二十八 椰子の実

 御用納の日。

 下町キャンパスの営業カレンダーは官庁に準じて、御用納の日の翌日から年末休業に入る。

 夕方、狩宿(かりやど)商工会議所青年部の亜沙妃(あさひ)が下町キャンパスの管理棟へやって来た。

「亜沙妃さん、例会に出られなくてごめんなさい」

「いいのよ。時の人は忙しいんだから。

 でも再来月の例会では裏話を聞かせてよ。

 青年部としては協議中の例会案を変えちゃうんだから。

 今日はその卓話のお願いに来たんだけど」

 青年部の役員会は、再来月の例会を工場見学会とすべく協議を重ねてきたが、彩智(さち)が頻繁にマスコミに登場するようになったので、工場見学会を先延ばしにして、代わりに彩智に喋らせようということになったのだ。


「罪滅ぼしに、思いっきり裏話を暴露するわ。

 平野さんとか、天衣の佐藤さんとか、あっ、天衣の戸田梨花は面白いわ。

 天然よ、あの娘。

 でもやっぱり平野さんのことが面白いかな」

 彩智達に背中を向けて仕事している仁(ひとし)の首筋がぴくりと動いた。

「平野さんは駄目よ。例会に出なくなっちゃうから」

「平野さん、よかったわね。金田(亜沙妃)さんに守ってもらえて」

 彩智が振っても、仁は反応しない。


「暴露話、大歓迎よ。あなたのスキャンダルも、ね」

「スキャンダル?」

「あなたの不倫、結構盛り上がっているのよ」

 彩智は平静を装ったが、鼓動が亜沙妃に聞こえるほどに動揺した。

 大学の同期、絢奈達の誰かが漏らしたのか?

 月初に名古屋で会ったとき、あれってスキャンダルよねぇって、学生時代の思い出話を持ち出してからかわれた。

 恋愛裁判の掟、開廷中の一切の発現は口外禁止、だったはずだ。

 それに、絢奈(あやな)達と亜沙妃を始めとする青年部との接点は?

 思いつかない。

「唐突な質問ね。

 私、見たとおり、身持ちが堅いのよ」

 彩智は平静を装った。

「あら、人前で堂々とツーショット、の写真が拡散してるわよ」

 亜沙妃が見せたのは、仁がフレンドブックに投稿した写真だ。


「なんだ、そんな写真か」

「ここからでも、あなたの鼓動、聞こるわよ。

 まんざらじゃないわね。不倫」

 パワーストーン絡みで風水の真似事をしているためか、亜沙妃の観察眼は鋭い。

 彩智の秘密の記憶に絡みつく厭らしい目つきだ。

「おいおい、何の話してるんだ!

 集中できないじゃないか」

 仁は怒りつつも、戸惑っているという風だ。

「そうよ、平野さんが困ってるわ。女子の話を聞かせちゃって」

 いいタイミングで仁が怒ってくれたと彩智は感謝している。

 ひょっとして、仁の助け船かも知れない。

「平野さん、お手柄よ。スクープ写真」

 亜沙妃は笑いながら仁にその写真を見せた。

「急に僕に振らないでくれ。今、佳境に入っているから」

 関わるまいとしている仁に、彩智が話しかけた。

「平野さんは、すごいヒントをくれたのよねぇ。

 宇宙港って、平野さんのアイデアなのよ。

 飯島さんからも感謝されているわよね、一号入居者を見つけてくれたって。

 石川さんのことだけど」

「平野さん、彩智さんが感謝しているって。

 虐められているけど愛はあるのよ。よかったわね」

 亜沙妃も話しかけたが、仁はもう反応しない。


「平野さんを前にガールズトークも何だけど、亜沙妃さんだっていい年じゃない。

 男の人はどうなのよ」

「まだ秘密」

「まだ?

 いるってこと」

「それよりも、ぶっちゃけ、儲かったの?

 あのアニメ。

 殆どの権利を譲渡したって聞いたわ」

「みんなで分けると、私の取り分は今まで未払いにしていた給料が払われた程度のことよ」

「もっと稼げたんじゃない?」

「大企業相手の交渉よ。あれが精一杯よ。

 それに神取(かんどり)さんは、始めから大企業に渡す計画だったみたい。

 不正コピーとか、詐欺や脅迫まがいの言い掛かりとか、ライセンスビジネスは煩わしいから、高値で売るに限るって」

「これからどうするの?」

「ここだけの話だけど、聖地巡礼ブームが始まったのよ」


「アニメの後追い?

