第二章 ~二つの風~

第24話 -旅だち――その先は商人の街-

 ――夢を見ていた。


 僕の知らない記憶。だけど、僕はそのことを知っている。

 そう、これは二人の少年少女の思い出であり、大切な存在で相思相愛だった物語。


 ラグザ=ハーシェルとアーリャ=アナスタシアとの、忘れることのできない追憶――


―――…


――


 夕焼けが映えるとある町の展望台の柵に一人の少女が腰を掛けていた。


「ラグザは私のこと、どう思ってる?」


 アーリャ=アナスタシア。目の前にいる少女は俺の生まれながらの幼馴染であり、この世でかけがえのない大事な家族でもあった。

 だが、転機となったあの日から俺は胸に埋めるこの気持ちを表に出したことがなかった。

 それは、俺自身の贖罪でもあり――何よりも目の前の少女――アーリャを守るために俺は強くなる必要があったんだ。


 高台から吹き抜けてくる風が白縹色に近い美しい銀髪を揺らし、同時に夕焼けに淡く染まりより一層鮮やさを醸し出していた。まさに神秘的な、そして幻想的な光景は絵本の中に出てくるお姫様のような容姿だった。

 アーリャは夕焼けを背に儚げな表情で問いかけていた。


「そりゃ、もちろんアーリャのことは大事に想っているぞ」


「大事……大事かぁ。それって好きとは何が違うのかな?」


「アーリャ……?」


 アーリャが跳ねるようなステップで腕にくっ付いてくる。

 夕日の色のせいでアーリャの顔に影ができ、はっきりと彼女の表情を見ることが出来なかった。


「ラグザってさ、モテるよね。ほら、この町に来て結構経つけど、宿屋の子――セリアちゃんだっけ。あの子も最近じゃラグザを見ると目で追いかけてるじゃない」


「…………」


「ラグザって実は他の女の子にも私に言ったこと言ってるんじゃないの?」


「……言ってない」


「嘘だよっ!!そうじゃなきゃラグザが私以外の人に好かれるはずないのに……!」


「何を言って……!?」


 アーリャが焦ったような表情で必死に俺の服を掴み追及してくる。


「ラグザは……もしも私以外の女の子に告白されたらどうするのかな?」


「絶対に付き合うわけない。好きでもない人とは一緒になれない。それに――」


「それに?――何なの?」


「いや………」


 俺は鬼気迫ると言ってもいい程の剣幕で迫ってくるアーリャに対しそれ以上言葉にすることが出来なかった。

 だってまだ俺はこの気持ちを伝えるほど強くなれたわけじゃないんだ……


「やっぱり……。ならラグザがすごく気になる人から告白されたらどうするの?付き合っちゃうんじゃないの?」


「……アーリャ、お前何かおかしいぞ。何を焦っているのか俺には分からない。……だけど、俺が気になる人なんて昔から一人しかいない……」


 俺はアーリャの言葉の本音も真意も想いも全て気づくことが出来ていなかった。ただひたすら強くなることに執着していたこの時の俺は女心の一つも知らない大馬鹿野郎だったんだ。


