1-4. 作られた偶然(3)

          *


 深夜、と呼ぶにはやや早い時刻。ショウはそっと棟梁とうりょうの家を抜け出した。

 通りの家々の壁は弱々しい月の光とわずかな星明かりで青白く浮かび上がっている。

 ショウは滑るような足取りで、歩き慣れた道筋を辿たどった。


 昼間、アキトに渡された紙にしるされていたのは一つの住所といくつかの指示だった。どうやら詳しい話をするために、まずそこに来いということのようだ。

 そして、その密談場所として選ばれたのは、町のシンボルである時計塔から通りを一つ挟んだ建物、町の中心部に位置する家屋だった。


 何故そんな人目につきそうなところで、と疑問に思ったが、道を進むにつれて納得する。

 町の中心部には民家が少なかった。これまでぽつりぽつりと目にしていた家の灯りも、少し手前の高級住宅街を過ぎた途端にぱたりと途絶えた。


 民家がないということは、帰宅する飲んだくれの姿さえないということで、この辺りは完全に無人だった。それは誰かに目撃される可能性が極めて低いということであり、密談にはうってつけの環境だった。

 さすが闇屋は違う、と妙なところに感心しつつ、ショウはさらに足を進めた。


 時計塔の広場の横を通り抜け、間もなく指定された建物の前へとたどり着く。その路地裏を少し行くと、自分の背丈よりやや低いくらいの小さな木の扉があった。

 ショウはその扉を小さく三度ノックする。これもアキトに指定されたことで、おそらく部外者を招き入れないための措置なのだろう。


 扉はほとんど待つことなく内側から開けられた。そして、そこから黒い手袋をした手が伸びてくる。暗闇から伸びる手は、手招きをするようにゆっくりと振られ、ショウは黙ってそれに従った。


 屋内は外よりも暗かった。足元も全く見えない。先程、手招きをしたと思しき人物は黒いフードをかぶった黒づくめの服装で、覆われていない顔の下半分だけが白く見えていた。

 扉が閉まると、その白く見えていた部分しか見えなくなった。その人物は無言のまま歩き出し、ショウはうっすらと見える肌だけを頼りに後ろをついて行く。


 まっすぐと長い廊下をしばらく歩き続けた。そして角を一つ曲がると、前を歩いていた人物が足を止め、振り返った。

 どうやら着いたらしい。正面にあるのは扉だろうか。暗さに慣れた目でもうっすらとしか見えないが、ショウがうかがいながら足を踏み出すと、黒づくめの人物は頷いた。やはりここで間違いないようだ。

 ショウは躊躇いつつその扉を開けた。


 次の瞬間、室内の賑わいがショウを襲った。まぶしいだろうと目は細めていたが、音のことは失念していた。まさか防音までされているとは想像だにしていなかった。

 ショウはその衝撃を何とかやり過ごし、室内へと足を踏み入れる。


 そこでもまた圧倒された。そこには予想とは全く違う光景が広がっていた。

 古びてはいるが豪奢な内装は、一世紀前のパーティーホールを連想させた。年季が入りオレンジに変色したガラスのシャンデリアは、部屋の中央でまばゆい輝きを放っている。

 そんな華やかさを見せる一方、壁際へと視線を移すと、小さなランプが点在するだけの薄暗い場所も目に入った。そこでは、ランプに照らされた不気味な顔がぼんやりと浮かび上がっている。何気なく見ていると目が合いそうになり、ショウは慌てて視線をそらせた。


 この部屋はかなりの広さがあるようだった。広場と同じくらいか、やや小さいか。少なくともここからでは部屋の奥まで見通せない。

 見える範囲にいるのは五十人ほど。人相の悪い男はもとより、胡散臭げな老人、いかにも怪しい薬を売っていますという顔をした老婆、そして、きゃっきゃと騒ぐ露出の多い踊り子たち――どう見ても堅気とは言いがたい顔触れがそろっていた。


 闇市、という言葉がショウの頭に浮かぶ。その存在は噂程度には聞いていたが、まさかこんな町のど真ん中で開かれているとは知らなかった。


 ――って、そんなこと考えてる暇はない、か。


 てっきりアキトが出迎えてくれるものと思っていたが、そうでないのであれば探さなくてはならない。この様子からするとアキトも部屋のどこかで店を広げているのかもしれないが、一見したところその姿は見当たらない。


 とそのとき、目の前が陰った。顔を上げると、そこには大柄の男が立っている。いかにも腕力自慢といった風情の男で、身長は二メートルを超えるだろうか。圧倒的な体躯たいくの違いに、ショウは思わず足を引きかけた。


 何故、と思い、周囲へと視線を飛ばすと、そばにいた人々が胡乱うろんげな目でショウを見ていた。

 それで悟る。恐らく、ここの扉もノックか何か手順を踏む必要があったのだろう。ショウは何も考えずに扉を開けてしまった。それがここのルールを侵した。入り口に立ったままだったのもいけなかったかもしれない。これでは初めて来たと公言しているようなものだった。


「招かれざる客だな」

 男の野太い声が室内に大きく響いた。


 いつの間にか周囲からは音が絶えていた。部屋中の視線がショウへと向けられ、先ほどまでの賑やかさの代わりに不穏な空気が満ちる。

 ここにいる多くの人たちは恐らく後ろ暗いものを持つ者たちなのだろう。部外者に厳しいのは当然のことだった。今の状況はそのことに考えが及ばなかったショウ自身が引き起こした事態だ。


 ――ぬかったな。


 ショウは小さく舌打ちした。状況は悪くなったが、まだショウの用事は済んでいない。このまま逃げ帰るわけには行かなかった。

 身を削るような緊張の中で、ショウは必死に自分を保つ。怯んだら負けだった。不安も恐れも歯を食いしばることで耐え凌ぎ、自分を奮い立たせるように大男をにらみつけた。


「いいや。ちゃんとした客だぜ」


 男は鼻で笑った。ならば何故ノックをしなかったのか。何故入り口で立ったままなのか、と無言で問うているようだった。


「ここはぼっちゃん一人で来れるようなところじゃないぜ? 何しに来た? 誰の差し金だ?」


 男と対峙しつつも、ショウはさりげなく周囲を探る。

 アキトが自分をはめて得をすることなどない。はめるためにここを指定したわけではないはずだ。ならば間違いなくこのどこかにいる。

 ただ、こんな騒ぎになっても出てこないあたり、見える場所にはいないのかもしれない。どこかに別室でもあるのだろうか。

 案内人は迷わずここにつれてきた。それを考慮すると、この部屋ないしは、この部屋を通って行ける場所にアキトはいるはずだ。

 となれば、入ってきた場所以外にも、どこかに扉がある可能性が高いが――。


「だんまりかよ、おい。痛い目を見ねぇとわかんねぇってかぁ? んん?」


 男の手がショウの胸倉に伸ばされる。ショウは反射的に後ろに跳んで男との距離を取った。焦る気持ちを抑え、この場を切り抜ける手立てがないかと視線をさまよわせる。だが、これといった手がかりは見当たらなかった。見える範囲にショウを助けてくれるものはない。ならば――。

 ショウは半ばやけになりながら言葉をつむぐ。


「ったく。客だって言ってんだろ。俺は……奥んとこに用があるんだ」


 ざわりと空気が揺れた。それに手ごたえを感じ、ショウは言葉を続ける。


「おっさんと違って背が低くてな、見えなかったんだよ」


 大男は無言のままのそりのそりと近づいてきた。そして探るような眼差しでショウを見下ろす。

 ショウは負けじと男を見返した。ここで少しでも動揺を見せたら負けだと感じていた。


 それからどのくらいの時間がたっただろうか。男が意味あり気に笑った。おそらく大した時間ではなかっただろう。だが、ショウにはひどく長い時間のように感じられた。

 大男がすっと道を譲る。それに倣うように、様子を窺っていた他の人々も道を空けていった。


 行けるものなら行ってみろといった男の様子にたじろがなかったわけではない。だが、ショウは何食わぬ顔で歩き出した。

 実際には心臓が破裂しそうなほど激しく鳴っていた。だが、それを見せてしまえば、せっかく開けた道が再び閉ざされてしまう。ショウは必死に平静を取りつくろって、人々の間を時間をかけて通り抜ける。


 部屋の奥には予想通り扉があった。赤黒い、不気味な色をした扉だった。ショウは扉の前で足を止めると、体半分振り返る。


「……騒がせて悪かったな」


 虚勢の締めくくりに更なる強がりを言って、そして扉に手をかけた。


 その先には、再びの暗闇が待っていた。

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