第23話 幕間その1 -リィナ=アーシュライト-

 わたしに物心がつき、自分が何者であるのか分かったときからわたしは常に一人だった。

 味方は誰もいない。周りは全て敵……それがわたし――リィナ=アーシュライトが最初に感じた想い。


 エルージャ公国としてはそれなりに有名だった伯爵の位を持っていた貴族の家にわたしは生まれた。

 但し、わたしの誕生は望まれての事ではなかったのだ。

 アーシュライト家の当主であった男は巷で噂されるほどの遊び人だそうだった。

 そのような男が気まぐれに孕ませた使用人の一人が産んだ赤子……それがわたし。

 難産だったのだろう。私の母親であったその人はわたしを産んでそのまま死んでしまったと聞かされた。


 わたしは望まれてこの世界に生まれ出たのではなかったのだ。実際はその逆、周りからわたしの存在は疎まれてさえいた。

 未だ顔すら見たことのない父親でもあるアーシュライト家の当主は生後間もなかったわたしを牢屋とも呼べなくもない薄暗く小汚い部屋に隔離するかのようにわたしの存在をなかったことにしたのだ。

 何が起きたのか分からないわたしは当然の如く泣き叫んだ。だけど、わたしの叫びは誰の耳にも届くことはなかった。

 1日に1度だけ使用人らしき人物が置いていく濁った廃棄寸前のミルクと黒ずんだ硬いパンがわたしの生命線だった。

 通常の赤子であれば1日とも持たずに死んでいたことだろう。だけど、わたしは死ななかった。

 ただ生きたい――それがわたしの唯一の望みだったのだ。そしてその願い通りにわたしは生き続けた。


 食事を運ぶ使用人以外の人間も時々わたしの元に現れていた。

 ただ、その人間たちは決まってこの言葉をわたしに残していく。

 死ねばいいのに――その言葉を何度聞いたことだろうか。

 わたしがこの世界で初めて覚えた言葉がこの言葉だった。


 何も知識を与えられなかったわたしはその言葉の意味がわからなかった。だけど、わたしの心がその言葉を拒否し続ける。よくない言葉……

 何時しかわたしは何があっても泣くことがなくなっていた。どれだけ罵られようと、どれだけ蔑まれようとわたしは黙って生き続けた。

 喜び、怒り、悲しみ、楽しみ――それらの感情を覚えることなくわたしは月日を過ごしていたのだ。

 徐々に自我がしっかりしてきていたわたしはそれでもその生活に疑問を持つことがなかった。

 わたしの世界はこの小さな部屋の中が全て。

 だけど、わたしは不思議と自分が愛されていない人間であること。味方なんて誰もいないこと。周りは全て敵であることを自然と理解していたのだ。


 具体的な月日は覚えていない。けれど、私がこの世に生を与えられて6年ほど経ったときだ。

 その日はいつもと様子が違ったのだ。

 どれだけ疎まれていても日に一度の食事はこれまで必ず与えられていたのだ。それが廃棄寸前の腐りかけの食べ物だとしても。

 だが、その日はどれだけ待っても使用人が現れることがなかった。待てども待てども来る気配のない静寂に包まれた部屋の中でわたしは待ち続けた。

 空腹に耐えかねたお腹から鳴り止まない空腹を知らせる音が鳴り続けていた。

 けれどその日わたしの元に現れる人物は誰もいなかった。それは次の日も、そしてその次の日も……


 死にたくなかった。けれどわたしの身体はどんどん動かなくなっていた。

 わたしは無意識に這うようにこの部屋唯一の扉へと体を動かしていた。生きたい――その想いがわたしの身体を動かし続ける。

 そしてわたしの痩せ細った手が扉に押し当たるのを感じた。

 今まで近づきさえしなかったわたしの世界と外界を隔てるソレはいとも簡単に外へと開かれ眩い夕焼けが開け放たれた隙間から入ってきたのだ。


 わたしは最初その光が何なのか理解できなかった。

 けれど、何故かわたしはその光の先に進まないといけないという衝動に駆られたのだ。

 だからわたしは最後の力を振り絞り立ち上がった。


 そしてわたしは扉を全て開け放つ。


 その時、わたしは初めての光景に目を奪われてしまったのだ。

 朱く染まった空に浮かぶ巨大なオレンジ色の太陽が夕焼け模様を煌びやかにわたしの視界を埋め尽くしていた。

 身体がピリピリと未知の感覚を与えられたかのように私に信号を知らせてきていた。

 初めて感じる温かい風がわたしの身体を包み込んでいく。

 風――触ることの出来ないその存在はけれどわたしの身体全体にその存在を知らしめるように絶え間なく吹き続けていた。

 そこでわたしの意識は途絶えた。

 なのに今まで感じていたわたしの世界の全てであった小部屋の中で感じていた生きたい。

 そして死にたくない――その想いは外に出た瞬間から不思議と消失していたのだった。


 次に目覚めたときわたしの視界には見知らぬ天井が映っていた。

 ソコはアーシュライト家が管理している領土の中にある町に存在していた冒険者ギルドの中だということを後から知ることになる。

 見たことのない男がわたしの視界に入ってくる。そして、わたしに対し言葉を投げかけているようであった。

 けれどもわたしはその言葉を理解できなかった。わたしが無言のままでいるとその男は一度部屋から出るとその手に何かを持ってきたことに気付く。

 それは食べ物であった。湯気が立つほどの温かいスープと今まで味わったことのない柔らかいパンの匂いを嗅いでしまったわたしは何かを語りかけてくる男の手からそれらを奪い取ると無我夢中で食べ続けた。

 初めて感じる美味しいという感覚。わたしはまた死ななかったのだ。心の中から何かが湧き出る感覚を感じる。普通であればその感覚の後は泣き叫んでいたであろう。けれど、私は声すら出すことが出来なかった。涙も流れなかった。

