5杯目
棚卸から連絡を受けた時自分はあまり驚かなかった。最悪の結果を想像していたからだろう。思いの外冷静に棚卸の話を聞いていた。それは吟嬢も同じだった様で状況を事細かく聞いていた。
発見者は夜釣りに来ていた男性。死亡状況は肺に水が溜まっていなかった事から、どこか別の場所で殺されてから海に遺棄されたとみて間違いないらしい。
直接の死亡原因だか首に紐らしき物で締められた跡があり、これも絞殺でほぼ決まりだそうだ。死亡推定時刻だかこれが曖昧だ。何しろ死体の損壊酷かったようで、死後3〜5日と開きがある。
「参りましたね。予想していたとはいえ最悪の事態です」
「そうね」
「それに死亡推定時刻にあれだけ開きがあると関係者のアリバイ確認もあまり意味がありませんからね」
「そうね」
「あと疑問なのが今までニノ蔵を生かしといて、何故今になって殺したのかです」
「そうね」
「…聞いてます?そして手に持っているグラスまさか、飲んでます?」
「聞いてるわよ。そして飲んでるわよ。シーバスリーガル18年よ」
「……やけ酒ですか」
「…喧嘩売ってるの?少し位飲んだ方が頭が冴えていいのよ。私くらいになるとね」
「はいはい。でっ、これからどうします。後は警察に任せちゃいますか?私達が受けた依頼は失踪の調査ですから。殺人犯さがしではないはずです」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。最後までやり切るに決まってるじゃない」
「流石吟嬢です」
「ふん。じゃあ早速動くわよ。山崎君はこれを調べておいて。私は棚卸さんにもう一度会ってくるから」彼女は1枚の紙切れを渡してきた。
「…こんな事調べて何になるんですか?」
「つべこべ言わないで。ちゃんと調べてくる。いいわね?」
「了解」
「じゃまた後で連絡入れるわ。私はニノ蔵商事に行くから」
その後吟嬢はニノ蔵商事の空いている会議室で棚卸と会った。余程ショックだったのか棚卸は少しやつれて見えた。
「棚卸さん、痩せられましたね。ちゃんと寝れていますか」
「いえ。最近は寝ては起き寝ては起きを繰り返しています。気が立っているのか熟睡出来なくて」
「気持ちはお察しします。でもニノ蔵氏の為にもこの事件は解決しないといけません。何でも良いんです、私に何か言っていない情報はありませんか?」
「えっ…ありませんけど…」彼女は微かに動揺した。そこを見逃さずに、すかさず畳み掛ける。
「そうですか。では聞き方を変えましょうか。隠し事がありませんか?例えば誰かに言い寄られてたとか」
「なっ、なんでそんな事…」態度を見ればあきらかだった
「あるんですね。棚卸さんはっきり仰って下さい。これ以上の隠し事はお互いの為にはなりません。お願いします」
「……ごめんなさい…」
「相手はニノ蔵氏ですね」
「…はい。でも、なんでわかったのですか」
「全ては情況証拠でしかありません。ニノ蔵氏の性格から考えるにあの人は完全な実力評価主義です。
失礼ですが棚卸さん、貴方の秘書能力はそれに伴っているとは言い難いのです。ニノ蔵の失踪した時、狼狽えるばかりで何も出来なかった事。その後1ヶ月近く何も手を打たなかった事。
貴方は言いました。ニノ蔵は自分が1番仕事が出来ると。だから大事な仕事は殆ど自分が携わる。なのに何故そんな人が有能な秘書を雇わないのか?理由は簡単です。仕事以外を貴方には求めていたからです」
「…返す言葉もありません。その通りです」
「もう一つ。棚卸さん、不必要なまでに貴方がお綺麗だからです。仕事一辺倒な人ではないのは見る人が見ればわかります」と言って吟嬢はニコッと微笑んだ。
「…そんなこと…」
「きつい事ばかり言ってすいませんでした。こうでも言わないと本当の事を喋って頂けないと思って。でもこれで本音で話して頂けますね」
棚卸はぽつりぽつりと、自分の過去を話始めた。
彼女は売れない舞台女優だった。演技も見た目も悪くない。ただ、これと言って特徴も余りなく、鳴かず飛ばずの日々が続いていた。
それが偶々舞台を見に来ていたニノ蔵の目に止まり取引を持ちかけられた。数年間秘書になればその後は舞台に戻って構わない。その時はニノ蔵は棚卸のパトロンになってくれると。
数年舞台から離れるのは痛かったがニノ蔵と云う後ろ盾はかなり魅力的だった。棚卸の劇団は小さく舞台で得る収入など雀の涙程度。劇団を続けるにも、舞台をやるにも金がいる。棚卸には断る理由はなかった。
秘書なってからの仕事は簡単なスケジュール管理だけ。紙とペンさえあれば誰でも出来る仕事である。本当の仕事はニノ蔵の所得欲を満たすこと。歳が歳なだけに体の関係は求められなかったが、どこへ行く時も、何をする時でも棚卸は連れて行かれた。理由はニノ蔵を着飾るためだ。自分はこんな綺麗な女性を連れて歩けるのだと。
毎日無意味な時間だけが過ぎていった。今の自分は等身大の着せ替え人形と何ら変わりはない。今の自分には人形程度の価値しかない。充実感とは程遠い毎日。
数年が過ぎた頃ニノ蔵に伝えた。もう開放してくれと、舞台に戻らせてくれと。しかし、ニノ蔵は首を縦には振らない。今勝手に辞めたら投資の話はなしだと脅された。ニノ蔵の協力が得られなかったらこの数年は本当の無駄になる。何より私を待ってくれている仲間達にどんな顔をして会えるだろうか。
棚卸は1年また1年と引き伸ばされていくうちに自分の女優としての旬が過ぎていくのを感じていた。自分の愚かな判断を呪った。自暴自棄になりニノ蔵を恨んだ。死んでしまえばいいと本気で思った。
「そしてその願いが本当に叶った。それと同時に怖くなった」吟嬢は真っ直ぐ見つめながら言った。
「……はい。その時の私は普通の精神状態ではなかったから。私の知らないうちに何かしたんじゃないかと不安で仕方なかったんです」
「……」
「でも吟さんに全て話してよかった。胸につかえてたものが取れたようにスッキリしましまた。なんかスッキリしたら泣けてきた…」棚卸はボロボロと泣き始めた。
棚卸が泣き始めた瞬間、扉が壊れるのではないかと思う位乱暴に開いた。
「なぁーにぃ泣かしてるんだぁぁーーー!」そこから鬼の様に殺気立つ男が入ってきた。
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