第9話 はごろも
レオを理解することは難しいよ。少し解った気でいると、とんでもないことになるから。とんでもないこと、っていうのはね……。
ある朝の出来事だ。その日は朝礼があるから、チャイムが鳴るまで、みんな校庭で遊んでいたんだよ。
学校で一番人気があった遊具は〝はごろも〟だった。君は知っているかな。〝はごろも〟というのは、天女が着ていたって昔話に書いてある、鳥の羽根で織られた着物の名前だよ。それをイメージして造られた遊具さ。まるで一枚の布が波打つように、曲線で出来た大きなオブジェにも見える遊具なんだ。
子供がふたり手を繋いだくらい大きな穴や、やっとひとりが通り抜けられそうな小さな穴が何か所か開いていて、滑り台のように滑り降りたり、落ちないように穴の周りを何周走れるか競争したりと、色々な遊びができたんだ。
上手く想像できたかい? 滑り台の付いたジャングルジムをくにゃくにゃと頭の中で歪めてしまったかな。
でもね、〝はごろも〟の天辺は思っているほど高くはなかった。俺は〝はごろも〟の頂上に座って、いつも校庭の対角線上にあるジャングルジムを眺めていたのさ。あっちの方が高そうだなあって。
〝はごろも〟のせいで、朝礼台から一番遠いジャングルジムの人気はそれほどでもなかったけれど、レオはいつも、低学年を押し退けて腰を屈めると、するする登っていたっけな。そして、一番上まで登ると、必ず端っこに立って、両手を大きく広げていたのさ。
ほら、何だっけ……タイタニックだよ。あの映画のヒロインが舳先でやっていたように、両手を広げて胸を前に突き出した恰好で立つんだ。それをぼけっと眺めながらジャングルジムの舳先に立つレオの方が、俺より高い所にいるな、と思っていたものさ。
チャイムが鳴り始めた途端、みんなは朝礼台に向かって一斉に走り出したけれど、レオはまったく気にする様子ではなかった。そのまま朝礼に出ないつもりなのかと思っていたら、レオはチャイムが鳴り終わる前に…………飛んだのさ。
モモンガのように体を広げて、木の枝から飛び移るように……ああ、そうじゃなけりゃあ、そうだ、プールの飛び込み台から水の中に飛び込むように、ちょっと膝を曲げて勢いをつけて……突き出した胸をそのまま前に傾けて……。
何を見たのか、一瞬、解らなかった。レオが、何をしたのかが、解らなかった。しばらくの間、俺は、はごろもの天辺で立ち竦んでいたと思う。
どこの学校や公園でも大体そうだと思うけど、ジャングルジムの下には子供が怪我をしないようにと、砂場が設置されていた。そこには、偶々砂遊びをしていた低学年の男の子がいて、レオは、その子の頭に腹を打ち付けるように落ちたんだ。水泳の飛び込みで失敗したみたいにね。
遠くから見ただけでは大した事故には思えなかったのに、立ち上がるのを待っていても、ふたりとも砂場に寝転んだままだった。だから俺は、他の児童とは逆の方向に走り出したんだ。朝礼台とは逆の方向に。
砂場では、小さな男の子が崩れた砂山に突っ伏して、大声で泣いていた。その横で、体の左半分を砂に埋めたレオが、眼を開けたまま気絶していた。要するに、放心状態だ。
「何をやってんだ」と俺が訊いたら、「鳥になれなかった」とレオは応えたよ。
ジャングルジムの在る所は学校の一番北側で、高いブロック塀を境に、民家と隣接していたんだ。民家の庭には、目隠しなのか、壁のように何本かの樹が並んでいて、そのひとつにはいつも大量の雀が留まっていたんだよ。
いつ近寄ってもチュンチュン、チュンチュンうるさくてね。こういうのが雀のお宿って言うのかな、なんて思っていたっけな。時々、一斉に飛び立つことがあったけれど、羽ばたく音が、またでっかくて、何度か驚かされたよ。
……レオは……こいつは、飛び立つ雀を見ていたんじゃないかな。飛んだ理由を話してはくれなかったけれど……いいや違う……話すことができなかったんだ。
ただ、レオは、飛べると思っていた。飛べると信じていたわけじゃなくて、疑ってもみなかったんだろう。あたりまえのように、息を吐くように、自分は飛べると思っていたんだろう。……鳥と同じように……鳥にはなれなかったけれど……。
いつまで経っても起き上がらないから先生を呼びにいった。なのに、なぜか、俺が突き飛ばしたと疑われた。ああ、酷いもんだよ。
おっと、急に大声を出して、レオを起こしてしまったかな。眼を閉じて寝息をたてているな。鼻の下に点々と汗の玉が浮かんでいる。今日は暑いね。肩まで掛けたダウンケットを少し剥いでやろう。
俺もジャケットを脱がせてもらうよ。ジャケットの下のスウェットシャツは相当着古しているのだけどね。ボロで恥ずかしいよ。左の脇腹に、大きな赤茶色のシミも付いているしね……。
ああそうさ。君が言うとおり、俺がレオを突き落したと疑われたのさ。小さな男の子は、突然頭から人が降ってきたものだから、何が起こったか解らなかったようだし……そりゃあね、俺とレオは、しょっちゅうケンカをしていたから……。
病院に運ばれたレオは、左脚の付け根を骨折していた。痛かったんだろう。だけど俺には、体の痛みよりも、心の痛みの方が大きかったように思えた。
レオはあんなだから、何の裏付けも無いのに空を飛ぼうとした。結果、飛べなかった。それが、俺らが想像した以上にショックだったんだよ。
しばらくの間、誰ともくちを利いてくれなかったから、レオのくちから俺の無実が証明されるまで時間がかかった。……いや、本当は、それほどじゃなかったかもしれないな。俺には長い時間に感じたけどね。
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