第19話 親切の押し売り

 あれから、毎朝、先生に持ち物チェックされたよ。カッターナイフを持って行くことはできなくなったから、色鉛筆は先生が削ってくれていた。先生は不器用で、じいちゃんのように上手には削れなかったけれど、オレだけのために削ってくれた。嬉しかった。

 それなのに、どうしてか……いつの間にか、片平が削るようになっていた。先生に頼まれたのかもしれないし、そうでないかもしれないけど、教室の隅に置いてある電動の鉛筆削りで、片平が削るようになっていたんだ。

 片平は男子と取っ組み合いのケンカをするくらい強くて、クラスのお母さんのような存在だった。お世話焼きで、鬱陶しい。

 だってねえ、鉛筆削りだけじゃなかったもん。片平のやつ、授業や給食の準備まで、手伝ってくれなんて言ってもいないのに、勝手にやってしまうんだ。オレは何もすることが無くて、つまんなくて……。

 それでいて、感謝しろと言うんだよ。あんなのは親切じゃないでしょ。優等生を気取っているだけだ。周りに賛美されたいだけなのに、どうして「ありがとう」なんて言える? だけど、親切の押し売りは拒んだ方が悪になるんだよ……。チャチャが、そう教えてくれたんだ。

 だから、オレは片平のことは放っておいて、コバンくんの世話をするんだ。あの子、黙って座っているだけだったからね。

 チャチャと片平は、似ていたけど違っていたよ。上手く言えないけどね。同じようにケンカはするのに、チャチャとするケンカは面白かったから。オレが滅茶苦茶な奴だってことをよく解っているくせにさ。

 ああ……痒いな……痒い……我慢できないよ。

 いつもチャチャに怒られるんだ、「あちこち掻き毟るな」って。オレ、駄目なんだ、我慢がきかなくて……やっちゃいけない、って言われた事をやってしまうんだ。気になり始めたら、どうしても治まらない。

 例えば、「押しちゃ駄目」って言われたボタンを押したくなったり……ほら、消防の非常ボタン。あれなんか、オレには「押してくれ」って言われているように聞こえる。いいや、実際に「押せ」って言われたんだ。小学校の……靴箱のすぐ横にあって、偶々眼に入ったボタンを「押せ、押せ」って言ったんだよな。

 誰が? オレだよ。

 ほら、ここさ。耳の上辺り。ここに、もうひとりオレが住んでいるんだ。そいつが、「押せ」って言ったんだ。だから、オレは押したんだ、思いっきりね。

 困る、困るよ……。

 頭の中の自分が、やってはいけない事を命令するんだ。命令に従わないと胸の奥がもぞもぞじわじわと痒くなる。血管の中を蛆虫が湧いて流れていくように、痒くて、痛くて、苦しい。

 だから、何の理由も無いのに、眼の前に居る奴の頭を叩いた。「叩け、叩け」ってオレが言う。それで、友達をいっぱい泣かせた。本当は、そんな事したくなかったのに……判っていたから……いけない事だって、判っていたから。でも、止められないんだ。

 痒い、痒いな、手の甲が痒いな。血が出てきちゃったよ。軟膏と、間質液と、血液の混じった臭い汁が出てきた。こうなる事は判っているんだけどね……。

 友達を泣かせた時は、いつもチャチャが殴られに来るんだよ。殴られに来るなんておかしいよね。そんなのはチャチャだけだ。別の奴を殴ったのに、わざわざやって来て、ケンカを止めながら殴られている。

 チャチャはオレに殴られても、他の奴らみたいに泣かないし、殴られっ放しじゃないんだ。必ず、殴り返してくる。だから、オレも、遠慮なく殴れるんだ。

 それにね、不思議なことに、チャチャと掴み合いをしたり、黒板消しの投げっこをしている間は、声が聞こえなくなるんだよ。だから、とても助かった。君には聞こえたりしないんだろ? そんな声。

 誰に訊いてもそうさ。それがだってことは知っているよ。どうせオレだけ……オレだけに聞こえるんだよ。

 じいちゃんやばあちゃんは、「気のせい」って言う。友達に何か言われただけで、カッとなるのがいけないって言う。こんなに苦しいのに……。解ってもらえなかったのは、オレがきちんと説明できなかったからなんだけどさあ。

 ……ああ、ほら、見てよ、チャチャだよ。窓ガラスを何度もノックしているのに気づかないね。ほら、ここだよ。ああ、やっと、こっちを見てくれた。窓の向こう側を歩くチャチャが、窓ガラスを挟んで、オレと拳を合わせてくれる。

 持ち手の付いたビニール袋が重たそうだね。あれは、洗濯物だよ。どこに干すつもりなんだろうね。

 ぶらんこに荷物を置いて、取り出したのは、さっきまでオレが着ていたTシャツだね。力いっぱい絞った後で、風に打ち付けながら広げているよ。そう、そう、そこはいい干し場だ。並んで遊べるように作られた、子供用の低い鉄棒が三つ。

 ねえ、チャチャは洗濯物を全部裏返して干すだろう? あれはね、コバンくんの真似なんだよ。コバンくんが小さい頃、ショートパンツの中に潜んでいた蜂に、脚を刺されたことがあったらしいから。コバンくんのお母さんが、洗濯物を取り込んで畳む時に、ひっくり返すから安全だって言ったんだって。虫がついているのが分かるでしょ、って。

 それにね、ほら、靴下は履き口を上にして干すんだよ。水は高い所から低い所に流れていくから、洗濯物も上から乾いていくんだってさ。つま先を上にして干すとゴムが延びてしまうんだって。

 ……ああ……君は、洗濯物の干し方よりも、話の続きが聞きたいんだね。オレの頭の中から聞こえる声が、やってはいけない事を命令する話の続きが……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る