9杯目
「これ以上ジュンコを問い詰めてもどうにもらならない。彼女は本当に何も知らないんだから。質問は全て私にしてもらう」
驚く程冷静な声が部屋に響く。
「棚卸さん。やっと出て来て頂けたのですね。やはり話し合いは当事者立ち会いでないと始まりませんものね。
あっ、すいません。呼び方も変えなければ失礼ですね。なんとお呼びすれば宜しいですか」
この非現実的な状況でも彼女は全く動じない。いつもの吟嬢だ。
「私は純子(スミコ)そして彼女は純子(ジュンコ)で呼び分けてくれればいい」
「ではスミコさん。どうして今出て来てくれたのですか?」
「ジュンコはあんた達の追求でもう限界に来てたんだよ。私が出てこなければあの子は壊れていたかもしれない。あの子は純粋だからね。
しかし吟さん、よくもまぁヌケヌケとそんな事言えるね。わざとジュンコを追い詰めて私を出てくるように仕向けたくせに」
なんだと?自分は吟嬢を見た。
「スミコさんそれは考え過ぎです。あわよくば出てきてくれたら良いなっていう程度でした。
でも出てきてくれて良かった。貴方の口から事件の全貌をお聞かせ願いませんか?」
2人の会話を皆唖然として聞いていた。棚卸さんの口調が全く変わってしまい、何より雰囲気というか、彼女を包む空気感そのものが変わってしまっている。
それなのに平然と会話出来る吟嬢。やはり普通ではない。
「ふん。なんかあんたの思惑通りで癪に触るけどいいわ。話してあげる。私とジュンコがした事が間違いじゃないって事も含めて。まず私とジュンコの始まりは中学生から。
あの時は私はまだ自由に表に出られなかったから、大人しく裏から眺めているだけだった。ジュンコは本当に素敵な子よ。誰にでも優しく、純真だった。だから悩みも多かった。全てを1人で抱えてしまう。いつも私は彼女が壊れてしまわないか心配だった。何に対しても必要以上に入り込んでしまうの。
しかし学生時代も過ぎていき大分ジュンコも大人な考えを持てるようになっていった。他人と自分の間に一定の壁を作って自分を守れるようになっていった。これなら私は必要ない。このまま裏からずっとジュンコを見守って過ごしていくのも悪くないと思っていた。しかしそうはいかなかった。」
「ニノ蔵氏との契約ですね」
「そう。あの話に乗ったのも、結局は劇団の為。自分の未来の為の保険が欲しかった訳じゃない。ジュンコはそういう子なの。いつもそう、自分より他人の心配ばかり。
日に日に疲弊していくのがわかった。限界だった。あのままならジュンコが犯罪に手を染めていたかも知れない。だから私が出て行くしかなかった。私しか救える人はいなかった。
私が初めて出ていった時のニノ蔵の反応は面白かったわ。今まで従順だった秘書に思いっきり噛みつかれたんだもの。信じられないといった感じね。私ははっきり伝えた。ジュンコにはあんたは似合わない、全く釣り合わないからさっさとこの関係を終わりにしろって。
なのにあのバカ終わらせるどころか私の事を気に入って尚更固執し始めたのよ。ここ迄物怖じせず意見出来る人は珍しいって。変な奴よね。あそこで素直に聞いていれば死なずに済んだのにね」
ここ迄1人中に2つの人格が共存出来るものなのだろうか。完全にスミコがジュンコに抱いてる感情は愛だ。故に融通が効かなくなっている。スミコにしてみれば世界とはジュンコなのだ。ジュンコ以外はどうでもいいのだ。酷く純粋で歪な世界。
「だから私は計画を提案した。あいつのパーティーでサプライズマジックをしないかと。目立ちたがりのニノ蔵のこと、断るわけがなかった。乗り気で話を聞いてきた。その計画と並行して万石の方にも手を打っておいた。万石がジュンコを付き纏っていたのは私は気付いていたから。私はジュンコのフリをして近づいた。あいつは女慣れしていなかったから巻き込むのは楽だった。ジュンコの方から話し掛けられるなんて仕事以外ではなかったものね。舞い上がっていたわ。頼れるのは貴方だけ、真実を話せるのも貴方だけ。たったこれだけで何でもしてくれるだもの。本当に頭空っぽね、笑える。
