1-6. 長き夜の行方(4)

          *


 町の外まであと少しだった。相変わらず周囲は真っ暗なため、ユウキはショウに腕を引いてもらいながら走る。

 二年暮らした家を離れ、粉ひき小屋の前を過ぎ、さらに数軒の家の間を駆け抜け――そして、町の外が見えた。


 このまま無事に脱出できるかとユウキが思い始めたとき、ショウが舌打ちした。

 ショウはユウキに家の陰に隠れるよう指示すると、狭い路地の一つに入り、身をひそめた。どうやら追手が迫っているらしい。ユウキを隠したということは待ち伏せしようとしているのか。


 咄嗟とっさに、このまま逃げればいいのに、とユウキは思った。まだ見つかっていないのだからそれも一つの手だろう。だがすぐに、この先には隠れられる場所がないことを思い出し、ショウの考えを理解する。今ここで何とかしておかなくては、町の外に出られても逃げ切れはしない。

 追手の足音がだんだんと近づいてきた。それに比例してユウキの緊張も高まる。先ほどまではわからなかったが、今ならその足音が一つでないことがわかる。ショウは上手くやってくれるだろうか。


 やがて、その音が極限まで近づくと、ショウが路地から飛び出し追手に飛びかかった。素早く距離を詰め、首の後ろに手刀を入れて一気に落とす。遅れてやってきた別の男にも同様に手刀を見舞う。

 声を上げさせないための作戦だった。だが、追手は尽きない。さらに二人が駆けつけ、そこでショウは短剣を抜いた。

 ザザッと布が引き裂かれる音がした。ショウの短剣は相手の足を切りつけている。おそらく刃は身にも届いたのだろう、一瞬、相手が怯んだ。その隙をショウは見逃さなかった。すかさずみずおちに肘鉄を決める。

 ショウは足を止めることなくもう一方の男に飛びかかった。相手の手が胸元の笛に伸びている。仲間を呼ぼうとしているのか。だがショウの方が早い。力強いこぶしが顔面を強打し、男の顔がすごい勢いで真横を向く。続けざまに短剣のつかで頭部を打つと、男は崩れ落ちた。


 そして途端に静寂を取り戻す。ユウキは詰めていた息を吐いた。

 暗くてよかった、と思った。ただの喧嘩であれば市場では日常茶飯事であるが、命に危険のあるやり取りとなると話は別だ。ただよう緊張感が全く違う。

 ショウは戻って来ると、短剣をしまい、しゃがんで隠れていたユウキに手を差し出した。


「今のうちに行こう。しばらくは大丈夫だと思うけど、異変をぎつけて仲間が集まってくるかもしれない」


 ユウキはその手を取ることを一瞬、躊躇した。直前まで短剣が握られていた手だと思うと、体が勝手に拒絶した。


 ――別に、人を殺したわけじゃない。


 だがら怖がる必要などないと、自分に言い聞かせる。

 それに、ユウキは知っている。この手は信用できる手だ。ショウは約束通り、マカベ家から連れ出してくれた。ユウキのわがままを叶え、こうして守ってくれた。


「大丈夫だ。行こう」


 その力強い言葉に背を押され、ユウキはショウの手を取った。



 町を出た先には、緩やかな起伏の重なる丘陵地帯が広がっている。緑や茶色の背丈が低い草と灰色の砂利とが表面を覆い、所々に腰丈の岩が転がっていた。

 さらにその丘陵地帯の起伏――コブの谷間部分には、二本のわだちが道となって丘の向こうまで続いていた。今は真っ黒な影にしか見えないが、ユウキにも見慣れた場所だ。


 だが、緩やかな登りが続くそこは見通しはよく逃亡には向かない。岩場の広がる西に逃れれば、多少は身を隠すことができたかもしれなかった。

 けれど、ショウは躊躇うことなくその丘を駆けのぼる。そして、腰丈ほどの岩が三、四集まった場所まで行くと足を止めた。

 その岩影にユウキを引っ張り込んだあと、ショウは足元の平たい石をがす。その下から出てきたのは大小二つの背負い鞄だった。


「それは?」

「昼間のうちに用意しておいたんだ。旅支度ってやつ」


 そして、水筒を取り出しユウキに渡す。


「まだしばらくは走ったりもするから、飲みすぎないように」

「わかった」


 受け取った水筒に口をつけると生き返るようだった。もう汗も出ないくらい走り続けていたのだと今さらながらに気づく。


「あと、これだけ持てるか?」


 小さい方の背負い鞄が差し出される。ユウキは頷いて家から持ち出した荷物と合わせた。家から持ち出した荷物はぬいぐるみがかさばっているだけで重さはさほどなく、両方合わせても負担にはならない。

 ショウは大きな方の鞄を背負うと、どかした石を適当に戻し、立ち上がった。


「ここから東のヤエの町に向かう。そこで一旦身を隠そう」


 それ自体に不服はなかったが、ユウキはすぐに頷けなかった。

 ヤエはかなり隣国イリスに近い町ではなかっただろうか。少なくとも一日で着く町ではない。


 最初に町を出ると聞いた瞬間も驚いた。もしかしたらすぐには戻ってこれないかもしれないと覚悟もした。その一方で、この逃亡は一時的なものだともわかっていた。お金に敏感な商家が、捜索の経費とユウキから得られる利益を天秤にかけて、手を引かないはずがない、と。

 当然、ショウもそう考えていると思っていた。だが、先ほどの言葉で考えを改める。ただほとぼり冷めるのを待つだけなら隣の村でもよかったはずだ。そうしなかったということは――。


「――ねぇ。ショウはマカベが何をしようとしているか知っているの? 町を出るほどの大事だってわかってたの?」

「いや……」

 どちらとも取れる答えと共に首を振る。ユウキは眉をひそめた。


「けど、マカベがあれほどの私兵を抱えていた以上、しばらくチハルには戻れないだろう。できる限りのことはするから、今は一緒に来てくれ」


 答えながらもショウは背後を気にしている。町を出てなお、追手を気にしなくてはならないというのか。

 まだ、落ち着いて話をできる状況ではないようだった。ユウキはあきらめて、今はショウに手綱を預けることにした。


「わかった」

「ん。じゃあ……行けるか?」

「――うん」


 正直もう足はがくがくだった。もう動けないと泣きたくなる自分を必死に抑え、何とか一歩を踏み出す。


「もう少しだけ頑張ってくれ。この丘をいくつか越えれば町から見えなくなるから」

 ユウキは黙って頷いた。



 そんなユウキたちが一息つけたのは夜が明けてからのことだった。

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