1-6. 長き夜の行方(5)

          *

 チハルの中心部近くに構えられた大きな屋敷では、夜明け前にも関わらず何やら慌ただしい空気に包まれていた。屋敷の明かりも、普段のこの時刻であれば一つ二ついているだけのところ、今夜ばかりはすべての明かりに火が入れられている。

 そんな屋敷の最奥。品良く飾り立てられたその部屋に、今、二人の男が向かい合っていた。

 一人はやや小柄な中年男だ。夜着にガウンを羽織っただけの姿で椅子に深く腰掛け、不機嫌そうに頬杖をついている。もう一人は大柄な男で、小柄な男の前に膝を付き、頭を下げていた。こちらの男は深夜にも関わらず、濃灰色の制服できっちりと身を固めている。

「まだ見つからんのか」

「はい。申し訳ございません」

 小柄な男の言葉に、制服の男はさらに身を縮めた。

 力関係は歴然としていた。小柄な男の方が主人なのだろう。主人は肘掛ひじかけを指でコツコツと叩き、苛々としている様子を隠そうともしない。

「今いくつだ」

「三十二です……」

「そのお前にあの娘の貴重さが、重要さがわからぬわけではあるまい」

 どれほどしてはいけないミスであったかを念押す主人に、制服の男は冷たい汗を流した。

「――重々承知しております」

「それを逃がした」

 もはや低頭するよりほかなかった。

 男はこの屋敷の警備長だった。屋敷の警備が本来の仕事であるが、主人の命により度々、要人警護――あくまでも主人の言い方に合わせるとだが――なども請け負っていた。

 今回も相手が特殊能力者、それもかなり珍しい能力を持っていることをあらかじめ聞かされていたため、かなり厳重に監視を行っていた――はずだった。

 相手がまだ若い娘であることなど関係なかった。油断をしていたつもりもない。だが、部下の中にはたかが若い娘とあなどった者もいたのかもしれない。でなくては、自分の警備隊が監視していて逃がしてしまうなどという失態はありえなかった。加えていうならば、未だ連れ戻せていないという現状もあり得ない事態だった。

 手引きした者がいることはすでにわかっている。夜の巡回で発見したため、そう時間もたっていない。捜索して捕えることなど造作ぞうさもないことのはずだった。

「状況は?」

 主人が厳しい口調で話をうながす。

「すぐに主立った町の出入り口は封鎖しました。それから、町の西で人影を見たという者がおり、人員を割いております」

「躊躇うことなく町の外へ出たか……自分の能力ちからがどういったものか知っていたのか? いや、ありえん。だとしたなら、思い切った決断をしたものだ」

「と、私も思いましたので、半数は引き続き街中を捜索させております」

「それでいい。だが、まぁ、町の西ならな。岩場で身を隠すところも多い。落ち着いてから町に戻ってくるという魂胆なのかもしれんが――」

 一人で考え込む主人を見ながら、警備長はじっと次の言葉を待った。

「町の西で人影を見た、そう報告したのは誰だ? うちの者が見たということか……?」

 警備長ははっとした。嫌な予感が全身を駆け巡る。報告をしてきたのは部下だが、見たのは警備隊の者ではない。

「――いえ。……町の者のようです」

「こんな時間に、な」

 意味ありげに告げられ、言葉を失う。

 こんな時刻に町の者が出歩いているはずなどなかった。いるとしたら夜盗か泥酔者か……金で買われた者。

 主人がこの一瞬でたどり着いた答えに気づけなかったなど、長を任されるものとして不覚だった。何より偽の情報に踊らされるなど素人しろうとのやることであって、自分たちプロがやることではない。

「は、申し訳ありません……」

「ふん」

 警備長は身震いする。口にされなくとも今、主人の脳裏に浮かんだ考えはわかった。

 この件が落ち着いたら、自分は間違いなく処罰されるだろう。成功すれば褒美は多いが失敗したときの処分も厳しい。それがこの屋敷の主人、マカベという男だった。

 にわかに廊下が騒がしくなった。慌ただしい足音がだんだんと近づき、この部屋の前で止まる。

「失礼いたします!」

 はっきりとした声で告げて入ってきたのは伝令の少年だ。少年の表情に明らかな焦りが見て取れる。警備長は主人に断りを入れて、部下に向かい合った。

 部下は緊張した面持ちで、北の街道に向かっていた班が対象と遭遇した旨を伝えた。その朗報に喜べたのは一瞬のことで、続く報告に警備長は頭を抱えることになった。

「遭遇後、交戦。意識を失わされ、対象は再び見失ってしまったとのこと」

「……いつだ。対象と遭遇した時刻は」

「は。一時間ほど前になります」

「一時間か……痛いな」

 北の丘陵地帯は比較的見通しが良い。あと少しでも早ければ姿を捉えるくらいはできたかもしれなかった。いずれの場合も状況はさほど悪くないにも関わらず、みすみすと逃がしてしまう不運とも言うべき失態に警備長は唇を噛んだ。

 そんな警備長の背後で、主人がペンを走らせ始める。その音に振り向くと、主人は顔を上げることなく指示を下した。

「首都に鳥を飛ばす。準備したまえ」

 口数の少なさが主人の怒りを表していた。声を荒げて怒っているときはまだいい。だが、今のように必要最低限しか口を開かなくなったときは――。

「承知いたしました」

 警備長は伝令の少年を伴って素早く身をひるがえした。これ以上長居しては何が起るかわからない。一刻も早く娘を見つけ出さなくてはならなかった。



(第二章に続く)

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