だからなおさら、ジャンが近く亡くなってしまうかもしれないと気づいたとき、同じ特殊能力を持つ仲間がいたら、きっと心強いだろうと考えてしまった。

 そしてその想いが、ユウキに浅はかな行動をとらせた。

 あの日、市場で手持ちのお金が足りないとわかったとき、ユウキは風の実を使うことを躊躇わなかった。それは、ユウキの特殊能力を見た仲間が名乗り出てくれるかもしれないと、無意識に期待していたからだ。


 だがその結果、ユウキは大切な人を送る機会を失った。しかもそうまでして見つけたかった同じ特殊能力を持つ者についても、期待した結果は得られなかった。

 当然だ。その日のうちに攫われてしまったユウキの元に、同じ特殊能力者が名乗り出ることなどできないのだから。

 結局、ユウキの行動は悪い結果しか引き寄せなかった。

 もっと真剣にジャンの忠告を聞いておけばよかったとユウキは思う。そうすれば、マカベに捕まることはなく、もしかしたらジャンの死に目に会うことだってできたかも知れなかった。


 ジャンは何か知っていたのだろうか。きっと知っていたのだろう。でなければ、ユウキに使ってはいけないなどとは言わなかったはずだ。

 特殊能力者自体はシュセンにはそれなりの人数がいる。聞きかじっただけだが、そういった人々はむしろ積極的にその特殊能力を仕事に活用しているという。非能力者との差別がないわけではないらしいが、その理由では禁ずるには少し弱い。

 ユウキは目を伏せた。弱々しい蝋燭の明かりがユウキの不安を煽る。


「なんで使っちゃいけないって言ったの、おじいちゃん」


 それに答えが返ってくることはなく、ユウキは顔をくしゃりとゆがめた。


 ――マカベなら知ってるのに。


 昨夜も、今朝も、昼間も、今に至るまでずっとずっと考えていた。

 マカベなら知っている。その言葉が、毒花の蜜のようにユウキを誘惑していた。


 ――理由がわかるまで留まって、それから逃げる? それなら……。


 それならほしい情報を手に入れられる。ユウキはそれがとてもいい考えのように思えた。なにせ、これまで町では話題にすらあがらなかった特殊能力だ。マカベ以外の人では知らないかもしれない。ユウキはこの機会を逃してはならないと思った。


 ――ダメダメ。どうやって逃げるっていうの? 今でさえ、部屋から一歩も出られないのに。


 ユウキは慌てて首を振った。

 それにたとえ短い期間だったとしても、相手がマカベでは何をさせられるかわかったものではない。自分なら生かせると自信満々に言ったからには、風の実だけでも、ユウキには思いつかないような奇抜で危険な使い方をするかもしれない。


 そんなマカベの手駒になるなど御免だった。なんとかして逃げ出さなくてはと焦りがつのる。

 丸一日この部屋にいれば、ここに隠し通路も何もないことはわかっている。出口は一ヶ所で、扉の外には見張りの男がいる。力技では敵わないし、すり抜けられるような隙を作ってくれるとも思えない。何か不測の事態でも起こらない限り、動揺してはくれないだろう。

 だが、不測の事態など、こちらの都合に合わせて起こってくれるものではない。さすがに無茶な考えか、とため息をついた。


 ――が。

 ユウキはサイドテーブルの蝋燭に目を留めた。あと一、二分で消えてしまうだろうそれを見て、ユウキはひらめく。


 ――火事なら、起こせる。


 幸いこの部屋には布団があった。石造りの部屋であるから、屋敷全体を燃え上がらせることはできないが、この部屋だけでも十分だ。扉の隙間から煙が出ていれば、見張りの男は慌てるだろう。

 ユウキは固くなった体をほぐしながら立ち上がる。空気の流れを確認し、布団を移動させ、蝋燭へと手を伸ばす。


「っ!?」


 小さくカチッと音がして、ユウキは息をのんだ。扉の鍵が開けられた。家令か誰かが様子を見にきたのだろうか。


 ――どうする?


