8杯目

 30分後、会議室には吟嬢、自分、棚卸、山田、錦、そして県警から警部補の中取その部下の発柴の2名が立ち会った。万石はまた暴れられると面倒なので椅子に縛られての参加となった。

「皆さん。お集まり頂きありがとうございます」吟嬢は良く通る声で話し始めた。

「これからニノ蔵氏失踪から殺害までの状況を説明をしたいと思います」

「吟さん。貴方には全てわかったというのか?」山田が問いかけた。

「はい。でも断っておきますが、物的証拠は一切ありません。こう考えれば、全てが齟齬無く綺麗に筋が通るという説明だけです。

 その後は刑事さんがそれを元に捜査していただければ済むことなので」そう言いながら中取の方を見た。

「大した自信ですな清水川コーポレーションのお嬢さん。まぁ私共をここ迄出張らせたのだからそうでもないと困るんだがね」中取は皮肉を込めながら返した。

「ええ。中取警部にとても有意義な時間になると思います。捜査の進捗が思わしくないようなので」とニッコリ微笑んだ。こちらも負けていない。

「では早速始めさせて頂きます。ニノ蔵氏のパーティー会場からの失踪から始めましょう。人1人をどうやって誰にも気付かれず会場から連れて行ったのか」

吟嬢はまるで楽しむかの如く周りを見回しながら言った。

「答えは簡単です。自分の足で、自分から出て行ったのです」

「なんじゃと!?」山田が素っ頓狂な声を上げた。

「大人1人を人目に付かず無理矢理連れ出すのはかなり無理があります。暴れもするし、声もあげます。気を失わせたとしても、担いででは目立ち過ぎます。

 でもどうでしょう、本人の協力があれば実現させる可事は可能になるのではないでしょうか。更に協力者がいれば更に事は簡単になる」

「その協力者というのが万石だという訳か」中取が後を引き継いた。

「ええ。その可能性が非常に高いですね。流れ的にはこうだったんじゃないでしょうか。まずニノ蔵氏が控室に入る。控室の扉が押し扉なので扉の影に隠れる。そこに棚卸さんが来て部屋を覗く。そこにいるはずのニノ蔵氏がいない。ここで棚卸さんは軽いパニックに陥ったはずです。

 そこですかさず万石さんがその場に現れ、あたかもしっかり中を調べたふりをしてニノ蔵氏がいなくなったと強調する。その後会場の人々に外も含めて探すように指示したのも万石さんでしたね。そして人目が少なくなった頃を見計らって変装したニノ蔵氏が出てくる」

「変装?誰に?」中取が問い詰める

「錦さんの証言にもありましたが、やたらとヤクザの様な格好をした人が多かったと。その中の1人に変装したのではないかと思います。そうすればサングラスに黒服です。似たような格好の人が他にもいるので上手く紛れられます。それにヤクザ者を誰もジロジロは見ませんものね」

「なるほどな。そうすれば誰にも悟られず出ていける訳か。ビデオにもヤクザしかし映らない」

「はい。たぶんそのヤクザ者の格好をした人達もニノ蔵氏の仕込みのだったのではないでしょうか?

 ただニノ蔵氏がその場からいなくなろうとした理由はわかりません。マジック的なサプライズをしようとしたのか、それとも本当に社会と決別して隠遁生活を望んでいたのか。これは調べれば後々わかってくるでしょう。そして協力を持ち掛けられた万石さんでしたが彼にはニノ蔵氏を怨む動機があります」

「そうだったか。確かに社長は万石に色々としんどい仕事を任せておったからな。恨み辛みもあるだろうて」山田はそう言いながら万石を見た。万石は聞いているのかいないのか、俯いたまま微動だにしない。

「そうです。これは万石さんにとっても又と無いチャンスだったでしょう。ニノ蔵氏がいなくなっても控室から消えたと云う証言が出てくるだけで自分が直接的に容疑をかけらる事はあり得ない。状況は理想的です。