「そっか……やっぱりラグザにはいるんだね、好きな人。あはは。私バッカみたい……」


 この時、俺はとんでもない思い違いをしていた。

 アーリャは俺の服を掴んでいた力を緩めると、そのまま目尻に涙を浮かべ後ろへと身体を後ずさりしだしていた。

 数メートルしかない距離をそのまま下がると腰までしかない柵の方へと吸い込まれるように身体を傾け、そして――


「っ!!何してるんだよ!!」


 アーリャは案の定、足を滑らせて柵から落ちそうになっていた。

 見晴らしのいい場所でもあるこの展望台は反面、その高さ故に柵の向こうは落ちたら只じゃすまない高さとなっていた。

 何の抵抗もなく、柵を越えて落下しそうになっているアーリャを俺は腕を掴み必死に止めていた。

 身体全体が宙に投げ出されていたアーリャを俺は腕だけで支えることになっていたのだ。


「え……私何で……。あはは。私にはラグザしかいないのに、そのラグザまで私の下からいなくなるんならもういいや……」


「は?……何言ってるんだよ!?今の状況が分かっているのか!?」


 俺の後ろで騒ぐ声が聞こえる。アーリャの突然の行動に驚いた人たちだろう。でも、そんなこと今はどうでもよかった。


「分かってるよ。だから、私の手を早く離して。じゃないとラグザまで一緒に落ちちゃうよ?」


 俺の中に苛立ちが溢れてくる。何が彼女をこんな風にさせてしまったんだ。

 アーリャの瞳から零れ落ちる涙が遥か下の地面へと吸い込まれるように落ちていく。


「俺が離したらアーリャが落ちてしまうだろうが!!」


「もういいよ、私なんて。ラグザが隣にいない人生なんて私にとって生きる意味なんて……」


 きっとこの時アーリャは弱っていたんだ。俺達の故郷を生まれ出た混沌に凍土へと変えられ、そして数年俺達は逃げ続けた。

 アーリャの気持ちにも気づくことなく、俺は自分勝手にそれが最善だと一人修練を重ねていたのだ。その時アーリャがどんな気持ちでいたのか知る由もなく――


「黙れ……お前がいなくなったら――」


 俺はアーリャの何を知っていた。ここまで弱り果てる姿を想像したことがあったか?いつも俺の後ろをくっついていた彼女の気持ちを考えたことがあったか?

 アーリャは他人に好かれていた。そして、俺にはない才能をいくつも持っていた。

 俺は――アーリャのことを強い人間だとずっと思っていたんだ。だからこそ俺は並び立つためにも強くなろうと決めたんだ。

 だけど、違う。それは全てが間違いだったんだ。

 彼女は一人じゃ何もできない。俺という存在がいて初めて強くなれる。それはもちろん俺もなんだ……。


 俺はこの時初めて自分の想い人でもあるアーリャの弱さを知ることが出来た。

 そして同時に俺自身に、そして目の前で自分の命を捨てようとするアーリャに怒りを覚えていた。

 だから――俺は心に秘めていた、本当の意味でアーリャを守ることが出来るまで言うつもりがなかった言葉を爆発させていたんだ。


「お前を守ることが出来ないだろうが!!俺とアーリャは本当の家族になるんじゃないのか!?小さい時からの夢だっただろ!!そんな簡単に捨ててしまっていいって言うのかよ!」


「ラグ…ザ……?」


 アーリャが驚愕の表情でこちらを見上げてくる。腕から伝わる振動が更に腕へと負担がかかり出す。


「俺がいない人生に耐えられない?それは俺もだよ!!お前がいない人生なんて俺にとっても意味がないんだよ!!」


 俺は弱い。目の前の少女の想いすら守ることが出来ない程に。今まで俺は何をしていた。俺はただ一人の少女を守りたいその為に強くなろうとしたんじゃないのか?


 強くなりたい――


 あの時凍り果てた村を見ながら誓った想いとは違う。


 この子を……アーリャを守れる力が欲しい――


 アーリャの脆さを、儚さを……全てを包み込む守れる力が欲しいんだ!!


「俺は――お前がいない世界に耐えられない。だって俺は……俺はアーリャの事が好きなんだよ!!お前が死んだら俺のこの気持ちはどうなる!!俺が!!!お前を守りたいと想い続けたこの気持ちはどうなるんだよ!!」


「ラグザ……!私……私っ…!!」


 アーリャの瞳から大粒の涙が溢れてくる。それは俺自身もであった。俺から流れ出た涙から腕を伝って二人を繋ぐ手の中へと吸い込まれていく。

 それは体力が既に限界だった二人を引き離す潤滑油となってしまっていた。


「あ……」


「アーリャ!?」


 滑るようにアーリャの手が俺の掌から離れていく。

 アーリャが死ぬ?嘘だ……俺はまだアーリャの気持ちをもらっていない!!

 だから、俺は咄嗟に飛び出していた。自分自身も身を投げ捨て、地面へと吸い込まれるように落ちるアーリャを必死に掴む!!

 嫌だ……こんなところで死ぬわけにはいかないんだ――

 俺は――俺はこの子を守りたいんだ!!


