3杯目

「さて、吟嬢今日からですよね。休養もたっぷり取った、天気も最高です。何から手を付けていきましょうか?聞き込み?張り込み?関係者の身辺調査?それとも…」

「……山崎君、うるさい。頭に響く。そんなに急かさないで。やる事はちゃんと頭に入ってるから大丈夫…」

 やはり予想通りに機嫌が悪い。だからといって自分も引くわけにはいかない。これは仕事なのだから。

「流石吟嬢です。私も心配していたんですよよ。今日は二日酔いで仕事にならないじゃないかって。

 だって、昨日飲み始めて30分で酔い潰れて高鼾でしたので。リクエストのパスタも一切食べることなく寝てましたからね。1人で2人分食べるのは大変でしたよ。

 では早速ですが調査開始と行きましょう!やる事が決まっているなら後は順番付けてやるだけてますね!何から始めます?聞き込み?張り込み?関係者の…」

「うるさい…。わざとやってるわね。厭味ったらしい男ね。はいはい!謝りますよ!私が悪かったです。深酒してごめんなさい、料理を食べなくてごめんなさい!」

彼女渋々頭を下げた。

「……あれは深酒とは言いませんけどね。ただ素直に謝ったのには驚きました。その素直さに免じて許しましょう。以後気をつけて下さい。では、働きましょう!」 

そう言って彼女前に水を置いた。


 その後車でニノ蔵商事まで行くことになった。

 ここでその車を説明しておかねばならないだろう。その車というのがイタ車のアルファ・ロメオのジュリエッタだ。それも真っ赤である。これ程尾行に向かない車無いと思うのだが、彼女は社用車としてこれを買ったのだ。余り派手な車はクライアントのウケも良くないと思うのだが。

 ここにも彼女なりの拘りがあると思うのだが、敢えて聞かないでおこう。きっと溜息しか出てこないから。

 話を戻そう。吟嬢は、もっと詳細な情報を手に入れたいようだ。同時に棚卸の話の信憑性を確認する為でもあるらしい。

 自分は昨夜、ニノ蔵商事に付いて出来る限り調べてみた。ここ数年の業績は概ね好調。株価も順調に推移していたらしい。また会社の借金、ニノ蔵氏個人的な借金もなし。なんとも順風満帆な経営である。

 ただし取引相手、下請けからはあまりよく思われていなかった。良くも悪くもワンマン社長のオラオラ経営だったようだ。極端な値引き交渉、ピンはねが相当あったようだ。他の会社から相当恨み辛みの声が聞こえてきた。

 またニノ蔵個人の交友関係もお世辞にもクリーンとは言えない。政界の黒い噂が絶えない人からヤクザ者まで幅広く付き合っていたらしい。

 それに加えて本人の高齢による、跡継ぎ問題。所謂派閥問題があったらしい。ニノ蔵氏は結婚もしていないし勿論子供いない。つまり誰が社長の後釜についてもおかしくない状況らしかった。

 考えるにどの方面から、どんなトラブルに巻き込まれてもおかしくない状況だ。


 調べた内容を吟嬢に話している内に目的地に到着した。流石、大手商社だけあって持ちビルも立派だ。地上20階はゆうに超えてるだろう。

 自分は明らかに場違いな所に行くとき変に緊張してしまう癖がある。そんな時自分の器の小ささを感じてしまい嫌になる。

 そんな自分の悩みなど一切味わった事など無いであろう吟嬢は颯爽とした足取りで玄関を抜け、品のある口調で受付に話をしていた。

「お世話になっております。私○○製鉄㈱の社長秘書を努めさせて頂いてる清水川吟と申します。御社社長ニノ蔵様と弊社○○との定期懇談会の内々の打ち合わせに伺いました。秘書の棚卸さんを呼んでいただきたいのですが」

「少々お待ち下さい。…申し訳ございません。本日その様なアポイントは入っていませんが」と受付嬢

「内々の打ち合わせでしたので正式なアポイントは省かせて頂きました。その代わり棚卸さんとはメールでやり取りしていましたので、私の名前を伝えて頂ければわかると思います」

「承知いたしました。では棚卸と連絡を取りますのでそちらに掛けてお待ち下さい」


よくもまぁ、息を吐くように嘘がスラスラ出てくるものである。感心半分呆れ半分で吟嬢を見ていると

「今回の失踪は一般社員には知らされてないはずよ。知っているのはごく一部だけの筈。バカ正直に伝えて要らぬ騒ぎを起こす必要はないわね。嘘も方便よ」と言って舌をチロッと出した。