 会場から出たら後は人目のつかない所でニノ蔵氏を拉致、その後監禁するだけです。70歳と45歳、体力的にかなうはずがありません簡単だったと考えられます。ただ…」

 会議室は水を打ったのように静まり返っていた。彼女の言葉の続きを待っているのだ。

「動機はそれだけではありません。山崎君。皆さんに調べた内容を説明して」

「はい。万石さんの経歴を調べさて頂きました。過去に何回か警察にお世話になっているようですね。ただ逮捕までは至ってません。指導、厳重注意などです。原因ですが女性に対する付き纏い嫌がらせ、俗に言うストーカー行為ですね。」

「じゃあもしかして今回のストーカー対象だったのが棚卸君なのか?」

「錦さん。その可能性が高いと思います。その2つの理由から万石さんはニノ蔵氏殺害の凶行に及んだ」と言い切り吟嬢はグラスの中を一口飲んだ。

「それが事件の全貌じゃったか。なんともまあ、身勝手な動機よ。蓋を開けてみればなんてことは無い。

 ほれ刑事さん、早く万石を逮捕して下され」山田が顎で万石の方をしゃくった。

「…いや、駄目だ」中取は否定した。

「どうしてじゃ?吟さんの話しかありえんじゃろ」

「今の推理だと穴が多過ぎる。まずニノ蔵氏失踪の時だが、扉の後ろに隠れるというのが余りにも無理がある。まず確認してもらえばわかるが、扉と壁の隙間から見えてしまう。百歩譲って気付かなかったとしても棚卸さんが部屋の中を探さないという保証は何処にも無い。今回は偶々そうであっただけで、そんな不確定要素が多い状態で実行するとは俺にはとても思えない。

 そして動機の件だ。確かに万石は棚卸さんにストーカー行為をしていたかもしれない。ただ奴は棚卸さんがニノ蔵氏に脅迫を受けていた事は知らないはずじゃないか?この事は二人だけの秘密だった筈だ。となると動機は仕事上の恨みだけとなる。

 これじゃぁ弱い。物的証拠もないのに逮捕は無理だ」

「でも棚卸君と吟さんをさっき襲っただろう?あれが証拠には成りはせんのか?」

「山田さん。あれは確かに犯罪だ。暴行罪、傷害罪になるでしょうな。でもニノ蔵氏殺害の直接の証拠にはならんのです」

「なんと…」

「まあ、探偵と言ってもこんなもんですな。後は私共を警察に任せて待っていて下さい。必ず事件を解決しますから。

 今日の所は万石の傷害容疑で引き上げるとするか」中取は難儀そうに腰を上げると万石に近寄っていった。

「ほら万石。署まで行くぞ」

 その光景をみて皆オロオロするばかりで誰も声を出せずにいた。

      1人覗いて


「中取警部、貴方は警察の方にしては大変優秀でいらっしゃいますね」

「なんだぁー。その口のきき方は?馬鹿にしてんのか?」

「いえいえ。本心で言っているんです。私の推理の弱い部分に気が付かれた事は素直に驚きました。見掛けによらず頭が切れるのですね」

「そうかい。ありがとよ。じゃぁ俺達はお先させてもらうよ」

「私の説明はまだ途中ですよ。最後までお聞きにならなくて大丈夫ですか?」

「なに?」

「私も馬鹿じゃありません。私の推理に穴がある事位わかります。いい線までは行っている。ただ理論としては余りに弱い。決め手となる要因はなにか?何処をどう補強すればいいのか?答えは簡単でした」

「勿体つけるな。はっきり言え」

 吟嬢は微笑んだ。

「協力者がもう1人います。その人を加えれば中取警部が言われた弱い点が綺麗に霧散します」

 その瞬間、万石がハッと顔を上げ吟嬢を睨みつけた。

「なにわからないことを言ってるんだ。ニノ蔵を殺したのは俺だよ!全部あんたの言った通りだよ!ほら、自供しただろ!これでもう十分だろ!警部さん早く俺を捕まえてくれよ!」

