1-6. 長き夜の行方(3)

          *


 ユウキが家の中に消えると、途端に空気が張りつめた。アキトがさりげなく移動して家の壁に寄りかかる。その背後を取らせないよう考えられた立ち位置に、自分も警戒されているのかとショウは肩を落とした――が、そんな些細ささいな想いは、次のアキトの言葉で吹き飛んだ。


「ユウキの脱走がバレた」

「もう!?」

 思わず大声で叫んで、慌てて口をおおう。


 ここまで時間にして三十分ほどだ。扉を見張っていた男こそ気絶させたが、他に遭遇した者もなく、早くて三時間、うまくいけば朝まで気づかれないとショウは見積もっていた。


「なんで」

「マカベは決して特殊能力者をあなどっていなかったってことだろう。どんな力でも使い方次第では逃げられる可能性がある、そう踏んでこまめに様子を見ていたってところか」


 ショウは自分の見積もりの甘さに歯噛みする。

 まだ見つかっていないのだから、必死で逃げるしかないことはわかっている。だが先ほどよりよほど厳しい状況になったのは確かで、ショウの焦りは一気に増した。

 ユウキはまだ家の中だ。本当ならすぐにでも呼びに行くべきだろうが、ここへ立ち寄った事情が事情だけに足が動かなかった。もしかしたらユウキは泣いているかもしれない。そんな想像をして気持ちが沈んだ。


 ショウは首を振り、アキトと同じように家の壁に背を預けた。動けないならせめて今後に備えて体を休めようと考えた。

 そのまましばらく無言の時が過ぎる。その間、ショウの意識はずっと隣のアキトへと向いていた。

 聞いてみたいことがあった。ただ、アキト相手ではどこまで踏み込んでいいかの線引きがわからず、二の足を踏んでいた。

 だが、こんな機会はもう得られないだろう。ショウは意を決して尋ねる。


「――なぁ、何でユウキに肩入れするんだ?」

「そう見えるか?」


 軽い調子で返すアキトに、ショウは躊躇いがちに頷いた。こうなんでもないことのように聞き返すということは、アキトにそのつもりはないということだろうか。

 だが、ショウには心当たりがいくつもある。そもそもアキトにとってショウは新顔の客だ。にもかかわらず、後払いを認めたのは、ショウの目的がユウキの救出だったからに違いない。


 ユウキが珍しい特殊能力の持ち主であることはショウもわかっている。だから特別扱いなのだと考えるのが自然かもしれないが、アキトの態度はそれだけとは思えないものだった。

 アキトには部下だって大勢いるだろう。それなのに、ユウキの家のそばで待ち伏せしていたのはアキトで、今ここにユウキの脱走がバレたと伝えに来たのもアキトだ。

 それは闇市で感じた印象とあまりにも違っていた。アキトはもっと影から人を操るようなタイプだと思っていた。

 アキトはそれきり口を開かなかった。この件について話すつもりはないということだろう。ショウはあきらめて別の話題を振る。


「あのマカベってやつ、そんなにやばいのか?」

「あぁ、やばいね。伝手がとんでもない」


 ショウはぎょっとしてアキトを見る。その話は初耳だった。ショウはマカベをそういうやばさだとは認識していない。


「だから、町を出ろって……?」

「そういうこと」

「――って待てよ。それじゃあ、町を出てもやばいんじゃないか?」


 アキトにやばいと言わしめるほどの伝手の持ち主だ。その範囲はチハルの町の中だけに留まるものではないだろう。


「さてね。だが、そうだったとしてどうする? 俺を頼るのか? 契約はユウキをマカベ家から救い出すまでだ。現時点ですでに契約は終了している」


 もう自分は無関係だと先回りで拒絶され、ショウは絶句した。アキトの言葉は冷たく、自分の思い違いを突きつけられる。

 ショウは昨日の打ち合わせで、アキトがユウキを可愛がっているように感じた。だが、それは間違いだったのだ。ユウキの救出は本当に仕事でしかなく、アキトに情など存在していなかったということだ。

 そこまで考えてショウは背筋を冷やした。それは今後、アキトが敵に回る可能性があるということを示唆しさしている。それはまずいと思った。ショウ一人ではアキトに太刀打ちできない。


「顔に出てるぞ」

「え!?」


 ショウは慌てた。壁から背を浮かし、弁明しようと焦る。


「べ、別に、アキトさんを信用してないとか、そういうんじゃなくて……」

「やっぱそういうこと考えてたのか」

「え……あっ!」


 ニヤつくアキトを見て、かまをかけられたのだと気づく。


「心配するなとは言わんよ。だが、そんな簡単に立ち位置を変えるつもりもない。あとは周りの状況次第だな。……まだ、始まってもないんだから」


 自分の意思に寄らないというアキトの言葉は、ショウにさらなる不安を抱かせた。より信用ならないと感じたのはショウの気のせいではないだろう。


「ショウ、周りをよく見とけよ。今起こっていること、起こりそうなこと。それから、どんな人物が、何に反応するのか、しないのか」

 その真面目な表情に気圧けおされる。が、それは一瞬で消えた。


「ってことで、ま、あとは頑張れや」

 アキトは言うだけ言うと、壁から背を離して歩き始める。


「そ、それ、どういう――」

「さあな。自分で考えな。上手くすりゃ、全部何とかなるもんだ」


 追いかけるわけにもいかず立ち尽くす。アキトの背は小さくなっていき、そのまま見えなくなる――と思った瞬間、振り向いた。


「ショウ」

「何?」

「ユウキちゃんを頼む」


 アキトは片手をひらりとあげて、今度こそ本当に闇の中へと姿を消していった。


「……なんだよ、それ」


 ショウは頭を抱える。やはりアキトの考えていることはわからなかった。

 と、そこにユウキが戻ってくる。その背中の背負い鞄は真ん丸に膨らみ、さらに弓と矢筒が飛び出していた。


「ごめん、待たせたね。……あれ? アキトおじさんは?」

「帰った」

「そっか、残念。お別れ言いたかったんだけどな」


 ユウキはアキトが消えたと思われる暗闇を名残惜しそうに見つめていた。その顔にショウが想像していたような暗い色はなく、ほっと息をつく。


「わかってるよ、あの人は。頑張れって言ってた。――行くぞ」

「うん」


 適当に意訳して伝えると、ユウキは何か感じたのか神妙に頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る