第37話 -生きるという意味-
「飲むよね?」
「……ん。有難う」
勝手に拝借して温めたミルクだけど、朝謝ることにしよう。
仄かに湯気が立ち昇るコップに入ったホットミルクをリィナの手元に寄せる。抱き抱えるように両手で受け取ったリィナ。
「……あたたかい」
「………」
くぴくぴ飲み始めるリィナ。こうして見ているだけではどう見ても戦いに身を置く少女だとは思えなかった。
「≪風爆≫のことを考えていたのか?」
「…………」
図星だったみたいだ。窓から差し込む月明かりが丁度良く僕達がいる場所を照らしてくれる。
リィナの表情は普段通り見る人によっては何も考えていないようにも見えるけど、僕には分かる。彼女が葛藤に苛まれている最中だと。
「……あれからわたしは訴え続けた。だけど≪風翠≫はやっぱり何も言ってくれない」
「…リィナ」
「……≪風翠≫は――エンリィ=レイラントは何でわたしを選んでくれたんだろう。こんな何もないわたしを。唯の人形であるわたしを」
そうしてリィナは語り始めた。自分の過去を。
「……わたしが名乗っているアーシュライトって言うのは元々この国で名を馳せていた貴族の名家の名なの。けれど、今はもう存在しない名前」
リィナは言った。自分が生まれてきてはいけない存在だということを。
生きてほしいという願いではなく毎日死を望まれ続けながら必死に生き続けていたことを。
「……わたしはお母さんの顔を知らない。お父さんはわたしの存在そのものをなかったことにしてしまった。だけど、わたしはその中でも幸せな方なのかな」
「なっ――!?なんでそんな目にあってまでそんなことが言えるんだよ!?」
「……セツナ。この世界はね、そんなに甘くはないんだよ。貴族っていうのは民に優しいなんていうのは唯の幻想。人を人と思っていないあいつらは自分の欲望のままに他人から全てを奪い尽くす。そうして生まれた子供はいっぱいいるの」
そうして生まれた子供は総じて生まれてきたことそのものをなかったことにされるという。その大半が育児そのものを放棄されてすぐに衰弱死してしまうということだった。
けれど、その中でもリィナは小部屋に閉じ込められながらも生き続けていた。いや、生かされ続けていたと言った方がいいかもしれなかった。
「……光も差し込まない暗闇の中わたしは必死に生き続けた。どうしてわたしがこんな目に、だなんて考えたことはなかった。そもそも考えるほどの知識がなかったというのもあるのかな。誰も何も教えてくれない。そんな中でわたしは無意識に死にたくない、生き続けていたいと言う本能だけで生き続けた」
リィナが話すことは僕にとって信じられない内容ばかりだった。
人と馴染めず、そのせいで家族からも見放された僕とも違う。悲惨としか言えない人生。
目の前で震える少女が何をしたって言うんだ。腹立たしい。リィナをこんな目に合わせた奴等が憎い!!
「……セツナは優しいね」
「ぁ――」
既に冷えてしまったミルクが入ったコップを握りしめていた手をリィナが包み込むように握ってきた。
「……わたしは今幸せだよ?セツナに会うことが出来たんだから。それだけでわたしは生き続けて良かったと思えるよ?」
「リィ、ナ……」
今すぐに抱きしめたい。この優しい少女をもう絶対に一人にしたくない。けど、僕の身体は動かない。今彼女を抱きしめてしまうとリィナがリィナではなくなってしまいそうだったからだ。
「……そんな時に転機となる事が起きたの」
それはアーシュライトという家系が国から消え去った日。魔物の襲撃によりアーシュライト一族は滅んでしまったという。そんな中でリィナただ一人が生き残った。
けれど、そのリィナも限界に達しており何時死んでもおかしくない状況だった。
「……そんなわたしを助けてくれたのが、冒険者ギルドの支部長をやっていた男――リゲルだった」
リゲルという男はそれはもう厳しい人物だったという。生きるには働けと真面に動いたことのなかったリィナに鞭を打つように言葉を投げかけたという。
だが、リゲルはその代わりにリィナに色々な学を教えてくれたという。衣食住もリゲルと同じレベルのものを。リゲルはリィナのことを一人の人間だと扱ってくれたのだ。
「リィナっていう名前はもしかしてその人から?」
「……違う。この名前はわたしが決めた名前。リゲルがわたしをどう呼べばいいか悩んでいた時、わたしの中に一つの名前と優しい声が聞こえてきたの」
