第8話 小さな猛獣
怒れば子供が言うことをきくなんて、古い考えだ。それは、ただ単に、自分の思い通りに子供たちをコントロールしたいだけなんだよ。
あんなにしつっこく、ヒステリックに、甲高い声でまくしたてられたら、俺たち子供はどうすればいいのさ。うつむいて、じっと黙っていたコバンくんが、とてもかわいそうに思えた。
レオは、それで興奮しちゃったのかもしれない。レオは……いきなり立ち上がったレオは、ばあさんに突進していったんだよ。うおーうおー、と叫び声をあげながら。
だってさあ、ばあさんが怖くて泣いている女の子もいたんだぜ。きっと、レオには鬼か悪魔に見えたんだろうな。
ものすごい勢いで、ばあさんの腹に頭突きを食らわせて……何度も何度も……。そのうち、ばあさんが腹を押さえてぶっ倒れてしまった。そのまま、救急車で病院行きさ。ばあさん先生には悪いけど、気持ちが晴れたのは確かだった。
結局、水着の件は真犯人が判らないままうやむやに終わってしまったよ。だって、俺たちみんな、コバンくんがそんなことをする子だなんて、思っていなかったから。
それにね……俺、見ちゃったんだよ。
片平っていうんだけど……あの子……水着が無いって大騒ぎしていた張本人の女の子。積極的で勉強が得意で、女子のリーダー的な存在だった、あの子を……水着事件当日の朝……見ちゃったんだよ。誰もいない教室で、机の下に潜り込んで、何だか黒っぽい物をハサミでじょきじょきと刻んでいるように見えたんだ。もしかしたら、あれは、自分の水着だったんじゃないのかな。
後悔はした。どうして、それを言わなかったのかって。そうだよなあ、そうすれば、コバンくんが疑われることも、ばあさん先生が救急車で運ばれることも、なかったのかもしれない……どうして俺は、言わなかった んだろうなあ。
コバンくんが疑われるなんて、思ってもみなかったからかもしれない。片平が本当に水着を刻んでいたかどうか、絶対的な自信がなかったからかもしれない。いや……きっと、子供だったからだ。
不満そうな顔をしているね、君。
そうだな、物が失くなったり、何か都合の悪いことがあれば、それをレオに押し付けようとする空気は、なんとなく漂っていたことに間違いはない。だから、片平も、コバンくんとレオの机を間違ってしまったんじゃないかって、今になって思ったりもするんだよ。自作自演なんて、どうしてしようと思ったのか、解りようもないけれど……。
小さい頃って、思っていることを上手く言葉や態度に表すことが出来ないだろう? 本当はちっとも納得していないのに、訴え方を知らないから、結局、大人の言いなりになるのさ。良い子だと思っていた片平にだって、何か言いたいことがあったんだろう。
そら、君だって、小さな頃に思いを伝える術を知っていれば、ここで、こうして、音楽を奏でることをしていなかったんじゃないの?
ああ、わるい。余計なことを言った。
レオもコバンくんも、気持ちを伝えることが特に苦手な子供だったのは確かなことだった。だけど、大人の眼には、ただの我が儘としか映らないんだ。どうにもならないこと、他人には容易いのに出来ない事はあるんだよ。それは仕方ないじゃない。
何でもレオのせいにするのは酷い。そうだよ、君の言うとおりだ。それは、俺にも当てはまる。
だって、俺、レオに振り回されてばかりだったのに、そのうちゲームでもしている気分になっちゃったんだから。例えばさあ、蹴り倒されたプロレスラーが、ぶつかってこいと言わんばかりに、ロープの上から対戦相手が飛び降りて来るのを、リングに寝転がったままで待っているような感じだよ。
取っ組み合いのケンカになっても、いくらでも言い訳ができることを、俺は知っていたから。なに、レオが悪いって言えば、大抵の大人は納得するのさ。だから俺は、レオがケンカを仕掛けてくるのを待ち構えるようになったんだ。
もちろん、今はそんなことはしないよ。少しは大人になったから。そして、あの頃を反省もしている。良い事と悪い事の判断ができなかっただけなんだよ。俺たち、みんなね。俺たちは、教室で、小さな猛獣を飼っていたようなものだったのさ。
ああ、大丈夫だよ。レオは眠ってしまったら、そう簡単に目覚めやしないから。ほらね。息をしているのか、確かめるように顔を近づけても、ちっとも起きそうにないだろう?
猛獣の餌は、ここにある。俺たちの、ここに……いくらでも。ほら、この、みぞおち辺りにさ……。
餌を撒けば、レオは面白いほど自由に動いてくれたんだ。あの頃は、それが悪いことだなんて、誰ひとり思っちゃいなかった。
なぜならば、レオは雷が鳴っただけで、それこそライオンのように吠えていた奴だったからさ。授業中だろうと、かまわずに……教室の窓から、稲妻が走るのを見ながら……。
それを笑うと、うるさい、と言って殴ってくる奴だよ。仕返しのひとつくらい、したくならないか? ちょっと挑発しただけで、レオは殴りかかってくるから、俺がネタを仕込むことはなかったけどね。
わざと怒らせて楽しんでいたことに、変わりはないんだろう。からかうつもりでいても、レオは本気で突っかかってくるんだ。やられれば、こっちだってやり返す。そうして、収拾がつかなくなる。結局、それの繰り返し。けれど、それはそれで楽しかったんだぜ。
それなのに、大きくなると、みんな気づき始めるんだ。何かが、おかしい……って。高学年になると、レオを構うことで、自分が損をしているような気分になってきたんだ。レオを相手にしている自分が、とても幼稚な人間だと、周りの仲間や大人たちに思われているような……。きっと、他のみんなもそうだったと思う。誰もくちには出さないけれどね。
周りが静かになってくると、益々目立つようになった。書道の授業で広げた白い半紙の上に、ぽっとんと滴った墨のように、レオ、という存在が……。
あの当時、まだクラスの半数も持っていない携帯電話を、レオは家族に与えられていてさ。それを授業中にいじっていたら、理科の男性教諭に叱られたことがあってね。もちろん、没収された。
先生は正しかったと思う。悪いのはレオだ。ルールを守らなかったのだから。けれども、レオは、ケータイを没収された途端にキレた。喚いて暴れた。
でも、もう、誰も何も言わないんだよ。冷たい眼で、ああ、またか……。
ただ、こいつ、俺のことだけは殴っていいと思っていたみたいだ。いつも突然、理由もなく殴ってきやがるんだ。「呼んだか?」ってくらいの感覚でさ。
そうだね、遊んで欲しかっただけなんだろう。だって、もう誰も構ってくれないんだから。だから、殴られたら、ちょっとくらいはお返ししたよ。まあ、大事にならない程度にね。
レオが、俺のことを友達だと思っていたと言うのかい? 無理だな。こいつは、そう思ったことがあったかもしれないけれど、俺は無理なんだ。レオと俺は対等じゃない。レオはもっと……俺よりも、もっと……。
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