二十七 リベンジ

 本庁に出張した真木(まき)亘(わたる)は、幾つかの部署を梯子して、参事官室にいる。

「参事官、商店街ものづくり拠点化パイロット事業は期待以上の成果を出せたと自負しています」

「商店街活性化は、各実施体がいい報告を上げてくるので良しとして、もう一つの目的は真木君の目論見どおりの成果だね。

 初めは懐疑的だった警察庁も防衛省も、事業継続を要請してきている。

 来年度は彼らが倍の予算を工面すると確約してきた」

「スカウト報酬をちゃんと払う、という意味ですか?」

「払う?

 人の良いことを言っちゃ駄目だよ。

 今までの補填と受けとめなきゃ。

 予算は持ち出しじゃないか」

「研究開発の設備投資としては効率が悪いので」

「まあ、いい。

 四月から本庁に戻ってもらうから、これからもスカウトを頼むよ」

 このスカウトした一人が、石川翔馬である。


 愛知県の三河を舞台にした地方発のアニメ『渚のカッカブ』は第五話が好評で、次期作待望論のネットの声に応えるように、六、七、八話と順調に公開していった。


 第八話の公開と同日、地方発のアニメが二つの地域から登場する。

 『賢者HOTO』と『天空の守護神アルビレオ』だ。

 前者は四国の最南端、足摺岬を舞台に、後者は島根県出雲日御碕を舞台に、工夫は凝らしているが、明らかに『渚のカッカブ』の模倣である。

 模倣作品のお陰で、アニメオタクから『渚のカッカブ』の秀逸さが再評価された。

 『賢者HOTO』を仕掛けたのは、商標事件の張本人、ツバンの内山晃芳である。

 『天空の守護神アルビレオ』を仕掛けたのは、彩智(さち)が安城の実家に帰ったと同じ時期にサークレットを辞めて鳥取県へ戻った川崎淳のアルタイルだ。

 高知県足摺岬にしても島根県日御碕にしても、それ自体が『渚のカッカブ』の舞台、愛知県の渥美半島に勝るとも劣らない風光明媚な観光スポットがある。

 さらに足摺岬にはお遍路の札所、日御碕には出雲大社という強力なパワースポットも控えている。


 『渚のカッカブ』がSFの理詰めの世界観だったのに対し、内山と川崎は、『賢者HOTO』では仏教思想的な、『天空の守護神アルビレオ』では神がかり的な、神秘性のある世界観で差別化を図った。

 ストーリーに関連性はないが、インディーズアニメとして三社は相互にバナーを貼ってリンクしていることから、アニメファンからデルトトーン(さんかく座)の三兄弟と命名された。


「で、僕らが長男だよね。どっちが次男?」

「双子でいいんじゃないの」

 仁(ひとし)は兄弟の序列を気にするが、彩智にはどうでもいいことだった。

 三つ子だって構わない。

「双子でも兄、弟があるんだから」

「じゃあ、一番若い川崎さんのアルタイルが三男でどう」

 マーケッターの間で、愛知県俵市、高知県土佐清水市、鳥取県出雲市を結んでサークレット・トライアングルと呼ばれるようになったのは翌年のことである。

 マーケッターが関心を寄せるのはアニメでなく、農水産物の地域外出荷を急増させたことにある。


 狩宿(かりやど)市下町キャンパスの成果物が商品として結実したことを、狩宿市主催で記者発表することになった。

 下町キャンパスもトライアローもそれぞれのウェブサイトで告知した。

 渚のカッカブ絡みの商品が多いことから、少年誌、アニメ誌など、市の記者発表とは縁のないメディアの参加も期待された。

 動画サイトのニュースコーナーも撮影に訪れるらしい。

 市役所の通常の記者発表よりも多くの報道陣が来ることが予想されたので、いつもより大きな会議室があてがわれた。

 商工課の加藤から段取りの最終確認があった。

「市長の挨拶の後、商工会議所専務理事の報告、それから平野さんにTENSHO、松田と矢田さんにチタン彫金MC用オペレーティングシステム、最後に相原さんが渚のカッカブ、の順番でお願いします。

 その後で全員に対する質疑です」

 午前九時五十五分、待機室を出て隊列を組んで会場へ移動した。

 会議室では、椅子に座れず立っている記者もいる。

 彩智たちが会見用に設けられた席に座る前からストロボが閃光を放った。

 芸能人の記者会見ではないので、静かですと加藤から聞かされていたが、なんだろう?