「万石!黙ってろ!で、吟さん誰なんだ?そのもう1人協力者は」

 吟嬢は軽く息を吸い込むと彼女を見つめながら言った。


「……棚卸さん。貴方ですね」


「なっ、なんじゃとぉー!」山田は今一度素っ頓狂な声を上げた。

「ぎっ、吟さんをなにを言っているんですか?私にはなんの事だかさっぱりわかりません。悪い冗談はよしてください!」棚卸は今にも泣き出しそうな声で反論した。

「棚卸さん。残念ですが状況が全てを物語っているのです。

 控室のトリックでも貴方が協力者ならドアの隙間から見えようが関係ない。そして中に入って確かめようが、確かめまいがこれも関係ありません。更に2人で会場の人達を誘導すればニノ蔵の脱出も容易になります。

 そして万石さんの件も同じです。貴方から言って、更に相談してしまえば彼は完璧な共犯者になってくれる筈です。彼のストーカー気質な所がここでは利点になりますね。貴方の言うことだけを忠実に聞いてくれる駒として」

「確信はあるのか?」中取が睨む

「あくまでも可能性の問題です。ニノ蔵氏が何かしらの理由で会場から消える必要があったとして最初に協力を頼むのは、まず秘書である棚卸さんではありませんか?そして棚卸さんが万石さんにも協力を仰いだ。流れ的にはこうだったのでないでしょうか。さっき可能性と言いましたが万石さんの態度を見るとほぼ間違いないようですね」視線が万石に集まる。

「やめろぉ……俺達の中に入ってくるな…」

万石は今にも消え入りそうな声で呟いている。そして棚卸は信じられないといった顔で、可哀想なほど震えている。

 しかし中取まだ納得がいっていないようだ。

「吟さん、あんたの説明は実に筋が通っている。万石の動揺っぷりを見ても間違いないだろう。悔しいが文句の付けようがねぇ」

 吟嬢は満足とも悲観とも取れない顔で中取を見つめ返している。

「だが1つだけ納得いかない所がある。棚卸さんの行動だ。あの人は自分からあんたの所に助けを求めに行ったんじゃないのか?なんでそんな事をした?今の説明とまるっきり矛盾するじゃなねぇか。それともなにか?敢えて依頼者になる事で捜査の対象から外れようとしたのか?だったらなんであんたなんだ?

 あんたは曲がりなりにも優秀な探偵で通ってるだろ。事件が解明されたら困るのは棚卸さんだろ。辻褄が合わないんだよ!やっている事か全てちぐはぐなんだよ!」

「中さん落ち着いて下さい」発柴が落ち着かせようと間に入る。それでも中取は興奮しているのか顔が赤くなっている。

「それに棚卸さんのあの怯えた様子を見てみろ。長年刑事をしてりゃわかる。あれは演技じゃあねぇ。本気で怯えてる。まるで何にも知らないって感じだ。そこはどう説明する?」ギロリと吟嬢を睨みつける。

「まず中取警部が納得いかない点は1つではなく2つですね」と言いながらグラスに口を付ける。間違いない。この人をくったような態度は間違いなく飲んでいる。あのグラスの中は水じゃない。

「てめえ、おちょくってんの……!」

「冗談です。すいませんでした。そこに付いての説明ですが…。個人情報も含む大変プライベートな話になります。棚卸さん、よろしいですか?」

「……はい…私にも今の状況は何がなんだかさっぱりわからないんです…だから…お願いします」

「…わかりました。山崎君お願い」

「はい。これも事前に調べさせて頂きました。棚卸さんの病気の履歴ですね。小学生のから中学生のある一時期に通院歴がありました」

「怪我か大病でもしたのか?」山田が興味深そうに聞いてきた。

「いいえ。精神科です」自分は努めて冷静に答えた。

皆の視線が棚卸に注がれた。

「…その頃頻繁に…気を失う事があって…でも…健康状態には何も問題が無くて。精神科の先生には…その…思春期特有のストレスからくる一時的な意識の混濁状態だと…多感な子供には…よくある事だから心配ないって。だから、精神安定剤を貰っていたんです。

