第36話 -一人で考えて分かること-
「あ~癒される……」
広い湯船に足を伸ばす。疲れた身体から疲労感が洗い流されている様な感覚。
「まさかこの世界に銭湯があるなんてなぁ」
僕の声に答えてくれる者は誰もいない。それは当然のことだった。僕達は今別行動を取っていたのだ。
そんな中で僕が見つけた場所。そう大衆浴場だ。
まさかこの世界にあると思っていなかった。勝手な想像だけど僕のいた時代よりも色々な文明が低い場所だと思っていたのだ。
けれど、この商業の街≪エルガンド≫に来て色々と常識を覆されることになったのもまた事実。
まず、大きな気づきはこの街で流れる水。上水路と下水路を区分けしており清潔感を、そしていつでも新鮮な水が汲めるということだった。
街の近くに大きな湖があり、水資源としてはそこそこ豊富な場所だったのだ。だからこそ地下に張り巡らされた広大な地下水路があるという状況だ。
そして、次に大きな点。この街は全ての場所とまではいかないが、電気が通っていることだった。
ガゼインから教えてもらった事実。それは地下に水力発電が行われる施設を組み込んでいるということだ。
水と電力。その二つもまた商会にとっての資源であり資産だった。この街を発展させるためにガゼインも、そして先代の人物たちも切磋琢磨してきた結果ということなんだろう。
「何はともあれもう暫くこのままゆっくりとしてようかな……」
あの後、ガゼイン達は言うことだけ言うと店を後にしていた。その頃には既に時刻は夕刻近く。
あまり祭りまでに時間はないとはいえ今日はもう調査は終了となった。そこからは各々考えることもあるだろうということで別行動になった訳だった。
早々にいなくなったリィナは別としてアリシア達からは街の観光がてら散策に誘われたわけだけど、今は僕も一人でいたい気分だったので丁重に断って一人で当てもなく歩き回っていたのだ。
そこで偶々見つけたのがここ大衆浴場だったというわけだ。
「…………(ぶくぶく)」
まだ夕刻前ということもあり、広い湯船には数えるほどの人しかいない状況の中僕は口元まで湯船につかり、目を瞑る。
こんなに落ち着いた気分になったの何時ぶりだろうか。
考えてみればこの世界に来て既に10日は過ぎている状況だけれど、初めてかもしれない。
こうして一人になるのも今回が初めてだ。今まで何だかんだシルフィル兄妹かリィナが常に横にいたから僕は不安になることがなかった。
けれどこうして一人になるとやっぱり実感する。ここは僕が知る世界じゃないんだなぁ、と。
慌ただしい日々。僕をが必要とされる毎日。どれも元の世界にいた時じゃ考えられないことだった。
ほんの2週間前僕は何をしていただろう。
朝起きて走り込みをして既に誰もいない食卓で朝食を取る。僕が走りこみから戻ったころにはいつも両親は仕事に、裕那は部活に行って家には誰にもいないのが普通だった。
そのことに悲しいと思ったことはない。悔しいと感じたことはなかった。
そして高校生活は流されるままに過ごしていた。友人がいなかったわけじゃない。もちろん学校では話しかけられれば答えるし、ペアやグループを組む課題があった時に困らない程度の交友は持っていた。けど、それだけだ。
裕那みたいに部活には入らず親友と呼べる人物も、彼女と呼べる人物もいない。ただ流されるままに生きていた。
そんな僕の生きがいとでも言うべきものは放課後に行っていた爺さんの道場だ。同年代の門下生は僕唯一人。
そもそも僕は爺さんと言い続けてるけど、実際は僕の祖父というわけじゃない。近くで代々剣術を開いていた道場の師匠だ。
僕が7歳のころだったか。その頃から僕は周りと自分が少し変わっていることに気付いていた。
