第15話 -またしても僕≪俺≫は――-

 許せない―――


 血に塗れて倒れこむアリシアとユーシア。何でこんなことになっているんだ……。


 赦セナイ―――!


 駆ける僕≪俺≫の視界が赤く染まっていく。アリシア≪アーリャ≫が何故倒れているんだ!!


 ユルセナイ―――!!


 僕の中にいるナニカが叫ぶ。それは僕の憎しみだったのか。それとも――


 心の奥底に眠るモノが静かに鼓動し始めるのを感じる。

 ソレは漆黒の刀だった。闇より暗い漆黒に塗れた刀――ソレが呼びかけてくる。憎シミノママ解キ放テ――と。

 このまま解き放えば楽になれるのか、全てを終わらすことが出来るのか。僕≪俺≫はもう二度と彼女を失いたくないんだ――。

 彼女がいない世界なんて滅んでしまえ。これを手にすれば全てを無かったことにできる。神にもなれる神をも殺せるその力。僕はソレへと手を伸ばそうとした。

 だがその時、誰かが僕の行動を遮ってきたのを感じたのだ。誰だ――僕の邪魔をするモノは―――!!


『ダメだよ……ソレを憎悪の心で掴んではダメ!!』


 徐々にその人物が鮮明に形作られていく。僕≪俺≫はその人物のことを知っていた。え……だって……何で君がそこにいるんだ。

 目の前に現れた人物。ソレは白縹色に近い銀髪の少女だった。僕≪俺≫が生涯を賭して愛した少女。僕が愛した――?だってその人物はアリシアではなく―――


「……ダメッ!!飲み込まれないで……お願い……落ち着いて――刹那!!」


「あ………」


 視界がクリアになっていく。僕は………。

 腰元に小さな手が見える。震えるとても小さな手。後ろからリィナが必死にしがみついていたのだ。

 彼女のおかげ……なのか。崩れ伏したアリシアを見た時、一瞬自分が自分でなくなった様な感覚だった。何だったんだ今のは……。


「ハッ。このまま突っ込んできていれば楽に死んでたものを。邪魔しやがったな――≪風姫≫」


「…………」


 アッシュが剣をこちらへと向けながら笑みを浮かべる。だがその視線は僕ではなく僕の後ろの少女へと向けられていたものだった。

 僕の腰から手が離れる。リィナは僕の左手を握りながらアッシュへと対峙していた。


「……何故貴方がここにいるの≪紅滅≫」


「あ?いちゃ悪ぃのかよ。そもそもこの遺跡の調査を指示したのは俺なんだぜ?その後始末に来て何が悪いっていうんだ?」


「後始末……だと――」


 僕の頭へとまた血が昇ってくる。目の前の男は今何と言った。アリシアをその赤い剣で貫いた行為がまさか後始末だったとでも言うのか!?

 許せない、許せない許せない――!

 だが、僕の心がまた憎悪へと包まれようとしたときリィナに握られた左手に何か別の感触があるのを感じたのだ。

 それはリィナがいつも身に着けているポーチであった。何でそれを僕に……。


「……お願い落ち着いて。あの男の挑発に乗ってはダメ。……わたしが暫くあの男の注意を引き付ける。だからセツナはその間に二人を――」


 リィナが小さな声で語りかけてくる。そして同時に左手から温もりが消えていく。手を放したリィナは今にも倒れそうな身体を無理に踏ん張りながらその手に彼女の想いを呼び出すのであった。


「……来て。≪風翠≫」


「………へぇ。微風程度の神剣で俺と戦り合うっていうのか?情が移りでもしたのかよ≪風姫≫」


「…………」


 リィナはそれ以上喋らなかった。

 何で彼女はこんなに頑張ってくれるんだ。僕以上に精神の使い過ぎでボロボロになっているはずなのにリィナはそんなことを微塵も出さずにアッシュへと対峙していたのだ。

 この場にいるだれよりも小さな女の子。未だ分からないことも多いけれど……僕は信じたかった。

 そんな彼女は僕の想いに気付いたのかこちらを見て優しい表情で口だけを動かしたのだ。


 ……安心して。わたしは貴方の相棒だから――


 僕の中から負の感情が消えていくのを感じた。――リィナの言葉に甘えよう。今の僕じゃアッシュには勝てない。それはあの夜宿で襲われたときに痛感したことでもあった。

 だからこそ、一刻も早くアリシア達を助けて僕もリィナと一緒にアッシュを退ける必要があるんだ。

 だから――それまで負けないでくれ相棒……!