 今、急いで布団に火をつけたところで、入ってくる人物にすぐに消されてしまうだろう。だが、きた人物の相手をしていたら、その間に蝋燭が尽きてしまう。すでに深夜だ。新たに蝋燭をもらうことはできないだろう。

 冷たい汗が背を伝う。鼓動がやけに大きく聞こえた。扉に向けた視線が外せない。ユウキは息を詰めて凝視するほかなかった。


 やがて、扉が静かに開く。蝋燭のある室内より暗い廊下。その闇の中から現れたのは――。


 ユウキは目を見開いた。見えてきたのは、予想していた制服の大男でも、白髪交じりの痩身でもなく、やや小柄な、フードをかぶった人物だった。

 そしてその人物もまた、蝋燭を持つユウキに驚いたのだろう、同じように目を見開き、ピタリと動きを止めた。


 一寸の間、蛇に睨まれた蛙のように、互いに目を反らせなくなる。

 そんな硬直状態から先に立ち直ったのは相手の方だった。フードの人物は素早く室内に目を走らせ、それから口を開く。


「――ユウキ、か?」


 まだ若い男の声だった。少年と言ってもいいかもしれない。

 ユウキは蝋燭から手を離し、相手を凝視した。フードの隙間から見える顔はこの屋敷で初めて見るもので、自分とさほど変わらない年頃だとわかる。

 どう見てもこの屋敷の人間ではなかった。まさに今忍び込んできたというような出で立ちで、明らかに不審者だ。

 そんなユウキの警戒を感じ取ったのだろう。少年が躊躇いがちに名乗る。


「――ショウだ。大工見習いのショウ」


 それでもユウキは答えられなかった。全身がこわばっていた。

 マカベ家の者以外が入ってくるはずのない場所。やってくる人物は全て敵だと信じて疑っていなかったユウキの前に現れた少年。その得体の知れなさが、明らかに敵だと思っているマカベ以上の緊張をユウキにしいた。


 さらに黙ったままでいると、少年の眉尻が下がり困惑の表情になる。

 それを見てユウキは我に返った。少し予想が裏切られたくらいで、気後きおくれするなど自分らしくない。ここは初めから敵地だ。今さら不審者の一人や二人遭遇したところで、恐れるものではないはずだった。

 ユウキはゆっくりと息を吐き出し、気持ちを落ち着かせてから口を開く。


「革小物屋ジャンの孫、ユウキよ」


 ショウは一度廊下を確認してから室内に足を踏み入れ、扉をぎりぎりまで閉めた。だが、いつでもすぐに出られるようにか、閉めきりはしない。

 そういった行動の一つ一つから、場馴れしている印象をユウキは受けた。


「助けに来た……つもりだ。その、市場で見かけて――」


 ドキンと心臓が跳ねた。一瞬にして顔が固くこわばる。

 あのときの行動は軽率だった。自分で思っていた以上にそのことを気にしていたのだと自覚する。


「……何を知っているの?」

「それは……いや、今は駄目だ。時間がない。それより聞きたい。――俺とここを出る気はあるか?」


 どうとでもとれる言葉だった。だが、助けに来たと言いつつ、それを聞くということは、この少年にもまたユウキを利用したいという思惑があるということだろう。


 ――それもいいかもしれない。


 マカベは恐ろしい男だ。あの飲み込まれそうな恐怖を思うなら、間違いなくこちらの少年のほうがいい。

 少年は澄んだ目をしていた。利用していることを申し訳なく思っていることがわかる表情。まっすぐと向けられる眼差し。人のよさそうな少年だった。


「私も一つ確認したい。あなたは一人?」


 いくら少年が真っ当そうに見えても、単なる使いっぱしりだったら意味がない。また別の大きな力にとらわれるだけだ。それくらいなら、このままマカベの隙を探すほうがいい。


「えっと、協力してくれてる人はいるけど……ここに来たのは自分の個人的な理由からだ。――っていうので答えになるか?」

「うん。わかった。それならお願い、私を外に出して。ここにはいたくない。――たぶん、いては駄目だと思う」


 それは一番初めにユウキが感じたことだ。そして第一印象だからこそ、根拠なく信じることができる。


「よし、決まりだな」


 少年の顔に笑みが浮ぶ。ユウキもそれにつられるように表情を緩めた。


「俺のことはショウでいい。行くぞ、ユウキ」

「うん」


 ユウキはショウに連れられひっそりと部屋を出る。

 そして間もなく、ユウキはマカベの屋敷からの脱出に成功した。

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