1-6. 長き夜の行方(2)

          *


 屋敷の外に出た瞬間、あまりの暗さにユウキは戸惑った。屋敷では廊下にも蝋燭の火がともされ、適度な明るさが保たれていたため、ユウキは今日が新月だとは気づいていなかった。正直、夜目はあまり利く方ではない。


「急げ」


 急にペースダウンしたユウキをショウがかす。それからふっと気づいたようにユウキの腕を取った。


「助かる」


 ユウキはショウの腕を頼りに足を速めた。



 やがて、静かだった夜道にユウキの乱れた息遣いが響くようになった。

 息が上がっていた。体力には自信のあったユウキだが、この二年、町で暮らすうちに衰えてしまったようだ。喉は切れたかのように、肺は焼けるかのように痛く、苦しく、それぞれ限界を主張していた。


「頑張れ、このまま町を出る」

 ショウがユウキより幾分いくぶんましな息遣いではげました。


 ずいぶん長く走り続けるものだと思っていたが、町を出ると聞いて納得した。チハルは北部最大の町といわれるだけあって広く、町を出るにはかなりの距離を行かなくてはならない。となれば、まだしばらく走り続けることになるだろう。その覚悟をしなくてはならなかった。


 ――が問題はそこではない。ユウキははたと我に返って焦った。


「待っ、て……」


 切れ切れの言葉でやっと口にする。ショウは足を止めることもユウキを振り返ることもなく答えた。


「町を出るまで耐えてくれ。今休むわけにはいかない」

「違う、の。……駄目、行けない」


 今度は一瞬だけユウキを見て、すぐに視線を戻す。ユウキは理解してもらおうと必死に言葉を重ねた。


「家に、おじいちゃん、いるの。おじいちゃん、ちゃんと、送ってあげないと……」


 ショウが舌打ちした。それからボソッと何かをつぶやく。


「……ショ…?」


 尋ね返すユウキに答えはなかった。

 それからしばし無言で走り続け、ショウに掴まれている腕がふいに横道へと引かれた。

 一気に進路が変わる。おそらく北へ――。ユウキは目を白黒させながら、ショウの背を見た。


「葬送は済んだ」


 ショウに無感情に告げられ、ユウキは目を見張った。何故、知ってるのか、とか、誰が取り仕切ったのか、とか、疑問が次々と沸き上がる。


「って言っても無理だよな。自分の目で確認してくれ。あんまり時間はやれねぇけど」


 それを聞いてユウキは質問を飲み込んだ。確かに今、言葉で聞かされたところで納得はできないだろう。まずは自分で見て、話はそれからでいい。

 ユウキたちはそのまま黙々と走り続けた。そして、あと一つ角を曲がれば家というところで突然、ショウが足を止めた。


「どうし……」

「しっ」


 ショウの神経が鋭くとがっていた。それにつられてユウキもまた緊張する。


「――一人か」


 つぶやくと同時にショウが飛び出した。その急な動きにユウキは出遅れ、一人その場に取り残される。


「待った!」


 聞こえたのはショウとは別の第三者の声。低く響く聞き覚えのある声に、ユウキもまた角から飛び出した。


「アキトおじさん!」


 そしてユウキが目にしたのは、掴みかかる体勢で動きを止めたショウの背と、その正面で相手を止めようと両手を突き出したアキトの姿だった。

 ショウが手を下ろしユウキを振り返る。二人の側まで駆け寄ると、アキトが笑みを浮かべた。暗闇の中でもわかるいつも通りの笑みに、ユウキは安堵する。ようやく目も暗さに慣れてきたようだ。


「ユウキちゃん、ジャンから何か聞いてないか?」

「何かって?」

「――いや、思い当たるものがないならいい」


 戸惑っているとショウがうながす。


「ユウキ、時間が」


 ちょっと待ってくれても、と反論しかけて、はっとする。自分は逃亡中で、しかも無理を言って家に寄らせてもらっているのだ。これ以上のわがままは言えない。というより、自分のわがままで逃げおおす機会を失うわけにはいかない。