それからは吟さん、あんたの推理通り。今は比較的自由に出入り出来るから要所要所で私が出て手助けしてた訳。ただ1つ計画にミスがあったのはジュンコがあんたに調査依頼をしたこと。最初はほっとこうかと思ったけど…。あんた危険だわ。かなり早い段階で私の存在に気付いていたでしょ?あんたの前で出るのはこれが初めてよ。なんでわかったの?」
気付いていたのか?いつから?自分は軽く彼女を盗み見る。彼女はグラスに軽く口を付け話し始めた。
「最初に違和感があったのはジュンコさんの話を聞いた時でした。ジュンコさんはその現場にいて見ていた筈なのに話し方が全て曖昧で、人伝に聞いたようだったからです。
それでこの人は何か隠していると思いました。ただ話をいくら聞いても嘘を言っている感じはしない。本当に何も知らない風ですし。ただ絶対何かあると思ってました。そのうちジュンコさんが頻繁に気を失うという事を知り、それが推理の決め手になりました。勿論その段階では確信ではありません。ただ過去の症状、カルテを見るうちに確信に変わりましたけれどね」
「あきれた。そんな前から?あんた普通じゃないわね」
「普通じゃないのはお互い様では?」吟嬢は小首を傾げる。
「あんたムカつく。まぁいいわ。
さあ刑事さんどうします?私を逮捕しますか?無理よね。心神喪失上での殺人幇助なんて聞いたことないものね。それとも私を裁く?私は私を普通の存在として認識してるけど、あんた達の社会ではどう?人権も戸籍すら無い私を裁けるかしら?まぁ常識的に考えて精神病院送りね。そして精神鑑定をして判断を待つ、というのが妥当な所はじゃない?」
「…てめぇ…」中取が睨みを効かせる。
「ふふっ、私なんかが常識的になんて言葉を使うと面白いわね。いったい何に照らし合わせての常識なんだろうね?人間性?社会性、論理性?あんた達の常識はなに?あはは!くだらない!」
「てめえはジュンコを助ける為に色々仕出かしたんだろうが!それがジュンコをベットに絞り付ける結果になっても構わないって言うのか!それがお前の望んだ結末か!それがジュンコの望んだ結末か!」
「……だからあんた達の常識で私達を縛らないでって言ってるでしょ。私はジュンコの心の平安を望んでいるの。それがどんな場所であれジュンコが安らげるなら私は構わない。精神病棟のベットの上。素敵じゃない?誰もジュンコを責め立てないし、煩わしい世間とも距離を置けるし」
「狂ってやがる…」
「スミコさん。貴方そこまで計算しての犯行だったのですね?」吟嬢が問いかける。
「さぁ?どうだろうね。ただ私はこの結末に満足している」
「…わかりました。中取警部、ジュンコさんを連れていきましょう。このままでは主義主張の水掛け論でしかありません。悔しいですが後は司法の判断を仰ぎましょう」
「お前っ!それでいいのか!」
中取警部は吟嬢に詰め寄った。しかし吟嬢はなにも言わずに見つめ返すばかり。ここは任せろと言わんばかりに。
「物分りがいいじゃない酩探酊!ははっ!」
「ただ、最後にスミコさん。貴方の言った通り常識なんてものは人の数だけ存在します。絶対的な物なんて存在し得ません。
でも言うなれば貴方の望んでいる世界とジュンコさんの望んでいる世界が同じという保証は何処にもないのもまた然りです」
「そんな事、ずっと前からジュンコを内から見てるんだ。あの子の事なら全部わかっているし、知っている。あの子は平穏を欲しているんだよ!」
「だからそれも、わかった気になり、知った気になっているだけの可能性もあると云う事がなぜわからないのです?
言い換えれば相手の事がわからないから興味を持ったり、好意を持ったのではないですか?完全にわかりきっている相手ならなんの感情も持たないはずです。なのに貴方はジュンコさんに並々ならぬ関心がある。それは愛と言っても差し支えないほどに。それはジュンコさんの事をもっと知りたかったからなのでは?
