1-5. その正体は(2)

          *


 部屋を出てすぐの階段を三段上がると濃紺の絨毯じゅうたんが敷かれた廊下に出た。振り返れば先程の部屋が半地下にあったのだとわかる。予備の貯蔵室か、反省部屋か。そこに無理やりベッドを押し込んで即席の監禁部屋を作ったのだろう。


 その監禁部屋は屋敷の角にあり、廊下は正面と左手に延びていた。どうやら裏手に近い場所のようで、正面の廊下の先からは、使用人たちの働く慌ただしい気配がしている。

 ひんやりとした空気と明るさ、この慌ただしさからすると早朝なのかもしれない。となるとユウキは半日以上、意識を失っていたことになる。


 ――早く帰らなきゃ。


 ユウキは焦燥に駆られた。だが帰れる見通しがない。ユウキは今、自分がどのような状況に置かれているのかすらわかっていなかった。

 その間にも家令は左手の廊下を進んでいた。ユウキも男たちに腕を引かれて歩き出すが、すぐに手を振り払って拒絶する。


「一人で歩けます」


 前を歩く家令が立ち止り、振り返る。男たちは無言で指示を仰いでいた。


「いいでしょう。離してさしあげなさい」


 家令は平然と頷いた。当然、ユウキが逃げられないと見越した上での判断だろう。

 悔しいが事実だった。特殊能力があるからといって、必ずしも戦えるような技量があるわけではない。こうもぴったりと両脇を固められた状態では、逃げ出すことなど不可能だった。

 再び家令が歩き出す。ユウキはしずしずとそのあとについていった。



 本当に一軒の家だろうかと疑うくらいの距離を歩かされた後、家令は見るからに立派な扉の前で足を止めた。木の扉には彫刻がほどこされ、金と銀で彩色されている。ドアノブにも彫金の飾りがつけられ華やかになっていた。


「失礼いたします。例の娘をお連れしました」

 家令が声をかけると、すぐに中からくぐもった声が応じた。


 家令は扉を開け、ユウキを部屋に入れる。そして自分も中に入ると、制服の男たちを廊下に残したまま扉を閉めた。

 それからユウキは室内へと視線を移し、ぽかんとする。一体自分はどこに迷い混んだのかと、一瞬、現実を忘れた。


 ――天上の城。


 昔、ジャンに聞かせてもらったおとぎ話を思い出した。神がお住まいになるというお城。そこはこんな感じだったのだろうか。


 ユウキは首を振った。ここが天上の城でないことはわかっている。見慣れない豪奢さにただ圧倒されてしまっただけだ。

 部屋は奥に長く、広かった。この部屋だけで、ユウキたちの家なら四軒分くらい入りそうだ。

 壁の上部と天井に描かれた絵もユウキの目を引いた。女神と楽園がモチーフにされており、幻想的で美しい。他にも精緻せいちな細工がなされた調度品や、華やかな装飾品が惜しげもなく飾られていた。


 ただお金をかけて珍しいものを集めただけの部屋ではないと、高価な物を見慣れないユウキでさえわかった。この部屋にあるもののどれもが、丹精込めて作られたものであり、なおかつ、ふさわしい場所に収められていた。そのため数の多さに反して、ごちゃごちゃとした印象はない。

 けれど、最初に天上の城を思い浮かべたのはある意味、間違いではなかった。不自然なほど見事な調和を見せるこの部屋に、人間味は皆無だった。それが息苦しい。

 この完成された美をユウキは好きになれなかった。


「――目覚められたか、眠り姫。待っておりましたぞ」


 嫌な笑いを含んだ男の声でユウキは我に返る。声のした方に視線を向けて驚いた。

 部屋の中央、やはり高級そうなローテーブルとそれを囲うように配置されたソファ、その一つに男が沈み込んでいた。

 小洒落た眼鏡に口髭。家令よりは少し若いだろうが年配に分類される男性で、この屋敷の主であることは間違いなかった。

 その男が立ち上がり、目を細めてユウキを見る。


「寝心地はいかがだったかね? まだ、人を新しく入れたばかりで、行き届かないところもあっただろう。申し訳ない」


 ユウキは顔を引きつらせた。どの口がそれを言う、と内心で毒づきながらも、頭のすみで何かが引っかかった。

 考え込むユウキを、家令が背を押して男のいるソファまで連れていく。


「ようこそ、娘。さあ、かけられよ」


 にこやかに男がソファを勧めた。だが、ユウキは聞いていなかった。


「あ……」


 頭の中で何度か男の言葉を反芻はんすうする。そして気づいたのは、人を新しく入れたという部分だ。

 つい最近、どこかでそんな話をした。そう、アキトと、どこかいい家にでも仕えたらどうかという話をしたときに――。


 人を募集していた大きな屋敷。それがユウキの脳裏に一つの家名を浮かび上がらせる。そして、上流階級と呼ばれるのが必ずしも貴族とは限らないという事実を思い出し、確信した。


「そんな、まさか。マカベ家……?」


 アキトはマカベ家に良くない噂があると話していた。それがこれか。忠告してもらっていたのに、とユウキはほぞをかむ。

 対する男は目を見張り、相好そうごうを崩した。


「自ら答えを導き出すとは……これは頼もしい。いかにも。ここはマカベ家で、そして私がこの屋敷の主、マカベ カザンだ」


 ここが警察隊の詰所でないことは、すでにわかっていたはずだった。だが、人に言われて改めて衝撃を受ける。


「どうしてマカベ家が……」

 口にせずにはいられなかった。


 初めユウキを捕らえたのは警察隊だった。制服の臙脂色をはっきりと覚えているのだから間違いない。にもかかわらず、今ここにいるのは何故か。

 警察隊とマカベ家が取引したのか。もしくは初めから警察隊ではなかったのか。


 ――違う。これは今考えることじゃない。


 ユウキは首を振った。それよりも何とか家に帰る方法を探すべきだった。いや、今後のためにも目的を知っておくべきかもしれない。

 警察隊なら小金を握らせるだけで済んだたろう。だが、豪商のマカベとなるとそうはいかない。はした金で動く相手ではなかった。



 だが、だからこそ不審に思う。

 自分にそれほどの価値があるのだろうか、と。

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