 そんなに(若者が聖地巡礼を)してるかなぁ?」

「アニメオタクのムーブメントでなく、町おこしの大人のムーブメントよ。

 聖地巡礼のためのご当地アニメを渚のカッカブ方式で作りたいという問い合わせが幾つかあるの」

「神取さんはこれを狙っていた?」

「そう。そのためにも、最後は(玩具大手の)ユウジンに登場してもらわなくてはならなかったのよ」

「話が大きくて、ついていけない」

「だから天衣のメンバーにこれからも頑張ってもらんだけど、あの子達、大金が入ったから、変な気を起こさないかなって、ちょっと心配してるの」

「すっかりお母さんね」

「佐藤瞬さんは別にして、(戸田)梨花さんと(南)欣哉君は社会人として危なっかしいかなって」

「彩智さんは人脈が広いから、フレンドブックの反響も凄かったんじゃない?」

「フレンドブックで繋がっている社長さんは二百人くらいだけど、中には聖地巡礼をやりたいという方もいらっしゃったわ」

「商売繁盛で羨ましいわ。よく二百人の社長さんと繋がっているわね」


「フレンドブックと繋がってない社長の名刺は四百人くらいかな。

 学生時代から社長と会うようなことしていたの。

 軽音楽サークルや大学祭のスポンサー集めで。

 東京でも開拓営業したわ。

 その積み重ねなんだけど、それができたことが幸運だと思っているの。

 あの時、東京へ行った自分が滑稽に映るわ。

 でもそれが幸運だったのよ」

 そう言いながら彩智はスマートフォンを取り出して、フレンドブックの友人一覧を見せた。


「あなたの話を聞いて分かったわ。

 あなたは兎に角前向きなのよ。

 私は違う。パワーストーンに飛びつく人もそうだわ。

 今は不運と思っていたり、もっと幸運を摑みたいと貪欲だったり、溺れる者は藁をもつかむのように、幸運をもたらすものにすがりたいの」

「溺れる者か、いいことばありがとう。

 ビジネスのヒントになりそうだわ」

「『六次の隔たり』を地で行くのが彩智さんね」

「すごい。亜沙妃さんって意外とインテリなんだ」

「バカねぇ、この前の例会の受け売りよ。

 講師の話の中に出てきたの。

 六人の仲介者がいれば目的の人に辿り着けるという話よ。

 それで全人類と繫がるとは思えないけど」


「私には六番目の人が神取さんね。

 偶然が重なって会えたのだから」

「惚気(のろけ)るの、いい加減にしなさい。

 不倫の噂が本当になったら興ざめだから」

「結局、そこに行くのね」

「違うわよ。最近、あなた、休んでばかりでしょ。

 参加しやすくなるように誘いに来てあげたのよ。友達として」

 彩智はスマートフォンのカレンダーを見ながら、亜沙妃と例会日を調整した。

「じゃあ、二十日で。平野さん、大丈夫?」

「問題ないよ」

 仁は、いつの間にか彩智と亜沙妃の方を向いて、ニヤニヤしながら二人のやり取りを聞いていた。

 パソコンもシャットダウン済みだ。

「彩智さん、楽しかったわ。こ

 んな話、今度は例会の後で女性会員だけで盛り上がりましょうよ」

「いいわね。女子会」

「約束よ」

「約束ね」

 彩智はスマートフォンに例会のスケジュール登録をしている。


「じゃあ、お暇するわ。平野さん、行きましょう」

 亜沙妃のことばで、入力の指が止まった。

「えっ、そういうことになってたの?」

「そうよ。戸締まり、宜しくね」

 亜沙妃は満面の笑みでそう言って平野の腕に抱きついて、去って行った。


 彩智はスマートフォンの操作を再開しながら思った。

 幸運について言い足りないことがある。

 仁と亜沙妃が去って行ったドアに向かって言った。

「あなたも、パワーストーンは要らないでしょ!」

 彩智が掌で弄んでいるスマートフォンの、待ち受け画面でなく、壁紙は、渥美半島の恋路ヶ浜の手前にある、椰子の実~島崎藤村の歌碑を背景に彩智と翔馬のツーショットだ。

 アイコンを一つ動かせば、祥馬の屈託のない笑顔が現れる。

 彩智しか知らない笑顔だ。

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