聞いたことのない声。けれどリィナが今まで感じたことがない温かさを持った感情を含んだ声が言ったという≪リィナ≫――と。
僕はその事を聞いた時、思った。それはリィナの母親なのではないかと。
「……けれどそんな日常も長くは続かなかった」
それはリィナがいた町の近くに炎に包まれた大型の魔物が現れたという知らせが届いたことから始まる。
「……今から4年ぐらい前のことだったかな。ギルドに所属していた冒険者総出で討伐することになったの。もちろん支部長であったリゲルもその討伐に参加することになった」
それはリィナが冒険者ギルドの雑用としてだが、見てきた中でも一番大きな出来事だったという。
「……けど、わたしは心配していなかった。きっといつものように冒険から帰ってきた皆がそのゴツゴツした手で出迎えたわたしの頭を撫でてくれると思っていたから」
だが、帰ってこなかった。
リゲルもそれ以外の討伐に赴いた冒険者全員が戻ってくることはなかったという。
「……二日経っても町に何の知らせも来ないことに不安を感じていた。数日音沙汰がないことなんて普通のことだったのに。だから、わたしは一人でその魔物がいるという場所に行ってしまった」
今のリィナの4年前というと10歳ぐらいだということだ。そんな歳の女の子が一人で魔物が蔓延る場所に行ったとしたらどうなる。
そんなこと簡単だった。戦う術も知らない人間には地獄とも言うべき場所。
「……わたしは行ったことに後悔した。溶けた地面の中に佇む一匹の魔物。いや、あれはもう魔物なんていう域を超えていたと思う。だってあれはまさに本で見た――」
悪魔そのものだった――
聞いているだけで喉がカラカラになってくる。既に冷めてぬるくなってしまったミルクで無理やりに喉を潤す。
「……そこにはわたしが知っているはずの人達が倒れ伏していた。わたしはその光景に逃げ出すことも忘れて震えてしまっていたの。そんな時、元凶となる悪魔がわたしを見た。その身体に纏った炎を揺らめかせてちっぽけなわたしを見ていたの」
絶望的な状況だったのだろう。
けれど、今こうしてリィナは存在しているということは生き延びたということになる。
戦う術もない女の子がどうやって?それは今のリィナの源となっている存在がいたからだろう。
「……炎の悪魔が放った轟炎がわたしに迫ってきた時、わたしは死を思い浮かべた。けれど、わたしは死ななかった」
灼熱の業火の中、リィナを突き飛ばした人物がいた。それはリィナに厳しくも一人の人間として見続けてくれた人物。
「……わたしの代わりに炎に包まれていくリゲルは最後に笑いながら呟いた。『生きろ――』って」
そこでリィナの感情が爆発した。地獄とも、煉獄とも言える灼熱の業火を掻き消す程の風がリィナの感情と共に溢れたという。
「……それがわたしと≪風翠≫の出会いの始まり」
神剣使いに目覚めたリィナはその力で炎の悪魔とも呼べる魔物を穿ち尽くした。
そして、リィナは冒険者となった。
たった一人で、誰にも頼らずに一人で生きてきた。
「……これがわたし――リィナ=アーシュライトという全てなの。セツナは幻滅したかな?わたしは唯の人形なんだよ。喋るのも下手、感情すら表に出せない人としての欠陥品――ッ!?」
「そんなこと言うんじゃない!!」
今度こそ僕はリィナを抱きしめていた。
手から零れたコップの割れる音が食堂に響き渡る。
「リィナが唯の人形だと?そんなこと冗談でも言わないでくれ!!」
「……ッ。わたしのような人間が人形じゃなくて何だっていうの!?」
「僕を救ってくれた可愛い女の子じゃないか。僕は知っている。リィナがよく笑うことを。間違ってしまった時に怒ってくれることを。楽しみも悲しみもきちんと君はもってるじゃないか」
「………ぅ……ぅぁ」
「リィナは唯流されるままに生きているって言うのか?そこにリィナの考えがないとでも?今もそう思ってるっていうのか?」
「……わたしは――」
「リィナは少し考えすぎてるんだよ。君は僕の頼もしい仲間なんだから。僕と一緒に生きようよ。僕はリィナの話し方もその表情も好きだよ?」
「……セツナ……ありがとう。貴方がいてくれて良かった」
―――…
――
「よしっと、これで割れた破片は全て片したかな」
「……割っちゃってごめん」
「いいって。急に抱きしめちゃった僕が悪いんだから」