 そうこうしてるうちに棚卸が息を弾ませてやってきた。

「吟さん、ビックリしました。まさか直接来てくれるなんて。携帯に連絡でもくれれば外でお会い出来たのに。何か進展でもありましたか?」

「急に伺ってすいません。ニノ蔵商事の方にも話を聞いてみたくて直接伺いました。社長の失踪に付いて知っている方はどれくらいいますか」

「えっと、私を除いて3人ですね。山田常務、錦専務、万石部長です。」

「3人に話を伺うことは可能ですか?」

「はい。事が事なだけに時間を作ってくれるとは思います。近くに丁度良い喫茶店があります。そこで待っていて下さい」

 10分後、棚卸が3人を連れてやって来た。

 

山田との会話


 社長も大分年でしたからね。寄る年波には勝てなかったのでしょうなぁ。最近は愚痴もかなり多かったようですし。やれ腰が痛い、やれ血圧管理が大変とか。なので早く後の者に道を譲ればよかったのですよ。それなのに社長本人はその気は全くないときた。やきもきしてる人は多かったんじゃないかな?

 実は私は今回の失踪をあまり深刻には考えとらんのですよ。世間とのしがらみが嫌になってどこか別荘にでも引きこもってるんじゃないかと思うんですわ。私個人的な考えでは後任に道を開かせたという意味ではこれは良かったんじゃないかと思うときもあるんですよ。勿論元気で生きていると云う大前提ですけどね。

 あの日のことですか?もう大分前なのでしっかり覚えとらんが確かにあの秘書以外あの控室には近寄っていなかったな。秘書が入り口で頻りに探す素振りをするものだから万石が気になって近寄っていったんですよ。そしたら社長が居ないと来た。これは大変だと皆で会場周辺を探そうという事になったんです。最初は何かの余興じゃないかと勘繰って皆真面目には探してなかった様ですけどね。けど探せど探せど全く見つからない。不思議でしたな。控室は四畳半も無い小さな部屋です。あんな所からどうやっていなくなったのか。その後の経過ははあなた達の知っている通りですよ。 


錦との会話

 犯人は絶対に社長個人で付き合いのあるヤクザですよ。私には確信がありますよ。だからあんな奴等とは手を切るべきだと散々私は警告してきたのです。ただ社長は切ろうとはしない。きっと奴らにやましい事でも掴まれていたんでしょう。自業自得ってやつですよ。

 社長には申し訳ないが会社としては早く後釜を決めるべきだと思う。警察にも全てを話してね。じゃないとこのままではいつかはバレる。上手く行くはずがない。薄情だと思われようが仕方ない。口に出さないだけで他の人もそう思っていますよ、きっと。だって私達にも生活があるのだからね。

 当日ですか?ええ会場にいましたよ。結構な騒ぎでしたよ。人が消えた。それが社長ですからね。私ですか?正直私はその時はそれ程深刻に考えていなかったので真面目には探していませんでしたね。会場の端で場の喧騒を眺めていましたよ。気づいたことはないかって?うーん。そういえばあのパーティー出席者は明らかにそのスジの人と解る人も結構いましたね。サングラスにパンチパーマね。今時はあまり分かり易い格好はしないんですけどね。本当に明らかでしたよ。笑っちゃうくらい。彼らは真面目に探してたかって?それはないでしょう。探す素振りで会場でウロウロしてましたよ。怪しいですよね。私もそう思います。


万石との会話

 社長は本当に敵が多い人でしたよ。身内にも外にも。特に下請けには恨んでいる人多いでしょうね。値切り方が余りにも理不尽なので。酷いものでしたよ。下請けがこれ以上は無理だ勘弁してくれと言っても、じゃあ他に振るだけだと一切取り付かない。そして安い受注金額なので色々クレームが出る。出たらでたで、その窓口は全て私に降ってくる。やってられないよ本当にね。

 そりゃー恨み言の1つでもありますよ。正直ざまあみろと思ってしまいましたよ。ただね、あの人が居ないと会社もたち行かないのも事実。早く出てきて欲しいですね。

 あの日ですか、覚えてますとも。棚卸さんが社長の入った控室入り口で明らかに動揺してたので、声をかけに行ったんですよ。そしたら社長が中に居ないと。中は隠れる場所など無い。外から見ても一目瞭然ですよ。棚卸さんは狼狽えるばかりでダメだったので、私が皆さんに説明して周辺を含めて探すようにお願いしたのです。でもいくら探してもいないんです。しょうがないので出席者には社長は気分が悪くなって別室で休んでいると嘘を付いてその場は無理矢理収めて、お開きにしました。