 ユウキは固く口を引き結び、ショウを見た。するとユウキの考えていることが伝わったのか、険しかったショウの表情が少しだけやわらいだ。


「そうだ。急いでくれ」


 ユウキは頷き、家の中へと駆けこんだ。そして呟く。


「協力者って、アキトおじさんのことだったんだ」


 家の中は外よりもさらに暗かった。けれど、勝手知ったる家だ。どこに何があるかはわかっていた。

 真っ先に足を向けたのは仕切りの向こうの寝室。そこでジャンのベッドが空になっているのを見てとって、唇を噛みしめる。


 ――いない。


 もう墓地へと連れて行かれてしまったのだろうか。シュセンでは火葬が主流だ。特にチハルは北部に位置するため、その傾向が強い。土葬だと遺体がちるまでに時間がかかり、死者が蘇って帰ってきてしまうと伝えられているためだ。

 火葬であれば遺骨が残る。ジャンに孫娘がいたことを近所の人たちは知っていたはずで、何週間も戻らないならともかく、三、四日という短い期間で、ユウキを待たずに埋葬までしてしまうとは思えなかった。


 ユウキは茫然ぼうぜんとしながら台所のある部屋へと戻った。そして何か残されていないかと見回し、それが目に入る。

 台所のテーブルの上。何かがわずかな光を反射して、赤色を見せていた。


 ユウキは息をのんだ。周囲の暗さのせいか、一瞬、臙脂色に見えた。さらに、それがあのリンゴだとわかってうめく。全てのきっかけはこのリンゴだった。

 嫌な記憶を思い出し、ユウキはそれに飲まれそうになる――が、隣に見慣れない瓶を見つけ、気を持ち直した。


 ユウキはテーブルに近づき瓶を手に取ると、開け放しのドアのから差し込むわずかな光にそれをかざす。

 瓶の大きさはユウキの手と同じくらいで、くすんだガラス越しに積み重なる破片が見えた。

 これが何かユウキにはすぐにわかった。

 そして、こんなものに納まってしまうのかと切なくなった。


「ここに、いた…んだ……」


 ユウキはその瓶を抱き締め、確かに葬送は済んだのだと理解する。

 誰かわからないが手配してくれた人に感謝した。けれど、自分の手で送ってあげたかったとも思う。さらに、ジャンが本当に亡くなってしまったのだとわかって、ユウキは感情の制御を失った。さまざまな感情がごちゃ混ぜに、ユウキの中を駆け巡る。

 しばらくして、それが収まると、心にぽっかりと穴があいた。


 ――寂しい。


 ただ、その感情だけが残る。

 だが、いつまでも感傷に浸っているわけにはいかなかった。眦に浮かんだ涙を乱暴に拭い、急いで荷物をまとめにかかる。

 置いていけないのはジャンと、唯一ユウキの出生を知るであろうウサギのぬいぐるみくらいだ。貴重品はない。だが、町の外に出るのなら、食料確保のために弓も持っていくべきかもしれない。


 そうして集めた荷物を鞄に詰めて背負い、これ以上は時間がないだろうときびすを返す。そして家を出ようとしたそのとき。

 ふと、誰かに呼ばれた気がした。ユウキは足を止め、暗闇の中を慎重に探る。


「……おじいちゃん?」


 ユウキは声のした、部屋の奥へと足を向けた。


「あ……」


 寝室の棚に古びた巾着きんちゃくが一つ。ジャンが北の家から革加工の道具と一緒に持ってきた、唯一私物らしい私物だった。


「これを持っていきなさいって?」


 確かに、いつ戻れるかもわからないこの家に残してはいくには惜しい。ジャンの何らかの思い出が詰まっているのだろうから。

 ユウキはそれを手に取ると、急いで外に戻った。

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