 ひょっとして、不正アクセス騒動がまだ尾を引いているのだろうか?

 彩智と仁は同じ不安に襲われた。


「定刻になりました。

 ただ今より、狩宿市定例記者発表を開催します。

 皆様には本日の発表内容が渡っているかと思います」

「先に撮影をさせてください!」

 カメラマンが司会役の職員の、マイク越しの声を遮る大声で叫んだ。

 司会役が戸惑っていると、市長が頷いた。

「では撮影を先にします」

 司会役が宣言すると、一人のカメラマンが仕切り始めた。

「最初に、市長と専務理事が前、四人は後、でお願いします」

 言われたとおりに並んだ。

「この表情でいいですか?折角だから、もう少し笑顔をお願いします」

 一斉に撮影したり、カメラマンが順番に正面から撮影したりした。

「今度は四人が前、市長と専務理事は後、でお願いします」

「あ、女性(彩智)、真ん中で」

 また、撮影が始まった。

 慌ただしく撮影が終わると、殆どのカメラマンは去って行った。


 後に残ったのは、新聞社の記者とビデオカムを回し続けているCATVの撮影クルー、そして少年誌とアニメ誌の記者。テレビや週刊誌は記者も去って行った。

「何があったですかな?」

 市長が馴染みの記者に尋ねた。

「多分、午後二時からのプレス発表です。

 引き上げていったのは、市内に拠点がいないところばかりです」

「そんなニュースですか?」

「事実ならビッグニュースですよ。

 皆さんのアニメの世界が現実になるんだから。

 三重県に宇宙港を作るって構想ですから」

「そ、それって、ガル・スペースですか?」

 仁が訪ねた。

「さぁ、事業者名までは確認してきませんでした。

 ウチは他の記者が行きますから」

 六列用意した記者席に座っているのは前の二列だけだ。

 負け惜しみでないが、仁はさっきの息苦しさが噓のように心地よくなった。

「日が悪かったねぇ。

 昨日、できれば先週にでも(記者発表を)やっておけば、大きく取りあげられたのだろうけど」

 市長は残念そうだった。

 鳶(とび)に油揚げをさらわれる、そのものだ。


 帰りの車中、彩智は『渚のカッカブ』の不安を仁に訴えた。

「宇宙港なんで、渚のカッカブの大前提じゃない。

 設定ではインドや中国との開港競争に際どく勝ったことになっているけど、現実は日本の圧勝なわけ?」

「ガル・スペースか」

「何それ?」

「何年か前のビジネスコンテストで優勝した会社なんだ。

 ただの旅行代理店かと思ったけど、本当に宇宙船の設計をしていたんだ」

「設計?

 真にカッカブの世界じゃない」

「正月の新聞、第二部、第三部って具合に、もの凄く沢山の紙面があるだろ。

 その中にガル・スペースの特集記事があったんだ」

「メジャーな新聞に特集されるなんて、凄いじゃない、その会社」

「その会社がどっかのスポンサーをつかまえたのかなって。

 逆にノア・スペースのような会社の代理店になったのかな、とも思うけど」

「で、私達の、渚のカッカブはどうなるの?