だから、僕は放課後誰と遊ぶわけじゃなく一人でいることが多かったんだ。その時に声を掛けられたのが爺さんだった。
爺さんは僕に剣を習えと言ってきた。僕は言われるがままに木刀を受け取り、それでボコボコにされたっけ。今思うと幼い子供相手に本当に容赦なかったと思う。それは今まで習っていてずっとだったけど。
けど、僕の目を見て真正面からぶつかってくれる人物は爺さんが初めてだったんだ。この人は僕を見てくれる。そう思ったからこそ、僕は頑張り続けた。
盈月一華としては去年ようやく中段位を修めた状況だったわけだけれど、途中でいなくなった僕を爺さんはどう思っているだろうか。
だけど、僕はこの世界でも頑張っていくよ。爺さんから習った剣術は僕の中で確かに僕の力として芽吹いてくれている。だから――
「――――!?……ぷはっ!」
「おいおい、兄ちゃん大丈夫か?風呂ん中で寝てたら死ぬぞ」
「っ、すみません……」
気づくと鼻の上まで湯船につかっている状況だった。深く考えすぎてたみたいだ。
声を掛けてくれたオジサンに謝り、僕は湯船から立ち上がる。
「よしっ――!!」
刀も手に入ったことだし、明日から素振りを再開しようかな。
うん、そうしよう。この世界に来てから刀がなかったから中断してたけど、もう会えない爺さんを落胆させない為にも腕を磨こう。
棒っきれや剣での素振りじゃ変な癖がつきそうで疎遠してたけど、妖刀≪初魄≫なら僕の思い描く軌跡を描いてくれそうだったから。
―――…
――
その後は昨日と同じ宿に戻り、皆で食事をとって就寝することになった。
そして、その夜僕はまた夢を見た。
ラグザの、そしてアーリャの夢を――
◆◆◆◆
「本当にいくのか?」
俺の横で心配そうな顔を浮かべるアーリャに代わって俺が口にした。
「えぇ。アタシは奴を許さない。同じ風を冠する王としてあの人の処遇は決して許せないの。だからごめんね。センパイ達の事は心配なのだけど――」
「そこは心配するな。俺達は二人でも頑張っていけるさ。な、アーリャ」
「あはは……。分かっていたことだけれど、悲しいな。私がラグザ以外で一番気を許せたのはエンリィちゃん、貴女だけなんだよ?」
「センパイはアタシの事、妹みたいだっていつも言ってましたね。本当に申し訳ないです。けれど……」
俺達と別れることになることは本当に不本意なことだと。だが、目の前の俺達よりも年下の少女――エンリィ=レイラントは決意が揺るがない瞳でこちらを見上げていた。
そうだよな……お前が許せるわけないよな。
「……お前が望むなら手伝うぞ」
「ううん、大丈夫。ラグザセンパイはアタシの事は気にしないで。寄り道なんてしてる暇ないはずだよ。センパイ達は一刻も早く≪終焉の混沌≫の追わないといけないでしょ?」
「………すまん」
「だから謝らないでってば。大丈夫!アタシだけで大丈夫だよ。もう一人の風の王……■■■■■を追うのはアタシだけで――」
「エンリィちゃん……」
泣きそうな表情で……いや、とうとう泣いてしまったな。泣きじゃくるアーリャがエンリィに抱きつく。これが今生の別れでもあるまいし、何時まで経ってもアーリャは子供だな。
「センパイ、苦しいですよ。ほら……アタ…アタシも我慢してるんですからぁ……」
旅を続けて数年経っているが、その中で俺達以外の仲間となった中で一番長くいた人物がエンリィだった。俺達と同じ精霊と正式に契約を行い、その身に宿した王の一人。巷では風の女王と呼ばれる人物だ。
アーリャの泣き癖が移り、二人して泣きじゃくるのを見て思う。何でこんなことになったんだろうな。
本当はアーリャもエンリィも戦いの場に出ていい人物じゃないはずなんだ。なのにアーリャは俺と同じで俺達の村を滅ぼした≪終焉の混沌≫を、そしてエンリィは風の精霊を喰らい尽くしたもう一人の風の王を追おうとしていた。