「……んっ!」


 隣にいたリィナが掻き消えた。それは疲れなど微塵にも見せない速度であった。瞬時にアッシュの元へと移動し、槍を突きいれる姿が見える。

 今だ――リィナがアッシュを引き付けている間にアリシア達を助けるべく僕は走り出す!


「ハッ。そんな見え見えな攻撃が喰らうと思ってんのか」


「……あまりわたしを舐めるなっ!」


 リィナとアッシュの戦闘が始まった。リィナがうまくアッシュをアリシア達から引き離してくれる。いや、アッシュがリィナの挑発に乗ってくれたのか……でもそんなことは今はどうでもいいんだ。ようやく……ようやくアリシアの元へと辿り着くことが出来た。


「アリシア……ユーシア!!二人ともしっかりしてくれ!!」


「…はぁ………はぁ……」


 僕は血だまりに倒れたままのアリシアへと駆け寄り、その肩を抱き寄せ必死に揺さぶった。だが、アリシアは険しい表情のまま荒い吐息を吐き続けていた。意識を失っている……アリシアの白い肌が血の気を失うかのように徐々に青白くなっていく。

 彼女の命が僕の手から零れていく……そうだ……リィナからポーチを預かっていたんだ。青くて丸い小さなポーチ。見た目からは想像できないほど多量な道具が収められているソレに手を伸ばす。だけど、手が震えてうまく薬を取り出すことが出来ない……急がないといけないのに何で何で――!!


「ぐっ……落ち付……け、セツナ……」


「ユー…シア……?」


 僕の左手に血まみれの手が伸ばされていた。うつ伏せになったまま這ってきたユーシアが苦痛の表情のまま僕の左手を掴んでいたのだ。


「すまねぇ。俺たちが不甲斐ないばかりにお前には迷惑をかけてばかりだ……俺の事はいい……だから落ち着け。お前なら出来る。だから頼む……妹を助けてくれ――」


「な、何で……」


 ユーシアが泣きそうな表情で僕に懇願してくる。迷惑をかけているのは僕じゃないか……何が俺の事はいいだ……妹を助けてくれだ。嫌だ……絶対に二人とも助けてやる!!

 僕は左手でポーチの中を急いで探った。その中で一つの小瓶に手が当たるのを感じる。それは僕が何度も見た緑色の液体が入った小瓶だった。これで助かる!!

 僕は急いで蓋を開けてて抱き寄せたアリシアの口元へと小瓶を傾けて飲ませようと試みる。だが意識を失ったままのリィナは当然飲む気配を見せなかったのだ。だけど、どうすればいいんだ……刻一刻とアリシアの命の灯火が失われていくのに……!


 その時僕の脳裏に一つの出来事が浮かび上がった。瘴気化キマイラドラゴンに吹き飛ばされたときにリィナが行ってくれたこと。ユーシア……傷が治ったら僕の事を死ぬほど殴っていい。だから――!

 僕は手に持った回復薬を自分の口に含む。そしてそのまま荒い吐息を続けるアリシアの口元へと近づき僕は口に含んだ薬をアリシアへと流し込んだのだ。

 後から恨んでくれて構わない。だから頼む戻ってきてくれ――!!!


「んっ…………」


 無理やり流し込まれた薬を飲み込んでいく振動が僕に伝わってくる。そして薬の効果が表れたのかアリシアの身体が一度痙攣したのだ。そして、


「けほっ……はぁ………はぁ………ぁ………」


 閉じられた瞼がゆっくりと開かれていく。アリシアの意識が戻った、戻ったんだ……!だが、何かおかしい……アリシアの瞳の焦点が合っていないように見える。何で――薬が効いたんじゃないのか!?


「アリシア……目が覚めたのか!?」


「セツ……ナ…さん?…はぁ……はぁ……ゲホッ――!!!」


「え………」


 僕の顔に温かい液体がかかる。何で……何でまだアリシアはまだ血を吐いているんだ。意識が戻ったアリシアの顔色が已然青白いまま吐息が荒かった。

 彼女を抱く力が強まる。そうしないと今すぐにでもアリシアがいなくなる気がしたのだ。薬が足りなかったのか!?なら、もっと飲ませないと……!