 その様子を見た男は何かに気付いたのだろうか、黙って私がいた部屋から出て行ったのだった。


 それからというもののわたしの生活は一変することになった。

 男はギルドの支部長だった。

 わたしはその男から勉学を習うこととなった。変わりにわたしは男から指示されて色々な仕事を行うようにもなった。

 男の好意は慈善事業ではなかったのだ。だけど、わたしはそんなことどうでもよかった。

 今でもその男の好意には感謝すらしている。わたしに言葉を教えてくれた人。わたしに世界の理を教えてくれた人。

 そして、わたしは知ることになる。わたしの生まれ育ったアーシュライト家は魔物の襲撃により没落。一夜で屋敷は血に塗れ滅び去っていたのだ。

 わたしは運が良かったのだ。屋敷から離れた普段目につくことのない石造りの小さな小部屋には魔物が寄り付かなかったのだ。

 そして、わたしが外に出た時と同時にギルドから派遣された冒険者とわたしを助けてくれた支部長である男が屋敷の調査に来ていたのだ。


 わたしには名前がなかった。最初は男が名付けようか提案をしてきていた。けれど、その提案を受けた時、わたしの中に一つの名前が浮かんできた。


 ――リィナ。


 その名を誰がつけてくれたのかはっきりと分からない。けれどわたしは男にその名を告げることにしたのだ。

 その後はわたしはリィナ=アーシュライトと名乗ることになった。アーシュライト――没落した貴族の名。

 男から本当にその名を名乗るのかと聞かれたのだが、わたしは悩むことなく頷いたのだった。


 わたしは他人を信頼することはなかった。

 命の恩人でもあり、知識をくれた人物でもあるギルド支部長でもある男には感謝はしている。

 けれど、それは等価交換と同じでわたしはその分男から指示される仕事をこなしていったのだ。

 最初は掃除や買い物等からギルド内の案内等様々。それは数年続くことになる。


 とある事件が起こるまでは。


 わたしはその事件を境に宝煌神剣第四階位≪風翠≫の使い手となった。

 そして、わたしはその日を境に冒険者業へと進むことにしたのだ。

 けれど冒険者になってからもわたしは常に一人だった。何時からか≪風姫≫としてエルージャ公国内に知れ渡るようになっても、誰にも頼らず常にわたしは一人で生きた。

 わたしにとってはそれが普通。それが全て。それは今後も続くものだと思っていたのだ。


 地揺れにより現れたという遺跡の調査の為に出向いていたラクシア村。わたしがその人を見つけたのは本当に偶然だった。

 今まで何度か感じた同族の匂い。けれど、初めて感じる優しい匂いでもあった。

 わたしは無意識にその人を追いかけていた。わたしの持つ≪風翠≫も黒髪の少年に共鳴していたのだ。

 不思議な感覚がわたしの心を襲っていた。だから、わたしはラクシア村周辺の微精霊がいなくなった瞬間、匂いを辿って少年の元へと走ったのだった。

 そして同じ神剣使いでもあり上位階位の男――アシュベルがその人を襲っていたとき、わたしは助けに入る。

 ≪紅滅≫の二つ名を持つアシュベルはわたしが≪風姫≫であることを知ると何故かすぐに離脱してくれたのだった。


 その後は怪我をしていた少年≪セツナ≫を村の外へと運び、その後の流れで遺跡へと向かうことになった。

 わたしはセツナと話す度、行動をする度にラクシア村で感じた不思議な感情がどんどん大きくなるのを感じたのだ。