誰がこんな世の中にしたのだろう。それは誰でもない俺達が選んでしまったのだ。荒れ狂う戦いの場に身を置いたのは自分達で決めたことだ。
だから俺には何も言えない。エンリィが去ることも別れを惜しむことも俺には止めることなんて出来はしなかったんだ。
「もう、行くんだな」
「うん。でもお別れは言わないよ。アタシは奴と決着をつけたらすぐにセンパイ達に追いつくから。だから、それまでセンパイ達も頑張って」
「あぁ。お前なら出来るさ。お前のその槍で全てを穿ち尽くせ」
「ぐすっ……私だけこんなじゃ駄目だよね。あはは。エンリィちゃん元気でね」
「はいっ。センパイ達もお元気で!」
こうして俺達は別々の道を歩くことになった。この時はすぐにまた会えると信じていたんだ。
けれど、エンリィと会うことはもうなかった。それは俺達の行動の結果とも言えるし、エンリィ自身が俺達に会うことが出来ない状況だったからだ――
―――…
――
「う…………」
外から獣の遠吠えが聞こえる。
まだ夜中とも言える暗闇の中、僕は目が覚めた。
隣のベッドには酒をふんだんに飲み豪快に眠り続けるユーシアの姿。
「今の夢って――」
間違いない。僕はラグザ達の過去を見ていた。
けれど、今までと明らかに違うことがあった。今まではラグザとアーリャが出ることはあっても他の人物を見たことがなかったのだ。……1回だけラグザ達の目の前に現れた終焉の混沌≪カオス=フィーネ≫を見たこともあったけど、ラグザ達に関わる人物という意味では今回が初めてだ。
エンリィ=レイラント……
僕はこの名を知っている。遺跡でリィナが古代魔法を唱えた時に出た風の女王の名だ。
そして、もう一人。夢の中でエンリィが話したもう一人の風の王。名前の部分に雑音が混じり聞こえなかったけど間違いない。風の王はもう一人いたんだ。
しかもラグザ達の気配から察するに悪意ある人物……。もしかしてこの街に潜む≪風爆≫が持つ神剣はソイツが王なんじゃないのか?
ユーシアを起こさないように部屋を出る。ここだと落ち着いて考えることが出来なかったからだ。
周囲に眠っている人達を起こさないように静かに廊下を歩く。
二人の風の王――。ユーシアの言った通りだ。同じ属性でも王は一人じゃなかった。
精霊が許したのか分からないけれど少なくとも二人の人物が風の精霊と契約したということだ。
でも、夢の中でラグザが考えてた内容……もう一人の風の王は風の精霊を喰らい尽くしたと言っていた。これはどういうことなんだろうか。
「うーん……考えてたら喉が渇いたな。食堂にある水って勝手に飲んでいいのかな?」
階段を下りて一階にある食堂へと足を運ぶ。
正直今この時間起きているのは僕だけだと思っていた。けれど、暗闇に覆われる食堂の中に蠢く人物がいた。
その人物に僕が気づいた時、相手もまた僕に気付いていたのだった。
「……その姿と匂い。セツナなの?」
「リィナなのか?」
何をするでもなく椅子に座り込んでいた幼い少女。
≪風姫≫の名で一人頑張り続けた女の子。そして――エンリィ=レイラントという風の女王に選ばれた宝煌神剣第四階位≪風翠≫を所持する人物でもあった。
ヴェネッサから≪風爆≫のことを聞いた時からずっとおかしかったのは言うまでもない。
きっと今もほとんど眠らずに自分の内へと語りかけていたのかもしれないな……
「隣に座ってもいいかな?」
「……ん」
僕から伝えるのは間違ってるのかもしれない。けれど、ラグザ達が僕にあの夢を見せたのは何か理由があると思った。
だから、僕はリィナに伝えよう。エンリィという人物の事を。そしてもう一人の風の王の事を――
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