「アリシア!!待っていろ今薬を飲ませるから――!」


 僕は急いで薬を取り出すためにポーチへと手を伸ばす。だが、その時前方でリィナと戦っていたアッシュが立ち止まり急に笑い出したのだ。


「くっ、ハハ……ハハハハハハハハハ!!!」


「……何がそんなに可笑しいの」


 僕が言いたいことを代弁してリィナが答えてくれる。アッシュは腹を押さえながら笑いこけていた。そして、暫く笑い続けた後リィナを無視し僕の方へ嫌な笑みを浮かべたまま喋り出したのだ。それは僕にとって信じたくない言葉だった。


「あー……おもしれぇ。なぁ、セツナ。お前が抱いているその女な、助からねぇよ――この魔剣が与えた傷は決して治らなねぇんだよ」


「…………え」


 アッシュが言った言葉が理解できなかった。この男は今何と言った。魔剣――アッシュが持つ赤い無骨な剣。ソレが与えた傷が治らない……そんな馬鹿なことがあり得るのか――!?

 信じるものか!!僕は再度ポーチから小瓶を探しだす。感触的に最後の小瓶だった。精神を回復する青い液体ではなく治癒力を高める緑色の液体。僕はアッシュの言葉を無視してその薬を意識が朦朧としているアリシアへと飲ませるために近づけた。

 だけど、その手をアリシアが震える手で拒んできたのだ。


「アリシア?何で……頼む薬を飲んで元気になってくれよ!!」


「……はぁ………はぁ…。ごめん…ね。私の身体のことは私が一番分かるの。……あの人の言っていることは本当…みたい。あはは……身体に力が入らないんだよ……」


「何……で……」


 ならアリシアは――ユーシアはどうなるんだ!?アリシアの両手が僕の顔を包むのを感じた。

 それはデジャヴのようで……僕が見た夢の出来事と一緒だったんだ……。僕≪俺≫のナカでまた大事な物が崩れていく……

 僕の瞼から涙が零れていく。それは僕の意志とは関係なしに止まることなく流れ続けていた。


「ごめん……ね。私の為に泣いてくれて。セツナさん――貴方が私たちのチームに入ると言ってくれた時とても嬉しかったよ。これから一緒にたくさんの冒険ができると思っていた……でも、その願いは叶わなかったみたい……」


「…………ぁ……ぁぁ………」


 アリシアの美しい白縹色の銀髪が血に塗れていた。アリシアとアーリャの姿が重なる。もう嫌だ――何でこんなことになるんだ。

 僕≪俺≫はもう二度と失わない為に強くなろうとしたんじゃないのか――!!なのにまた僕の元からいなくなるというのか!!


「お願いだ……死なないでくれ……僕はまだ何も君に伝えきれていないんだ!!」


 アリシアをより強く抱きしめ僕は嘆願していた。

 だけど、アリシアの顔色は刻一刻と悪くなり、精気が無くなるかのように白い肌がより一層白さを際立たせている様だった。それはあの時の夢で見たアーリャと同じように――

 そしてあの時と同じく――それでもアリシアは笑顔を絶やさずに微笑み続ける。


「ゲホッ……ごめんね……もう時間が残っていないみたいなの……私のことはもう忘れて。……セツナさんなら……ゲホッ…!!」


「アリシア!!」


 お願いだ……僕≪俺≫の出来ることなら何でもする!だから彼女をもう僕≪俺≫から奪わないでくれ!!

 僕の、そしてラグザの祈りが重なる。そうラグザだ……。僕の意識が先ほどからラグザと一緒になっていた。アリシアとアーリャの面影が重なる。だから、これ以上彼女を失いたくないんだ――!!


 ――パキィィィィン!!!


 その時――僕の祈りが届いたのか、世界の境界が崩れる音を確かに聞いたのだ。そして、僕は驚愕することになる。


 な――……!?


 世界がセピア色へと変化し出す光景を目の当たりにする。そして、僕以外の全ての時が止まっていることに気付いたのだ。いや――僕自身も止まっている。身体もそして目も動かすことが出来ない。

 目の前で苦しそうに吐血するアリシアが固まっている。


 何が起きたんだ……――え?

 後ろに誰かがいる……

 先ほどまで感じなかった存在が僕の後ろにいることに気づいたのだ。


 だが、僕はその人を知っていた。俺はその人物のことを世界中の誰よりも知っていた。

 僕の憎悪を止めてくれた存在。俺が生涯愛し続けた存在。

 目の前で抱き続けるアリシアと瓜二つの少女。後ろを向くことは出来なかったが、僕≪俺≫はその存在を間違うわけがなかったんだ。


『アーリャ……なのか?』


『あはは。一瞬でばれちゃったね』


 その声は紛れもなく僕の知るアリシアの、そして俺の知る恋人のアーリャの声だったのだ――。

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