 本物が登場したら、アニメなんて見向きもされないわ」

「開港までは大丈夫だよ。

 それに(渚の)カッカブのファンは宇宙旅行に行けない人達だから」


 スマートフォンで十分に検索できなかった仁は、下町キャンパスの管理棟に戻るとパソコンでも念入りに調べた。

「あれ?やっぱりガル・スペースがない」

 ガル・スペースのウェブサイトらしきコンテンツは、検索サイトのデータベースに保存されているものだ。

 ウェブサイトは既に削除されたのだ。

「つまり、会社が存在しないってことかな?

 あの会社、五年もたたずに無くなったんだ。

 栄枯盛衰というか、諸行無常というか、哀れだね」

 彩智に話しかけているのでない。仁の独り言なのだが、彩智が呼応した。

「じゃあ、誰なの?宇宙港を作ろうって会社は」

 仁は更にネットで検索した。

 既にウィッターでは、宇宙港に関する投稿が多重引用する形で拡散しつつあった。

「やっぱり、これだけ拡散している。

 用意周到だね。で、正体は、と」

 引用を遡るとブルー・ドラゴン社のウェブページに辿り着く。

「へぇ、あの宇宙港、日本のベンチャー企業、ブルー・ドラゴン社がやるそうだ」

「日本の会社?渚のカッカブと同じね」

 彩智は、渚のカッカブが現実のものとなることが悔しかった。


「ガル・スペースとは関係ないみたいだね。社歴にないし、経営者も違う」

 仁は会社概要のページを要約した。

「そのガルって会社、明日はわが身じゃない?

 渚のカッカブが駄目になれば」

「彩智さんらしくないねぇ。

 ブルー・ドラゴンが宇宙港を開港したとしても、ずっと先のはずさ。

 あれ、開港予定時期が書いてない。

 まぁ、五年、いや十年以上先だと思う。

 県やら国やらから許認可というものを受けなきゃいけないだろうし。

 その前に、渚のカッカブはシリーズを終えているよ」

 そういいつつも仁の声は、明らかに沈んでいる。

 誰もが思い描いていた宇宙港をアニメとしてビジュアライズしたという自負が、本物の登場で瓦解したのだ。それが近未来の話であっても。

「そうね。渚のカッカブだけじゃないからね。宇宙港って」

「おお、メガフロート方式は渚のカッカブと同じだ。

 三重県熊野灘が候補地だ」

 アイデアが同じことに喜んでみせるが、仁の声は暗い。


「愛知県じゃないのが救いね」

「ノア・スペース社が半分を出資、か。

 ノア・スペース社が日本に進出するんだ」

「大富豪が出資するのも(渚のカッカブと)同じね」

「そりゃ、国がやらないから民間でやる。

 民間がやるなら、大富豪だ。

 それにしてもブルー・ドラゴンって会社、どこのお金持ちに媚を売ったんだろう?