更に言うならスミコさん貴方はどうですか?貴方はいつから自分という存在に気が付きました?分かりますか?いつから貴方は貴方になったのですか?わからないはずです。あくまでも主人各はジュンコさんであってスミコさんではない。貴方は自分は自分だと『思っている』に過ぎないのではないですか?そんな自分という存在証明すらあやふやな貴方が、何故他人を完全に理解できると言い切れますか。それは貴方のただの願望でしかないのでは?」
「うるさい!私とジュンコは特別な関係なんだよ!1つの体をたった2人で共有している特別なね!」
「…だからそれも特別だと思っているだけでしょう?確証はありますか?…もう少し言い方を変えましょうか。
『ジュンコさんの中にいるのが貴方だけだと何故言い切れる』のですか?」
「なっ……」
初めてスミコの顔に明らかな動揺が見て取れた。
「その可能性は否定できますか?出来ない筈ですね。貴方の存在を知らないジュンコさんがいるのです。貴方を知らないもう一人が絶対いない道理はないはずですね。なにを持って否定できましょうか。
更に貴方は自分の出自も確信が持てないのですもの。他人の存在の有無なんてわかるはずないし、気にしたことも無いのでは?
さあ、貴方の言う二人の特別性も崩れましたね。これでもジュンコさんの事を完全に理解し、ジュンコさんの望む結果がこれだと言い切れますか?」
「うっ…うるさ…い。お前たちの常識で話をするなと…言っている…」
「残念ながら私は常識で話しているのでは無いのです。
今の私は酩酊状態です。ただの酔っぱらいです。いつの時代も酔っぱらいは常識の外の存在です。酔ってる人に常識を説いた所で暖簾に腕押しです。そして!酔っぱらいは本音しか言いません!真実しか語らないのです!」
吟嬢はスミコを指さし言い切った。
「う…うるさい…」
そう小さく呟いてスミコは気を失った。周りの人達は狐につままれたような顔をしている。状況が飲み込めないのだろう。
「どうしたんじゃ…?終わったのか…?」山田が恐る恐る問いかけた。
「はい。一先ずは大丈夫でしょう。極度のストレスをかけられたのでスミコさんは暫く出ては来ないのではないでしょうか?」
「おい。吟さんよ。あのやり取りはなんだったんだ?」中取問い掛ける
「あれは自己の存在証明といって昔から哲学者や宗教家が至上命題にして来た問です。大変難しい内容なので説明は省きますが、あんな短時間で答えが出る話ではないのです。
スミコさんの場合では更に事は複雑です。不確定な自己を証明しろと言われたのですから。例えるなら幽霊の存在証明と似てますね。無いものを証明するのは難しいに似てますね」
「それがなんでスミコには堪えたんだ?」
「スミコさんは肉体を持たない存在です。だから自己とこの世の中を結びつける術がないんです。
故に上手く隠していましたけど自己という己の存在に不安を抱いていた筈です。そこを突いてストレスを掛けてやれば、と思ったんです」
「結果上手く行った訳か。それにさっき言ったもう一人いるだの、いないだの、あれは本当か?」
「あー、それは嘘です。でまかせです。調子に乗りすぎましたね。反省してます」そう言って舌をチロッと出した。
「よくもまぁあんなスラスラ嘘が言えるもんだ!ろくなもんじゃねーな!でっ、もうスミコは出てこないのか?」
「それはどうかわかりません。一時期かもしれませんし、悪化するかもしれません。余計な事をしたのかもしれません。
だけど…私は許せなかった。自分の意思を勝手に他人に決められる事が…。何事も上手く行かないのが…世の中の常です。努力が必ず報われるとも限りません。…だから自分の意思だけは、自分が決めた意思だけは誰にも曲げられてはいけないのです。だから……スー。スー。」
「おっ、おい吟さん!どーしたんだよ?何いきなり寝てるんだよ!」
自分は時計を見た。
「ジャスト30分です。吟嬢は只今酔いつぶれました。申し訳ありませんがこうなったら吟嬢はテコでも起きません。多分明日のお昼頃に目覚めると思います。ここはお引き取りください」自分は深々と頭を下げた。
「なんともまぁ……」山田は苦笑いをしながら
言った。
「なんてお嬢さんだよ。ここ迄変わった奴は見た事ねーよ。まーいい!粗方話はわかったし、詳しくは万石から聞く。なんかあったらまた俺から連絡する。世話になったな。行くぞ発柴!」
そう言って中取は棚卸、万石を連れ発柴と共に忙しなく出ていった。疲れたな。本心でそう思った。でもこれでやっと明日からは穏やかな平日が待っている。
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