 3人に話を聞いた後棚卸、吟嬢そして自分で話し合っていた。自分と棚卸の前にはコーヒー。吟嬢の前にはビール……。全くこの人は……。

「3人の証言は概ね棚卸さんの話と合っていますね。なんの矛盾もありませんでした」

「そうね。これで棚卸さんの話の裏も取れました。疑う様な真似をしてしまってすいませんでした」吟嬢が言った。

「吟嬢失礼ですよ」慌てて自分が言うと棚卸が

「いえいえ大丈夫です。仕事ですものね」と屈託のない笑顔で答えた。

「ただ私達の知らない情報も欲しかったのも事実です。もう少し当日の事を伺わせて下さい。まず控室の中ですが誰か隠れるような所はないのか?部屋に窓はあるのか?扉に鍵は付いているのか?後は当日のニノ蔵氏の様子はどうでしたか?何か変わった所などはありませんでしたか」

 棚卸は思い出しながら話始めた。

「……はい。正直社長がいなくなったとわかってからは気が動転して余り詳しくは覚えてないんです。

 ただ控室ですが隠れるような所はなかったと思います。姿見の鏡と椅子、洋服を掛けるラック位しか置いてなかった筈なので。窓も無かったと思います。たしか扉に鍵はありませんでした。引き戸ではなく、部屋の方に押して開くタイプですね。

 社長の様子ですか…。確かにいつもよりは若干口数が多かっと思います。興奮気味と言ったらそうですね。ただ自分のパーティーなのでそれは普通だと思いますし…」

「そうですか…わかりました。ありがとうございます」

「3人から話を聞いて自分の受けた印象なんですけど、あまり部下には好かれてなかったようですね。ニノ蔵氏は」

「トップに立つ人は多かれ少なかれ敵は多いわよ。山崎君もその立場になればわかる事よ。

 けど棚卸さん、ニノ蔵氏にはニノ蔵派というか、気の許せる右腕的な存在の人はいなかったのですか?」棚卸の方を見ながら彼女尋ねた。

「いなかったと思います。常々自分より仕事のできる人は居ないと言っていましたから。重要な仕事は全て自分で回していました」

「それでは仕事量もかなりの物だったでしょうね。秘書である棚卸さんも相当の激務だったのでは?」

「はい。正直大変でした。目の回る忙しさでした。冗談ではなく仕事中に倒れた事も何度かありますし、疲れて部屋に戻ったらいつの間にか朝になっていた何てことも何度もあります。

 小さい頃から体が余り強くなかったもので」ため息混じりで棚卸は答えた。

「……貴重なお時間ありがとうございまた。お忙しい中無理を言ってすいませんでした」

 そう言って自分達は店を後にした。


 帰りの車の中で彼女は神妙な面持ちで流れる風景を見ていた。きっと何か考えているのだろう。邪魔しない方がいいかとも考えたが、何となく場が持たなくなり話しかけてようとした瞬間に

「解せないわね」彼女は小さく呟いた

「そうですよね吟嬢。自分もそうです。あと、どんな印象を受けました?やっぱり失踪に関係しているのはあの3人の内の誰かですかね?3人共ニノ蔵に対する印象は良くありませんでしたからね。でも3人の内の誰が関係していてもあの消失の謎は残りますね。そうなると最初に調べるのは消えた謎からにした方がいいですかね?そこから消去法で犯人を絞って行った…」

「あんなのは謎でも何でもないわ」

「えっ?」自分の耳を疑った

「吟嬢今なんて言いまし…」

「消失の謎なんてないって言ったのよ」

「待ってください。みんなの目の前から人1人消えているのですよ。不思議じゃないとしたらどういう事なんです?」

「目の前ではない。みんなの見ている部屋の中からよ。直接見ていないわ。あくまでも間接的にしか見ていないの。この差は大きいの。

 それにある1面からしか事象を見ていないから不思議に見える。例えるなら紙に書いた丸は正面から見れば丸だけど、横からは何が書いてあるのかもわからない。この事件はそう云う事なの。

 そして私が不思議に思っているのはそこじゃないの。なんて言うのかな、全てがちぐはぐなの。気持ち悪い位にね」

「ちょっと待ってください。吟嬢は全てがわかっているんですか?自分にもわかるように説明してください」慌てながら言った。

「全てわかっている訳無いじゃない。全体的に朧気ながらこうじゃないかなって位よ」

「それでも構いませんよ。教えて下さい」

「嫌よ。こんな中途半端な状態じゃ。そんなのを人にペラペラ喋る程私は馬鹿じゃない」

「えー……」

「ダメよ」

「……はい…」

「いじけるな、いい大人が!もー!1つだけよ!嘘をついてる人がいる。そしてそれを誰も気づいていないの。たぶん嘘を付いた本人さえも」

 そう言った限り吟嬢はまた口を噤んでしまった。

 

 その後大した進展もないままに1週間が過ぎた。このまま何も起こらず時間だけが過ぎて行くと思われた夜、事態は急転した。


 港で水死体のニノ蔵氏が見つかった。





 

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