 聴いたことないけど……」


 仁と彩智のスマートフォンに二秒の時間差でEメールの受信音が鳴った。

 商工課の加藤からだ。

「彩智さん。明日、六時五十七分頃と七時四十七分頃、下町キャンパスが公共放送のニュースになるって」

「私も見た。ニュースにしてもらえるなら、結果オーライね」

 その夜、昼間の記者達の慌てぶりとは裏腹に、宇宙港のニュースは彩智が確認した範囲ではテレビのニュースに登場しなかった。

 翌日、ブルー・ドラゴン社について加藤が教えてくれた。

「記者の話では、裏付けが取れなくて、ニュースバリューが無かったそうよ」


「つまり、噓ってことですか?」

 彩智が口を開く前に仁が質問した。

「ただ、記者発表の様子を撮影していたから、詐欺の材料に使われる危険性があるって、報道各社が警戒するよう申し合わせして、警察にも連絡したそうよ」

「詐欺ですか?」

「憶測だけどね。

 実在するメディアが集まった会場の写真を使って、詐欺用のパンフレット作ること、あるでしょ。

 それに利用されたかもって。

 高級ホテルが会場よ。

 だから(信頼して)取材に行くわよね」

「じゃぁ、ノア・スペース社とも関係ないのですか?」

「無断で名前を使われたそうよ」


 二ヶ月後。

 臨時株主総会の満場一致によって、彩智はトライアローの代表取締役に就任した。

 重大な契約を前にしてのことだ。


 そして、その日を迎えた。

 彩智は、契約書に印刷された乙欄の『代表取締役』の肩書の後に、自分の名前を、この日のために購入した万年筆で書いた。


 相原彩智。


 相の一画目が滑って、体裁を整えると、やや大きめの署名になった。

 少し恥ずかしかったが、そのまま社印を押印した。

 先方と契約書を交換した。

 そこに書かれたサインは、彩智のよりもさらに大きい。

 今度は、その大きさを見習って、署名した。

 二つの契約書を並べると、甲と乙の名前の大きさは揃っている。

 一方の契約書は大きく、もう一方は若干小さく。

 相手が頷き、隣の弁護士も頷いた。

 部屋中に拍手が響いた。

 トライアローと比較することが烏滸(おこ)がましい豪奢な応接室。

 ここはロボットアニメのプラモデルで有名な国内最大手の玩具メーカー、ユウジンの本社ビルだ。


 彩智の右隣には神取(かんどり)龍一と牧原孝美、左側には青木舞と弁護士が並んでいる。彩智の後には平野仁と佐藤瞬(しゅん)が控えている。

 相手方はユウジンの事業部長とアニメ制作会社の役員、放送局の担当係長、出版社の担当課長、いわゆるロボットアニメの合同事業体、製作委員会だ。

 『渚のカッカブ』をシリーズ化して十本目を公開したこの年の九月、このプラモデルメーカーからオファーが来た。

 既に公開した十本と制作中の一本、企画段階の一本、計十二本を高精細アニメとして再制作権、放映権、出版権、ライセンス使用権を求めてきたのだ。


「平野さん大成功よ。『渚のカッカブ』が全国ネットで放送されるわ」

「本当にすごい。彩智さん、一気に時の人ですね」

「あなたもでしょ。それに天衣の皆さんも」

「彼らが同席できないのを残念がっていたよ」

 瞬は天衣を代表して同席しているが、この記者会見に戸田梨花と南欣哉が不在なのを残念がっている。

 二人は、将来のこともあり、会見に外されたのだ。


「一番の恩人は神取さんですね」

 仁がいうと、彩智は神取に抱きついた。

「当然よ、先生!」

 この彩智と神取のツーショットを、仁が自分のフレンドブックに投稿した。

 皆は別室の『渚のカッカブ』テレビアニメ製作発表会の会場へ移った。

 段取りでは、ユウジンの事業部長が経緯を説明、彩智が原作者代表として挨拶し、アニメ制作会社の役員がアニメのタイトルと公開予定日を発表する。

 そして、三人が握手する。

 司会者が取材陣に記者会見の段取りを説明していた。


 流石に彩智は緊張した。

 たった四百文字の挨拶だ。とっくに諳んじているのに、また原稿を読み直す。


 舞が彩智の両肩を軽く揉み、リラックスさせた。

「ねえ、覚えてる。東京での最後の一言」

「はい?」

「まだ、揉み足りないかしら?リベンジ、って言ったのよ」

「覚えて下さったんですか!」


 思わず、涙がこみ上げてきた。

「ここまで来たなんて、リベンジにお釣りが出るくらいね」

「お釣り、出ますね」

 彩智は泣き笑い状態だ。


「これ以上は泣いちゃ駄目よ。メイクが崩れるから」

 舞は甲斐甲斐しく涙を拭いてくれた。

「では、登壇です」司会者が三人を招いた。

 舞に軽く背中を押されて、彩智は最後にインタビュー席に座った。

 その夜、聖地巡礼を活用した、このビジネスモデルが紹介されると、翌日はトライアローとサークレットに取材依頼が殺到した。

 彩智のフレンドブックには繫がっている人達から沢山の祝福をもらった。応援してくれた人には、内輪話を披露してお返ししよう。

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