 そんな時――俺のすぐ近くで一つの声が聞こえたんだ。


『力が欲しいか――』


 闇より出ずる深き声。

 こうしている間もアーリャの身体が地面へと近づいている。

 このままじゃアーリャを助けることが出来ない――だから、今の俺にはその声に頼るしかなかったんだ。


「俺は――アーリャの事が好きなんだ!!だからこそこいつを守れる力を……何者にも負けない力が欲しい!!!」


『承知した。この身は汝と共に――』


 それが俺と闇の精霊≪アビスグレイズ≫との出会いだった。

 無意識に重力を操った俺はアーリャと共に怪我することなく下の地面へと降り立つことが出来ていた。

 腕の中で唖然としたまま身体を崩しかけていたアーリャを俺はそのまま強く抱きしめる。


「もう心配させないでくれ。アーリャは俺の大切な人なんだからさ」


「ラグザ……うぇっ……うぅ……あぁぁぁぁぁ………!!!」


 俺は馬鹿だ。小さい頃に約束したずっと一緒にいようねという言葉。

 俺はこのことをずっと覚えていたんだ。だから俺はアーリャがこれまでも、そしてこれからもずっと俺から離れることはないと思っていたんだ。

 だから……俺はそれ以上の想いを口にすることはなかったし、それは当然分かってくれているはずだと思っていたんだ。

 だけど、アーリャは違った。これまでずっと不安だったんだろうな……


 だから俺はアーリャを強く抱きしめる。もう二度と離さないためにも。


「好きだ。俺の恋人になってくれ、アーリャ!!」


「ぐすっ……はいっ!!」


 俺に体重を預けながら泣き腫らした、でもこれまでに見たことのない程の笑顔でアーリャが頷いてくれた。


 これは俺の物語の1ページ。

 俺が王になる転機となった日。俺が一人の女の子に想いを伝えた日だ。

 俺はこの子を離さない。もう二度と離したりしない――けれどその誓いは数年で潰えることになるなんてこの時の俺には知る由もなかったんだ……


――


―――…


  ◆◆◆◆


 ガタン――……


 不定期な揺れに脳が覚醒する感覚を感じる。

 閉じられた瞼がゆっくりと開かれる。


「う……」


 僕は誰だ……


「あ、セツナさん起きました?」


 横から夢で聞いた声が響いてくる。

 そう、僕は――セツナだ。東雲刹那。地球からこの世界≪セレナディア≫へと降り立った異物でもあり夢の中でその身になっていた少年――ラグザの来世でもある存在。

 今まで見た夢と違う感覚に僕は戸惑いを憶えてしまっていた。

 あまりにも現実味のある、自分自身が感じたような感覚。まさに自分自身がラグザであるように感じてしまう夢であったのだ。

 僕は自分の掌をぼーっと見つめていた。すると、隣に座るリィナが不思議がって声を掛けてきたのだ。


「……セツナ?」


「あ、ごめん。うん……また夢を見ていたんだ……」


「……夢って貴方の前世である存在の人の?」


「うん……」


 僕はそのまま反対側に座るアリシアの方へと向き直す。

 首を傾げて不思議がる少女。夢の中のアーリャと瓜二つの存在。けれど……彼女は別人なのだ。性格が違う女の子に僕は首を振り何でもないと二人へと返す。

 そんな時前方へと座る野太い男の声が響き渡るのだった。


「ずっと眠り続けてたなセツナ。もうすぐ目的地が見えてくるぞ……あれが俺達が目指す商人の集う都市≪エルガンド≫だ」


「お、本当かユーシア!!」


 ここは馬車の中だった。

 そう僕達はラクシア村を既に3日前に発っていたのだ。

 あの時、正式に僕とリィナを加入しメンバーが4人となった≪悠久の調≫は今後の目標を決めることになっていた。

 普通であればチームリーダーでもあるユーシアが目的地を決めるのが普通なのだが、

 頼れる兄貴存在でもあった彼は今後の行動を全て僕へと任せてきたのだった。


『お前が決めたい場所に行けばいいさ。それに――もう行きたい場所は決まっているんじゃないのか?』


 そう投げかけてきたユーシアの言葉は的を射ていたのだ。

 僕には確かに行きたい場所があった。王都レクセント……僕がいるエルージャ公国の中心でもあり一番栄えている都。僕はそこで会いたい人物が複数いたんだ。僕の事を予言した巫女という存在。そして、僕と同じ流派である≪盈月一華≫を使う≪剣鬼≫……。それに王都には不穏な影を見せるアッシュがいるかもしれないんだ。

 王都レクセントに行けば何かが起きる。それは漠然でもあり確信でもあったんだ。


 王都レクセントへは馬車でも結構な日数がかかるとのことだった。

 だからこそ、ユーシアは途中にある大きな都市でもある≪エルガンド≫を目指す提案をしてきたのだ。

 商人が集う流通街でもある≪エルガンド≫はへたすると王都レクセントよりも様々な品が集うことがあるという、エルージャ公国で一、二を争う街でもあったのだ。


「ま、急がば周れってな。資金集めにも暫くはあの街で稼ぐ。冒険者業ってのは慌てすぎると早死にするからな」


「そうだね」


「……ん」


 リィナが手招きして僕に外の様子を見せてくれる。

 すると、そこにはラクシア村とは比べ物にならない。石造りの壁が隔てた数km四方はある街が目の前に聳え立っていたのだった。

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