 意識をなくす前ってなんとなくわかるんです…その前に飲んでいました…頻繁には服用はしなかったです。薬自体も強くない物だって…聞いてました。先生には大人になる前には良くなるからって、心配しなくていいよって…

 高校に上がる頃にはすっかり落ち着いてきたので…薬に頼る事もなくなったんです…本当です…」話し終わる頃には棚卸は泣いていた。

「棚卸さん、辛い話をさせて申し訳ありませんでした。もう1つ確認させて下さい。御両親やお医者様からは本当にそれだけしか説明されてませんでしたか?」

「…はい…信じて下さい…」

「わかりました。では山崎君その時のカルテの写しをこっちに持ってきて」

「チッ、どーやって持ってきやがった!そりゃもう犯罪だぞ!」中取が声を荒げた。

「すいません、中取警部。ここは目をつぶって下さい。大丈夫です、法は侵してませんので。超法規的措置で譲り受けたのです」

「クソっ!金に物言わせたな!なんて野郎だ!あー、クソ!今この時点で俺も発柴もそのカルテは見ていないし何も聞いていない、いいな!」

「ありがとうございます。ではこのカルテですが…棚卸さん本当にいいんですね?」

棚卸は声も出さずに力無く頷いた。


「ここにはこう書いてあります。解離性同一性障害。俗に言う多重人格です」


場の空気が凍りついた。息をするのも憚れる。心臓の音すら騒音になり得る。そんな雰囲気に包まれていた。しかし、それを破るように彼女は話を続ける。

「誤解しないで頂きたいのですが、解離性同一性障害というのは誰にでもなり得る病気なのです。特に思春期の子供に多く見られます。子供の時に誰しも自分の中に違う自分がいる感覚にあった事があるでしょう?あの感覚が成長と共に消えず一緒に成長してしまい、日常生活に支障をきたす様になったのが解離性同一性障害です。

 症状にもかなり幅があります。軽いものは解離といって意識の短い時間の不連続。重症ともなるともう1つの人格の自我の確立まで。棚卸さんの場合は解離だったのでしょう。だからいたずらに本人には教えず成長と共に消えるのを待ったんだと思われます。そしてその通りに症状は緩和していった。しかし」

「完全に完治してはいなかったのか」中取が尋ねる。

「はい。最悪の形で再発してしまったのだと考えられます。

 解離性同一性障害は強いストレスから自分を守る為の自己防衛から起こる事が多いのです。棚卸さんにとってニノ蔵氏との歪な関係は強烈なストレスだったのでしょう。その為にもう一人の自分が出てきてしまった」

「それが彼女が仕事中に倒れたとか、記憶をなくしたという事で本人には認識されてた訳か。ん?という事は裏の人格が出ている時は…棚卸さんの記憶は?」

「棚卸さんのケースでは記憶は全く共有されていないと思います」

「……だからか!!」

「そう。だからなのです。棚卸さんの犯行の記憶が全くないのはそういった理由からなのです。

 この事件の収まりの悪さは全てここに起因します。本人にしてみれば何一つ嘘などついていないのですから」


 長い長い沈黙が部屋中を満たしていた。皆考えていることは同じだろう。主犯格は誰で、誰が被害者で、誰が誰を守りたかったのだろう。そして社会の基準である法が彼女を裁けるのであろうか。加害者であり、被害者でもある彼女を。


 そんな時、不意に棚卸が立ち上がった。ゆっくりと周りを見回す。さっきまでの泣きはらした顔はそこにはなかった。悲しんでいる?怒っている?全ての感情を混ぜた様な表情。今までと何かが違う。そう感じた次の瞬間


「皆さんはじめまして。もうそろそろジュンコを追い詰めるのは止めにしない?」

 もう1つの人格が顔を出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る