 それと同時にわたしはセツナに対し、喜び、怒り、悲しみ、楽しみという感情を次々と表すことになった。それは今までのわたしには考えられないことだったのだ。

 頼りになりそうなお兄さん。けれど実際は危なげな部分もいっぱいあった。

 そんな不思議な想いはセツナが神剣に目覚めた時、わたしの中は満ち溢れたのだ。

 氷の古代魔法により≪悠久の調≫の二人を死の淵から救った人。闇より深い漆黒の刀で≪紅滅≫を退けた人。そして――ヴァイスシュヴァルツの騎士隊長が瘴気に飲まれた獣と成り果てた存在を一刀の元に吹き飛ばした人……

 わたしの中でセツナという存在が満ち溢れていたのだ。けれど、わたしはその想いに戸惑いを覚えてしまっていた。

 それがラクシア村へと戻る最中にもどんどん膨れ上がっていった。


 わたしはずっと一人で生きてきた。今まで感じたことのない想い。この胸を締め付け、痛む程に切ない想いは何なの?


 どれだけ考えても答えは出てこない。何故かわたしはその気持ちに恐怖を覚えてしまった。

 だからなのか、わたしは逃げ出してしまったのだ。セツナから――わたしの気持ちから……


 わたしはセツナを村の外へと運んだ場所に無意識に足を運び座り込んでいた。

 彼は何なんだろうか。私の知る限り宝煌神剣に目覚めた人物はその身に一つしか宿さないはずだ。

 宝煌神剣とは私の中に宿る≪風翠≫が教えてくれたが過去に精霊と契約し、精霊の力をその身に纏わせて人間からその存在を一段階昇華し王へとなった者達がその身を滅ぼした者達がその魂の形を神剣という存在で顕したモノだ。

 わたしはそれを疑わなかったし、信じ続けていた。

 けれど、セツナという存在はわたしの固定概念を全て崩し去ってしまったのだ。

 彼といるとわたしの存在が全て塗り替えられてしまう――わたしはそのことが怖かったのだ。


 なのに、セツナはまた私の元に現れた。

 そして不躾に私の心へと土足で踏み込んできたのだ。

 なんて失礼な人だろう。わたしは当然の様に反発した。それは徐々に自分の想いをぶつける形で――

 わたしは自分でもこんなに大声で想いをぶつけることができるんだと自分でも驚いた。わたしは一人でいるべきなんだ。なのにセツナ……貴方は何なの?

 けれど、わたしは思い知らされた。セツナの何気ない言葉。それはわたしが今まで誰からも言ってもらえなかった言葉。


 わたしの中で頑なに拒んでいた壁が音を立てて崩れていく。

 それと同時にどれほどぶりだろうか……わたしの視界が歪んだのだ。わたしの気持ちに呼応するかのように涙が溢れてくる。

 そして――セツナが何度も言ってくれた『一人じゃない』という言葉にわたしはとうとう大声で泣いてしまったのだ。


 でも、わたしはそのことに後悔なんてしない。恥だなんて思わない。

 だって、わたしはその時にようやく気付くことが出来たんだ。

 わたしを見てくれた人のことを好きになっていたということに。


 これまでがわたしの物語の序章。

 そしてこれからがわたしの本当の物語が始まる。


 今までただ生きるという望み以外にできた想い。

 それは本来のわたしがずっと夢見たかった望み。

 そのことに気付かせてくれたセツナにわたし――リィナ=アーシュライトはもう一人じゃないと気づかせてくれたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る