地面に散らばった陶器の破片を集め終わった僕は、再度厨房を拝借して別のコップに温めたミルクを注ぐ。
明日宿屋の人に怒られるだろうなぁ。まぁ、いっか……
「ふぅ。何時の間にか外が明るくなりかけてるね」
「……ん。セツナの睡眠時間奪っちゃってごめん」
「大丈夫。夢で見た内容を整理したかったから結局起きていただろうし」
「……夢?」
リィナの壮大な人生を聞いて記憶の隅に追いやられていたが、僕にとって――そしてリィナにとっても大事なことだった。
「リィナは神剣の……過去の王の夢って見たりする?」
「……それって風の女王であるエンリィ=レイラントのことをってこと?」
「うん」
「……ううん、見たことない。≪風翠≫は神剣使いにとっての必要なことは教えてくれる。けど、それだけ。それ以外はわたしがどれだけ語りかけても答えてくれない」
「そっか……」
時折見るラグザ達の夢。あれは神剣使いにとっては普通の事ではないようだった。
ならどうしてラグザ達は僕に過去の映像を見せてくれるんだろうか。ラグザが僕の前世であるからか?思い当たる節は正直それぐらいしかなかった。
「リィナ。眉唾物だと思わずに聞いてくれ」
「……セツナ?」
「風の王と呼ばれる人物は二人いた。僕の内で眠る闇の王――ラグザ=ハーシェルの仲間だったエンリィ=レイラントという少女とは別に風の王はいたんだよ」
「……なっ!?セツナ何を言って!」
目を見開いたリィナが立ち上がる。あ、またコップが地面に落下して割れてしまった……
「前にも言ったかと思う。僕は≪宵闇≫の……ラグザの来世である人間だ。だからなのか時折ラグザの夢を見るんだ。僕はさっきまで夢を見ていたんだよ。ラグザの――そして共にいたエンリィという少女のことを」
アーリャの事は話さない。彼女の事は今はまだ誰にもその名すら知らせたくなかった。アリシアとの関係性が不明だったからだ。
「その夢の中でエンリィは言っていた。風の精霊を喰らい尽くしたもう一人の風の王を追うと」
「……ッ。やっぱりいたんだ……≪風翠≫はわたしを裏切ってなんていなかったんだ」
両手を胸に置いたリィナ。きっと信じたかったんだろうな。けど、内に眠る≪風翠≫は何も答えてくれなかった。それが彼女の想いを揺らいでいた。
これだけでも話した甲斐があったと思う。
「……セツナ有難う。貴方のおかげでわたしはまた戦うことが出来る。≪風翠≫と共に――」
「はは……」
奮い立たせるために言ったわけじゃないんだけど、リィナが元気になってくれて良かったのかな?
「……それでセツナはもう一人の風の王の名前は知っているの?」
「いや……エンリィはその名を言っていたんだけど、ノイズが入って聞き取れなかったんだ」
「……そう」
初めてこの世界に降り立った時もそうだった。アーリャの最後とも言える光景の中、最初ラグザの名前もアーリャの名前もノイズが入り分からなかった。
「期待させちゃってごめん」
「……ううん、セツナのおかげで≪風爆≫が使う神剣には別の風の王がいるってことが分かった。それだけで十分だよ」
「そう言ってくれるだけで助かるよ。僕達は≪風爆≫を見つけないといけない。奴はきっと……リィナと俺の、いや少し違うな。エンリィとラグザに因縁のあるやつなんだから」
その時、背後で悪寒を感じる風を感じた。
「因縁……アナタ自身にはないけれど、そこの薄汚い豚にはあると思うのよねぇ」
「「なっ――!?」」
気配を感じなかった。そこには開け放された扉を背に日の出直前の月痕が残る仄かな明かりに照らされた少女が立っていた。
「あたしの中に眠る王様が言っているのよねぇ。そこのあたし好みの男の子には悪いんだけど、二人とも殺せってね。ほんっと煩いのよぉ?」
「まさかお前は……」
「あはぁ。アナタが思っている通りだけれど、自己紹介とさせてもらうわねぇ。エリザ=アーシュライト。風の王≪ゼファード=オルガレス≫に認められた宝煌神剣第三階位≪狂風≫の使い手でありアナタ達が追っている≪風爆≫なのよ?ねぇ、驚いた?驚いたかしらぁ?」
唐突に現れた人物。僕はその女に対して複数の驚きを感じていた。
二つの風。二人の風の王。そして――二人のアーシュライト……
リィナに似た、けれど明らかにその存在そのものが違った少女は大胆不敵な笑みを浮かべて僕達の前に立っていたのだった。
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