1-1. 革小物屋(3)
*
南北に延びる市場を北に、途中から脇道に反れて入り組んだ路地を歩くこと数十分。周囲からはだんだんと家が減り、これまで家々の横を流れていた用水路の水も本来の自然な姿を取り戻していた。川幅こそ狭いが勢いのあるこの川は、この先の粉ひき小屋で動力として利用されている。
その粉ひき小屋を囲む家々の中に、ユウキたちが暮らす一軒家はあった。この町に多い石組の家で、壁面は白い土で塗り固められている。
この家はアキトの口利きで安く借りたものだ。安いだけあって古く、隙間風は避けられない。所々にひびの入った壁もこまめな修繕を必要として手がかかる。だが、それを差し引いても安いと思える価格で、ユウキたちの暮らしを助けていた。
ギギー、ギギー、と
ユウキは家の前で一旦足を止め、暗く沈みがちな顔をぱんと叩いて気持ちを入れ替える。そして、扉を開けた。
「ただい――」
言い切るより先にユウキは大きな衝撃を受けた。目の前の光景に思わず目を疑う。
「おじいちゃん! ちょっと何してるの!!」
ここしばらく、ろくに起き上がることもできなかったジャンが、猟銃の手入れをしていた。まるで病などなかったかのように平然と、黙々と作業を続けている。ユウキの言葉が聞こえなかったはずないのに、どこ吹く風といった様子で反応の一つも返さない。
「おじいちゃんってば」
「――見ればわかるだろう。猟に出る」
そんなことを聞いているのではない。ユウキはずかずかと歩き、ジャンの正面へと回り込む。
病に倒れてからも体調のいい日は仕事をしていたジャンだ。在庫がそろそろ底をつくことも把握している。革の値段は決して安くなく今の値で仕入れていれば日々の生活は苦しくなるばかりだ。
だから以前のように自分で革を確保しようとしているのだとそれはユウキにもわかった。だが、病でやつれた体に昔のような強さはない。
「無茶だよ、そんな体で……」
改めてジャンの細さを目の当たりにして、ユウキは泣きそうになった。
「いや、今日は調子がいい。問題ない」
町に出てきてから森や山は遠くなった。以前暮らしていた場所でも狩場は遠かったが、それ以上だ。今体調がいいからといって、帰ってくるまで体が持つはずなどなかった。ましてや最近は寝込みがちで体力などないに等しい。この細すぎる腕がまさにその証拠だ。
「な、なら私が行く! 私が
銃は使えないが、代わりにユウキは弓が使える。こんなやせ細ってしまったジャンを行かせるくらいなら、ユウキが行くほうが何倍も何十倍もよかった。
「駄目だ」
「どうして!」
「――ここいらは北とは違う。北より豊かなここいらのはどいつもでかい。ユウキには無理だ」
「そんなっ」
使う獲物の差以上に腕の差があることは否めない。それでもジャンを行かせることなどできなかった。
何とか引き止められる言葉がないかと探しているうちに、ジャンが立ち上がった。いつの間にか猟銃の手入れは終わっていた。
「駄目、行かないで。――ううん、少しでいいから待って。……話があるの」
ジャンはいつも一人で決めてしまう。そしてそれをユウキが
ジャンが動きを止める。ずっと視線を合わせなかったジャンとようやく目が合う。
「あのね、おじいちゃん。私、
「なんだ、そんな話か……。お前は余計な事など考えずこのまま売り子を続けていればいい」
「でも……」
「商品の事なら心配するな。すぐ用意する」
ユウキはそうしたくないから言っているのだ。このまま売り子を続けるのではジャンに負担がかかりすぎる。
「違うの。そうじゃなくて――」
「話は終わりだ」
ジャンは再び立ち上がった。
「待って、ちゃんと聞いて」
そのまま行こうとするジャンの腕を
「私も思いつきで言っているんじゃないよ。最近、革が手に入りにくくなったのは認める。売っても売っても
アキトの名前は強力な切り札だ。アキトにはこの町に着いてからの一切を世話になっている。ジャンもアキトのことは信頼しているし、頭が上がらないはずだ。
アキトの名前を利用するのは正直心苦しかった。けれどユウキはそんな嘘をついてでもジャンを止めたかった。
「ならん」
ジャンはユウキの切り札までもをバッサリと切り捨てた。それから床の荷物を拾い上げて扉へと向かう。
ユウキは自分の言葉が届かないことがもどかしかった。こんなにも心配しているのに、どうしてわかってくれないのだろう。どうして自分の身体を大切にしてくれないのだろう、と。
ユウキは固く口を引き結び、扉の前に立ちふさがった。
「どきなさい、ユウキ」
「――嫌」
「ユウキ」
ジャンが鋭い眼差しでユウキを睨んだ。けれどユウキも
「そんな体で狩りなんて絶対に駄目」
「ユウキ! いい加減にしっ」
「おじいちゃん!?」
崩れ落ちるジャンに慌てて手を伸ばす。抱きしめるようにして支えようとするが、完全に力の抜けたジャンを一人で支えるのは無理だった。勢いよく倒れることだけは回避させようと足を踏ん張り、ジャンと一緒に倒れ込む。
ドタン、という鈍く重い音と共に肩を強打する。ジャンも同じように肩を打っただろうが、ジャンはそれどころではないようだった。
ユウキは体を起こしながらジャンの下から腕を引き抜く。ジャンが小さく呻いた。その顔は赤黒く、苦痛に歪んでいた。
「おじいちゃん! おじいちゃん、しっかり!」
ユウキは急いで薬を取りにいく。戸棚から薬瓶を取り出し、台所でコップに水を汲む。そして戻って来て、ジャンの頭を自分の膝の上に乗せると、薬瓶から錠剤を取り出した。
「薬よ。飲んで」
薬を持つ手が震えていた。ユウキは必死に手を動かして、わずかに開いていた口に薬を入れる。
「次はお水よ」
一緒に持ってきたコップの水をジャンの口に押し当てて、ゆっくりと傾ける。
「がっ、ごっ……ごほっ……」
口から水があふれた。タイミングが合わなかったのかジャンはむせてしまう。
当然薬も飲めていない。水も気をつけなくてはいけないが、薬も手前に置くだけでは飲みにくいのかもしれない。ユウキは急いでもう一錠取り出して、今度は口の奥のほうへと押し込んだ。もう一度コップを傾けると、しばらくしてジャンが
そこまでしてユウキは一息つく。だが、これはあくまでも応急処置だ。これで完全に
「おじいちゃん待ってて。今、お医者さん呼んでくるから!」
不安に
ユウキに連れられ駆けつけた医者は、ジャンを一目見るなり表情を
ジャンを寝台に移すとすぐに診察を始める。ユウキにできることは何もなかった。ただ医者がテキパキと必要な処置を施していくのを見守る。
医者が手を止めたのは日暮れの頃だった。
ずっと医者の隣で
医者は一瞬ためらったのち、はっきりと告げた。
二人きりになった家の中。
青白い顔で眠るジャンを見つめながら、ユウキは目じりに涙をにじませる。
医者に告げられたのは、もう冬まで持たないだろう、という予想以上に厳しい言葉だった。
実質的な余命半年宣言だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます