1杯目

 「カチャカチャカチャ……タッーン!カチカチ……」

 依頼の進捗状況の確認、クライアントへの定期報告書の作成、帳簿付け、メールのリプライなどなど。探偵業と言っても雑務は意外と多い。

 特にうちのような弱小探偵事務所なら当然で、尚且つ主が二日酔いで使い物にならなければ尚更である。昨夜は缶ビール1缶で潰れたようだ。何ともまぁ、健康的な晩酌だ。

 余りにも忙しいのでもっと人を雇ったらどうだと相談した時もあったが

「山崎君分かってないわね。名探偵の条件知ってる?探偵一人助手一人よ。そんな事も分からないなんて常識を疑われるわよ」

と却下された。きっと彼女はホームズとワトスンを目標の探偵像としているのだろう。呆れ果てていたていたそんなとき、玄関のベルが鳴った。

       カランコロン


「ごめんください」

 声が入り口から聞こえてきた。そこには少しおどおどしながらこちらをみる綺麗な女性が立っていた。年齢は30代前半だろうか。

「ジョニーウォーカーはこちらで宜しかったでしょうか?」

 吟嬢の拘りでジョニーウォーカーは看板を上げてはいない。これもきっと何かの受け売りなのだろう。だから初めての依頼人にはすこぶる場所が分かり辛い。

「いらっしゃいませ。こちらで間違いありません。なにかご依頼ですか?」

「よかった……。何度も迷って諦めかけてたました。急で申し訳ありませんが、ちょっと依頼したい事がありまして…。失礼ですが貴方が吟さんですか?」

「いえ。私は助手の山崎と申します。吟はただいま別件の調査で席を外しています。すぐ戻ると思いますので、ソファに掛けてお待ち下さい」主を守るのも出来る助手の条件だと少し悦に入る。

 コーヒーを用意してると奥の部屋から精一杯平静を装いながら

「お待たせしました。探偵の清水川吟です。」と猫を被って登場してきた。

「突然伺ってすいません。私、棚卸純子といいます。父の知り合いから紹介を頂いてこちらを知りました。大変優秀な方だと」

吟嬢は上品に微笑みながら

「そう言って頂けると有り難いです。ただ評価というものは一般的には相対的なもの。それが万人に対して当てはまらない事もありますので、過度な期待はなさらぬ様お願いします。ちなみに失礼ですが、その紹介して下さった方は?」

「市議会議員の浦霞さんです」

「なるほど。あの方でしたか」

「はい。吟さんの事はべた褒めでしたから。あの人に任せておけば大丈夫だと」

「ふふふ。あの方の評価には少々下心も入っているのであまり当てにするのも考えものですね」

 棚卸は吟嬢の顔をマジマジと見ながら

「…ただ少し…」

「ただ想像と違っていましたか?想像していたより大分小娘だと。こんな頼りなさそうな娘に任せて大丈夫なのかと。その心配はごもっともです。うーんそうですね」

「い、いやっ…」訂正しようとする棚卸を無視して彼女は喋り続ける。

「例えば医学ですが昔より今の方が優れているのは、乳児の死亡率の減少、平均寿命の伸びから見るに明らかですね。そして工業製品。これもまた後発の物が優れているのも敢えて語るまでもありません。

 人にだけこの法則は当てはまらない道理はありませんね。人はそうやってより良く社会を洗練し、生物として進化してきたのですから」吟嬢は冷たく微笑むと

「つまりはそう云う事です」

 顔の横に人差し指をピンと立てながら一気にそうまくし立てた。

「……いっ、いえ!そんなつもり一切ありません。変な誤解をさせてしまったなら謝ります。すいませんでした。

 ただイメージと余りにかけ離れてて……、更にはお綺麗でしたので驚いてしまって…」

「ありがとうございます。お世辞でも有難く頂戴しておきます。では早速ですが、どういった御用件でしょうか」

「は、はい、あの…我社の社長が失踪してしまったのです」

棚卸は1言1言思い出す様に話していった。



    カランコロン

「ではよろしくお願いします」

棚卸は深々と頭を下げながら足早に事務所を出ていった。

「なんだかよく分からない話でしたね」

「そうね。いまいち全体像が見えてこなかったのは確かね。もう一度私達でまとめて見ましょうか」

「そうですね。まず棚卸さん。あの人は大手商社であるニノ蔵商事の社長秘書ですね。そしてニノ蔵商事の社長、ニノ蔵誠70歳。一代で大商社を作り上げた傑物です。そして自分の誕生パーティーの最中に事は起こった。参加者は経済界、政財界からかなりの出席者がいたようですね。話で聞いただけでもそうそうたるメンバーだった」

「そうね。あのニノ蔵のじいさんは相当派手好きで有名だったからね。あの歳になっても誕生パーティーは盛大にやってたみたいね。自分の権力を誇示する絶好の機会だのも。そして更にコネクションを広げるためにもね」

「金持ちの考えは理解できませんね。もう十分過ぎるほど稼いているでしょう?そこまでコネが必要とも思えないんですけどね」

「そうね。目的は単にチヤホヤされたかったのかもね。本当に自己顕示欲の固まりみたいな人だったから」

「そんな人がパーティー途中で…」

「いなくなった。それもスピーチの最中に。ワイングラス片手に熱弁を振るってたから誤って服にこぼしてしまった。そして気替えのために一旦控室にに下がり、棚卸さんが気替えを持って控室に向かった。その間僅か1分足らず」

「その間にニノ蔵氏控室からいなくなった」

「そう、いなくなった。消えたと形容してもいいかもね。それも忽然と。ホールと控室は扉一枚隔ててるだけ。更に、ホールからはその扉は見える位置にあり、その部屋から誰の目にも付かずに出ていくのは不可能と思われる。更に会場の出入口には監視カメラが設置されており、録画の中にはニノ蔵氏が出ていった姿は写っていない」

「はい。そして棚卸さんの話だとそれが1ヶ月前。そして今日まで一切連絡もなし。

 パーティー出席者には体調がすぐれないようだと説明しその場はお開き。短い間なら嘘を付き通せても1ヶ月は長すぎる。だからと言って社長が失踪なんて事は口が裂けても言えませんね。株価に即影響しますから。かといって病気と云うことにしてもいらぬ噂を建てられても、それはそれで困る」

「ワンマン社長の典型ね。社長1人いなくなっただけで会社が成り立たなくなるなんて。きっと後継者の育成を怠ってきたんじゃないかしら?」

「どうでしょうね。そういった節もあったのかもしれませんね。そして時間も経ち過ぎ、連絡も一切無いので、いよいよマズいと思い始めた。しかし……」

「警察に頼もうにも、それは自ら失踪を認めることになる。それだけは避けたい経営陣。万策尽きて私の所に泣きついてきた。こんな所かしら?」

「概ねそんな感じですね。さてどうしますか?どこから当たるにしてもこう情報が少ないことには…」


カシュン!缶ビールの開く小気味よい音がした。まさかこの人は…

「今日はもう終わりにしましょ。この時間から動いたって成果は期待出来ないわ。山崎君と話した事で大分頭の中は整理できたから今日はこれで十分よ。活動は明日から!いいわね?」

「………はい」

 相変わらずのマイペースさだ。そしてこの強引さ。依頼主の前では絶対に見せない一面である。

「本当はワインが飲みたい気分なんだけどね。ビールしかないから仕方ないわね。山崎君も飲むでしょ?」

 弱いくせに何故飲みたがるのか。30分後にはフラフラになるくせに。

「……はい、頂きます。でも先に適当にツマミ作りますよ。なんでもいいですよね?空きっ腹に飲んだらこたえますよ。食べながら飲んで下さい」

「ふふ。気が利くじゃない。じゃあパスタお願い。考えてみたら今日はまともに食事もしてないから。宜しくねー」

 全くの世話のやける人だ。どういう育てられ方をしたら……

「グビグビ……ぷはー上手い!」

 ……はぁー、空きっ腹に、飲むなと言ったそばからこれだ。明日の活動は午後からになるな。予定をまた組み直さなくては。自分はため息をつきながら自分はキッチンに向かった。

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